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月のふる街  作者: 楠羽毛
3/11

3

 カラスのすまいは、街の外にあった。

 ねっとりと濃い空気のからみつく荒野のなかに、ぽつりと小さな小屋が立っている。

 街のほとんどの家が石造りだったが、この小屋は木造だった。

「俺の古い家さ。ずっと離れてたが、最近戻ってきたんだ」

 カラスは、なんとなく嬉しそうにそう言うと、ウナを招き入れた。

 まるで人間の家のようだった。

 ひと通りの家具が──明らかに人間用の家具がそろい、井戸や竈まである。

 ウナは、それらすべてを物珍しそうに眺めまわしてから、ぽつりと言った。

「──知ってる」

 カラスは、ふん、と鼻をならした。

「そうかい。じゃ、ちょっとは覚えてるのかな。あそこに入れられる前のこと」

 ウナは無言で首を横に振った。

 カラスは別段そのことに頓着する様子もなく、話を続ける。

「まあ、忘れちまってても無理ないやね。あんたが閉じ込められてから、もう何年たったか、俺にだって思い出せないくらいなんだ」

「私を知ってるの?」

 反射的に、ウナはそう聞き返していた。ずっと喉の奥につっかえるようだった『言葉』が、初めて意識せずに口から飛び出した瞬間だった。

「当たり前さ。あんたが生まれたときから知っているよ」

 カラスはそう言ってから、ふと気づいたように首をまげて、自分の体をみた。

「この姿じゃあ話しにくいかな? ちょっと待ってな」

 そう言って、すいと体をひねるようにすると、彼は姿を消した。

 そして一瞬後には、黒ずくめの格好をした二十代の青年が、そこに立っていた。

 ウナは、自分の目を疑うように瞬きをして、彼をじっと見つめた。

「目はちゃんと見えてるみたいだな。月光をよく浴びたからだろう」

 そう言って、青年はウナの頭を撫でた。

 先程までのカラスと、同じ声だった。

「カラ──ス──?」

「ああ。覚えていないかい? 昔はいつもこの姿でいたもんだが」

 ウナはもどかしげに首を振った。目の前の現象を、なんとか理解しようと努めているようだった。

「俺は化け鴉さ。月光の下で長いあいだ生きた動物は、みんな俺みたいになる」

「みんな……? カラスみたいに、って?」

「こういうことができる、ってことさ。ウナ、普通の鳥は──特に、さっきまでの俺のような大きさの鳥は、人間を抱えて飛んだりしないもんだよ。それに喋らないしね」

「それに──姿を変えたりもしない」

「その通りだ、ウナ。よく分かったね」

 カラスは優しげな瞳でウナを見つめた。

「でも、そうなるまで長生きするやつってのは、なかなかいないもんでね──俺も、同じようなのには数えるほどしか会ったことがない。大抵、そうなるまえに死んでしまうから」

「……死んでしまうの? 寿命で?」

「そういうこともあるけどね……強すぎる月の光は、普通の生物には毒だから」

「私にも?」

「いや、あんたは特別さ」

 カラスはぽんと手を打つと、言った。

「さあ、今日はここまでだ。しばらく眠るといい。疲れてるだろう? じきにここを引き払わなきゃいけないし、あんたがいなくなって街の連中が騒ぐだろう。忙しくなるよ」

「引き払うの……どうして?」

 せっかく来たばかりなのに──と、ウナは言おうとした。

「仕方ないのさ。大きくて濃い魔力のかたまりがこっちに向かってる。じきに時空竜巻に発展するだろう。そうなれば、このへん一帯は無事じゃすまない」

 カラスの言葉は、ウナには理解のできないものだった。彼は構わずに続けた。

「街の人間は油断しているだろうな──この百何年というもの、この街をそんな大きな災害が襲ったことなんかなかったから。それというのもあんたのおかげなんだよ、ウナ。あんたは、長い長い間ずっと、あの物見塔の中で、街の守り神を勤めていたんだよ!」


                    *


 ──だんだんと高くなってきた太陽の熱にあてられて、ウナは目をさました。

 うぅん、と軽く伸びをして、いつもの部屋にいるわけではないことに気づく。

 カラスの部屋のベッドで寝たはずだが、いつのまにか床に寝ころがっていた。

 慣れない布団の感触を、無意識のうちに避けたのかもしれない。

 もっとも、この部屋は床にも敷物があるから、だいぶ寝心地はいい。カーペット、というらしい。昨日、カラスに訊いた。

 立ち上がり、部屋のなかを見回す。

 壁いちめんに作りつけられた本棚に歩み寄り、一冊の分厚い本を取り出した。

 なんとなく、見覚えがあるような気がしたのだ。 

 書いてあることはよく分からなかった。彼女は文字が読めない。ところどころ、見覚えのある記号や仮名もあるが、全体としての意味はまったく理解できない。

 カラスはこれを全部読んだのだろうか、と、ぼんやりと考える。

 自分も読みたい、と思った。

 カラスに教えてもらえばいい。きっとすぐに読めるようになる。

 でもこのすまいは、すぐに引き払うのだっけ──。

 そう思うとなんだか悲しかった。はっきりとは分からないのだが、この家のことはよく知っている。そんな気がしていた。

 本を床において、部屋を出る。

 廊下には見覚えがあった。少なくとも、あるような気が、した。


 ──そういうのを、デジャビュー、というんだよ──


 そんな言葉が浮かんでくる。いつだったか、誰かに言われたのだと思う。

 誰だったろうか?

 カラス? それとも、他の誰か?

 思い出せない。

 考えながら、ふらふらと廊下を歩いていると、突き当たりにドアがあった。

 真っ黒い壁に、小さなドア。

 ノブには南京錠。ドアの上には小さなプレート。

 ──開かない、かな?

 ノブをひねってみる。

 鍵がかかっていると気づき、試しに、思い切り力を入れて引っ張ってみる──

 ──ばちん、と破裂するように、ノブごと、鍵がばらばらになった。

 ウナは、しばらくあっけにとられていたが、やがて、古くなっていたのだろう、と納得することにして、ゆっくりとドアを押し開けた。

 内側から、ひんやりと冷たい空気が流れ出してくる。

 涼しそうだな、とウナは思った。入ってみよう。


 彼女が部屋に入ったあとで、ぎぎ、と音をたててドアが閉じる。

 ドアの上のほうにかけられたプレートには、こう記されていた。

 ──『魔力遮断帯域』。


                    *

          

 暗い暗い部屋の中で、ウナは立っていた。

 月の光さえも差し込まない。換気が悪いから火もともせず、わずかな魔力をもこの室に持ち込まないために、月光ランプやヒカリゴケの使用も許されない。

 それでも、本当にこの部屋が使われるときには、ほんの申し訳程度の明かりが、天井の照明装置によってもたらされるのだった。


『でんとう』


 そっと、噛みしめるように、ウナはその言葉を口にした。

 でんとう。古代の遺産。とてもとても貴重な骨董品。今となっては修復するのも難しい。

 彼──が教えてくれたのだった。他のことも──たとえば、『でんとう』よりも、もっと重要なものがあり、それは『でんき』で、彼は長いあいだかかってやっと、魔力嵐からそれを取り出す方法をみつけたのだ、とか……


 ──遠い昔には、『でんき』がこの世でいちばん大事な力だったんだよ、ウナ。


 ──魔力よりも?


 ──魔力はなかったんだ。月はそのころ、今よりずっと小さくて……優しかったんだ。


 ──月こそが、すべての魔力の源なんだよ、ウナ。


 いつだったか──そんなに遠い過去のはずはないが、彼と交わした会話の一片を、ウナは思い浮かべる。

 彼の語ることのすべてを、ウナは記憶し、理解しようとした。

 それでも彼女には──生まれたばかりの彼女には、そのほとんどは難しすぎて、いつになったら、彼とカラスの交わす会話についていけるようになるのだろう、と思った。

 彼は、ウナが生まれて初めて見た人間で、彼女の親がわりだった。

 いや、じっさい、親だったのだろう。彼もカラスも、一度もそのことについては口にしなかったが、ウナはそう確信していた。

 なぜって、もし、彼が私を生んだのでなければ、どうして自分はここにいられよう?


『──目が覚めたかい』


 彼女は今でもはっきり覚えている。固い寝台の上でそっと目をあけたとき、彼がかけてくれた最初の言葉を。


『おはよう。……君の名前はウナだよ。僕がつけたんだ』


 彼は絵を描くのが好きだった。仕事の合間には、よくウナをモデルにして筆を動かしていた。絵具の材料は、カラスが仕入れてきたものだった。鉱物も植物も、昔のように簡単には手に入らない。今となっては何もかも貴重なのだと、彼は嘆息して言ったものだ。


「ウナ、そこに座って」

「はい」


 しずかにそう返事をして、ウナは用意された椅子にきちんと座る。

 膝の上に手をあわせ、全身をぴったりと静止させて。

 動かずにいることは、彼女には苦にならなかった。たとえ一日でも、そうしていられた。

 だから、その時間の終わりは、いつも、彼が絵筆を放り出すか、なにかの用事でカラスが呼びにくるかしてやってきた。

 ウナは、そのときがくると、いつもひどく残念に思うのだった。彼女は絵に描かれるのが好きだった。絵そのものでなく、自分の前で彼が絵筆を動かしているその時間が好きだった。


 彼の絵が完成したことはなかった。なぜだかはわからないが、そうだった。


 ウナは目の前の大きな筒にそっと触れた。それは彼の仕事の道具の一つだった。彼が何の仕事をしていたのか、ウナは知らない。ただ魔力に関係した仕事だと教えられていた。

 カラスもその仕事を手伝っているらしかった。二人はよく、ウナが今立っているこの部屋にこもって、二人で議論したり、何かの実験を繰りかえしたりしていた。


 ウナの最初の記憶にある寝台も、この部屋にあった。


 彼女は、掌にふれる冷たい感触をしばらく味わった。そのなかにはいつも濃い緑色の液体が満たされて、彼女の目を楽しませてくれるのだった。

 液体の中に何かが浮かんでいることもある。だが、それが何なのかは判らなかった。

 ウナは、目を瞑った。もとより闇の中ではあったが。


                    *


 そして、過ぎ去った思い出に別れを告げ──


                    *                   

「ウナ!」

 カラスの叫び声が、彼女を現実にひきもどす。

 ウナは空っぽの培養槽に手をあてたまま、振り返った。短い階段の上にある、地下室の入り口から、外の光が差し込んできていた。

「ウナ。そこにいるのか? どうして、こんなところに──」

「カラス」

 カラスの言葉がまるで聞こえないかのように平らかな声で、ウナは言った。

「彼は──衛史は、どこにいるの?」

 カラスは複雑な表情をした。ぽつりと呟くように言う。

「思い出した──のか?」

 その問いには答えず、ウナはさらに続けた。平らかな、それでいて鋭い声音で。

「衛史は、殺されたの?」


                    *


 その瞬間、カラスは、少女だったウナが突然、何か別のものに変貌したように感じた。

 いま、彼女の姿は闇に隠れて見えないが、そこにいるのは本当に、彼のよく知っているあのウナであっただろうか?

 そう思うほどに、彼女の声は大人びて、落ち着いていた。


                    *


「衛史は──死んだよ」

 諦めたように目を伏せて、カラスは告げた。

「あんたにとって、時間の感覚がどんなふうになってるのかは俺には判らないが──あれからもう百年も経ってるんだ。どのみち生きてるはずがない」

「質問に答えてないわ」

 ウナはぴしゃりとはねつけるようにそう言った。

「答えて。──衛史は殺されたの?」

 カラスは沈黙した。

 彼の前には闇だけが広がっていた。ウナの声は闇の中から直接に響いてくるようだった。


 ──今、この闇のなかにいるのは、本当に──


 根拠のない妄想だと思う。だがどうしても否定することができなかった。

 カラスは逡巡した。だがやがて、あえてそれを打ち消すように、きっぱりと告げる。

「……殺されたよ」

 いらえのないまま、何秒かが過ぎた。

 やがて──闇のなかから、ウナが、少女のウナが、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 彼女の目には、涙が溢れていた。

「どうして、もっと早く迎えに来てくれなかったの」

 かすれた声でそう呟きながら、ウナは、倒れこむようにカラスの胴にしがみついた。

 カラスは、ひきつるような嗚咽を漏らす彼女を、どうすることもできずに見つめていた。


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