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月のふる街  作者: 楠羽毛
10/11

10

 ──どれほど走っただろう。

 ウナはすでに、カラスとも、他の二人とも、はぐれてしまっていた。

 あの少女はどうしただろうか、と思う。今まで気にしている余裕はなかった。

 暴動は、街中に広がっていた。

 いや、暴動どころではない。

 街路には月獣が現れて人を襲い、植物は狂樹となって動きだす。

 街を歩いていた人が、突然、獣化病にかかって狼になったりもする。

 突然、人や建物が消えることもある。

 そのさなかに、逃げ遅れた人々と、武装した男たちが、目を血走らせて駆けまわっている。

 なかば獣化しかかった若い男が、剣につらぬかれて地面に転がっている。

 となりに倒れているのは、普通の女のようだ。まきぞえで殺されたのか。

(……滅びが漏れているから……)

 ウナは震える肩を両手でおさえて、そう呟いた。

 この惨状は自分のせいだ。そう思う。

 どうすることもできない。そんな自分が悲しかった。

 ──カラスはどうしただろう。

 探さなければ。ウナはあてどもなくまた歩きだした。


                    *


 草薙は、街の西側にある牧草地帯にいた。

 このあたりは人口が少ないからか、こんな時でも静かである。

 そのかわり、獣や狂った植物たちが、たくさん発生しているようだったが、草薙は意に介していない。

 それどころか、むしろ、好んで獣たちのいるところに向かっているようだった。

 さわさわ──と、足元の草がざわめく。

 人の匂いに引き寄せられた獣たちが、近寄ってくる。

 しかし、月獣も、魔力にあてられた植物たちも、彼が一瞥するとおとなしくなった。

「待ってくれよ──」

 誰にいうともなく、草薙はつぶやく。

「まだ月が出ていないからね。月が出たら、一緒に──」

 言葉の最後は、風に吹かれて消えていった。


                    *


「もう駄目! 歩けない」

 稗田は、人けのない路地裏で、カラスにむかってそう叫んでいた。

「我が儘を言うなよ」

 カラスはうんざりしたようにそう言った。

「あんたは目立つんだ。殺されたくないだろう」

「だって──」

「だってじゃない。全く」

 どうして自分が──と言いたげに、カラスは溜息をつく。

 ウナとはぐれてしまったばかりか、足手まといを二人も連れて、どうしろというのか。

「どうも月光症の奴はまっさきに襲われるらしいからな。あんたのその髪と目は危険すきる。魔法研究所の人間だから、顔を知ってるやつだっているだろうし」

「──どうして、こんなことになっちゃったのかしら」

 稗田は、そう言って考えこんだ。

「知らんよ」

 カラスはそっけなくそう言う。

「あるいは、もっと早いうちに公表していれば──今さらだがね」

「……所長が同じようなことを言ってたわ」

 稗田は、研究所の中庭でみつけた川原の死体を思いだして、表情を暗くした。

「これからどうしようか……」

「もうすぐ日が沈むな」

 カラスは空の様子をみてそう言った。日が沈めば、あとは月の時間である。

「いよいよとなったら、俺はウナをみつけて街を脱出するからな」

「私たちを置いていく気?」

「ウナひとりならともかく、三人は運べないさ」

「もう──」

 稗田は、カラスはじっと睨みつけながら、横にいる少女の手を握った。

「この子がどうなってもいいっていうの?」

「できれば助けたいがね」

 カラスは、そっけなく──聞こえるように──そう言ってみせた。

「だが仕方ないだろう。いざとなれば……」

「……あのさ。ものは相談なんだけど」

 稗田は、カラスの耳に唇をよせて、囁いた。

「──ここで、命名の儀式を行えない?」

「何だって?」

「この子にウナさんのかわりをさせるの。……そりゃあなたは反対でしょうけど、でも、この状況を収めるには他に方法はないわ。時空竜巻だって来るんだし」

「だめだ」

 カラスは、目つきを鋭くして言った。

「どうして? 道具なら……」

「そうじゃない。……その方法が、百年前になぜ使われなかったか、わからないか。『滅びを封じる』術は、他の魔法文字の力を吸収して、滅びの封印の中に溜め込むんだ。効果範囲内に同じ封印がふたつ存在すれば、互いに力を与えあって、かえって破裂を早めてしまう━━」

 言いながら、どんどんカラスの声は高くなっていった。

(……だから、おれはウナを助けられなかったのだ。)

 可能ならば、俺だって、やっていたに違いない。自分の体内に呪符を埋め込むことだって。

「あなた……」

 稗田は目を細めていった。

「あなた、知らないのね。この街で、どれだけ魔法言語の研究が進歩したか」

「何だって?」

 稗田は、懐に入れていた『暗号総論』をとりだし、ぱらぱらとめくった。

「……お前、そんなものまで」

「大事なものだもの。父さんの形見でさ。──まだ月は出てないわね」

 稗田は空を見上げて言った。

「特殊なインクかなにか使ってるみたいで、月光の下でないと読めないの」

「……ゆうべ、読んでたのはそれか」

「うん。──幻病の目にだけ見えるんだって。きっと私のために書いてくれたんだわ」

「……ちょっと貸してくれ」

 カラスは、稗田から本を受け取ると、ぱらぱらとめくってみた。

「これ──たぶん、俺でも読めるぞ」

「え!」

「月が出てないからよく分からないが──月砂墨だと思う。この街じゃあまり知られてないみたいだが、もともと人間には読めない文字を書くためのものだよ」

「人間には読めないって──だったら誰が読むっていうのよ」

 稗田は不満そうに反駁した。

「だから俺みたいなのさ。月の魔力によって生きるものだけが読める。人間のなかでは例外的に、幻病の奴が、俺たちと同じような目をしているのさ」

「ふうん……」

 なんとなくまだ納得がいかない様子で、稗田は言った。

「……それじゃ、読めるのね?」

「月が出ればな」

 カラスはそっけなくそう言った。

「ま、とりあえずは……」

 続けて、そう言いかけたときだ。

 表通りのほうから、大きな声が聞こえてきた。

「おい! そこに誰かいるのか!」

(まずい──)

 カラスと稗田は顔を見合わせた。だが走りだす間もなく、路地に、何人もの男たちが入りこんでくる。職人風の、体格のいい男たちだった。

「あんたら──魔法研究所の人間か」

 いちばん年かさの男が、そう訊いてくる。

「違うよ」

 カラスはそう言ったが、男は納得しなかった。

「その女は月光症だ。俺は知ってるぞ──研究所の女だ」

「……だったらどうなんだ」

「引き渡せよ」

「嫌だね」

 カラスがそう言ったとたん、男たちが殺気づいた。

 ナイフに金属の棒、鍛冶場のものらしい大きなハンマー。

 相手の武器はそんなところだ。

(逃げるだけなら、なんとかなるか──?)

 カラスは自問した。一人なら簡単だが、二人を連れて、となると……。

 ──背後に隠れるようにして立っている稗田に、そっと囁く。

「……二人ですぐ逃げろ。俺がなんとかする」

 稗田は、わずかの間ためらったが、少女のほうを見て決心した。

 すぐに、少女の手を引き、くるりと背を向けて反対側へと駆け出す。

「おい! 待て!」

 背後から、さきほどの男の声が追いかけてくる。

 稗田は必死で走った。


                    *


 月の光がさす道を、ウナは一人で歩いていた。

 さすがに今の時刻になると、外に出ている人間はあまりいない。

 もうすぐ時空竜巻が来るというのに、街を出ようとする者もほとんどいなかった。

 ウナ自身も、そうするつもりはなかった。少なくとも、今は。

 カラスが彼女を置いていくはずはなかったからだ。

 研究所を出てからずっと、ウナは、カラスを探すためだけに、街を歩いていたのだ。

 あるいは、カラスに出会うより、街が滅ぶほうが早いかもしれない──そう思う。

 それならそれで構わなかった。衛史は死んだ。自分もカラスも死ぬ。そういうものだろう。

(……カラス)

 どこにいるんだろう──それだけを考えて、歩き続ける。

 大通りから路地へ、路地から大通りへ、裏道から表通りへ。

 そうやって、もう半日ほども歩き続けていた。

 そして、ようやく……見つけた。

「カラス……」

 路地裏に、ちらりと見えた鳥の姿に、そう声をかけて近づいていく。

「カラス。そこにいるの……?」

 それは鴉だった。

 羽を折られ、血を流して、ナイフで地面に縫い止められていた。

「……カラスなの……?」

 ウナは、そっとナイフを抜くと、鴉を抱え上げた。

「──ウナ──」

 かすかな声が、彼女の耳にとどく。

「──早く街の外へ──西へ逃げろ。時空竜巻が──」

「カラス!」

 ウナは、口元をひきつらせて、そう叫んだ。

「どうして──」

「──早くするんだ。そこに、落ちている本を持って──街の外に」

 表通りのほうから、人の声が聞こえてきた。

「……誰かいるの?」

 ウナは、振り向いてそう言った。

「──誰かいるの?」

 路地をのぞきこんだ女の声が、そう言った。

 ウナは、カラスを抱いたまま、かすかに頷いた。

 女──二十歳ほどの、背の高い女──は、路地に入ってきた。

「大丈夫? あなたも逃げてきたのね」

「……家族を探してたの」

 どう答えていいかよく分からなかったので、ウナは、とりあえずそう答える。

「そう、大変だったのね。……ねえ。あなた、それ──」

 少し、眉をひそめて、女がウナに言う。

 カラスのことか、と思って、ウナは答えた。

「探してた家族。──怪我してるの」

「──捨てなさい」

 急に、厳しい顔つきになって、女はそう言った。

「どうして?」

「もう死んでいるわ。それに……その鳥は、化け物なの。襲われて怪我をした人がいるのよ」

「だって……カラスも怪我をしているわ」

「駄目なのよ」

 幼児を諭すように、女は続けた。

「それのそばにいたら、きっと殺されてしまうわ。──捨てなさい」

「駄目」

 ウナは、女の目をじっと睨みつけた。

「いいから捨てなさい!」

 女は、業をにやしてカラスの首に手をかけた。


 ──ウナの中で、何か大きなものが、はじけた。


                    *


 それは龍だった。 

 中心街の一角から、突如、出現した龍は、街中で荒れ狂った。


                    *


 稗田は、それが街を破壊するのを見た。

 空を見上げると、ちょうど真上を飛んでいたそれと目があったような気がした。

 怖くなって、横にいた少女の手を握りしめた。

 温かかった。


                    *


 草薙は、月のよく見える丘の上に横たわって、空を見上げていた。

 街が壊れてゆくのが見える。

 けれども、そんなことは、彼にとってはどうでもよいことだった。

 ただひとり、稗田の安否だけが気遣われたが、それも、今となっては知りようがない。

 ただ、月が綺麗だった。それだけが、今は、彼の関心事だった。


                    *


 そしてカラスは、目の前で龍が女を食らいつくし、飛び去ってゆくのを見た。

 とっさに、どうにかしなければ、と思ったが、体が動かなかった。

 ウナは気を失って仰向けに倒れた。カラスも一緒になって地面に転がった。

 体が動かなかった。

 だが、月光がさしこんでいるから、しばらくたてば回復するだろう。

 そうすれば──


                    *


 ウナは夢を見ていた。

 衛史が死ぬ夢。カラスが死ぬ夢。

 たったひとりになってしまう夢。

 塔のなかでの百年は長かった。誰にも会えなかった。けれども、本当に一人きりというわけではなかった。カラスが生きていたからだ。

 死んでしまったら、もう絶対に会えなくなる。


 何もかもが壊れてしまう夢を見た。

 なぜか気持ち良かった。


 草薙という男の夢を見た。

 彼の目は優しげで、すべてを包み込むようなものをもっていて──

 そして、ひどく、寂しげだった。


 培養槽のなかの少女の夢を見た。

 夢のなかで彼女はその少女で、生まれてずっと透明なケースに入れられているのだった。

 外に出られたときの嬉しさといったら!


 衛史の夢を、カラスの夢を、稗田という女の夢を。見た。


 そして──

 彼女は目覚めた。


                    *


 カラスは自分の服を裂いて、そこに血で魔力文字を書きつけた。

 衛史の知らなかった単語。稗田の置いていったあの本に、載っていたものだ。

「──ん」

 ウナが小さなうめき声をあげて、目を開く。

「起きたかい。ウナ」

「カラス……大丈夫なの」

「ああ」

 大丈夫ではなかった。だがそんなことは言っていられない。

「ウナ。聞いてくれ。今から命名の儀式をやり直す」

「……儀式を?」

「ああ。いいか、あの龍をなんとかするには他に方法はない。やるんだ」

 ウナは迷わなかった。すぐに頷いて、聞いた。

「どうするの?」

「塔を出たときのことを思い出すんだ。鉄格子を溶かしたろう? あの感じを思い出して、龍を押し流す──まっすぐ東に動かすんだ。時空竜巻が来る方向に」

 カラスはそう言った。

 鉄格子を溶かし、塔から彼女を出したあの力は、おそらく滅びの力とは異質のものだ。

 ウナに備わっていた魔力の一部が、彼女の願いにこたえて発動したのだろう。

「そんなこと……できるの?」

「できるんだ。お前が持っている莫大な魔力をすべてそのための力に変換する」

 カラスは呪符を右手に掴んで、言った。

「そこに横になって、上着をまくってくれ」

「……うん」

 ウナは、冷たい地面のうえに仰向けに寝た。

 その、下腹。

 ちょうど臍の下あたりに、呪符が埋め込まれている。

 カラスは、目測で見当をつけて──そして、左手を思い切りウナの体に突っ込んだ!

「がっ──!」

 ウナが、苦しげなうめき声をあげる。腹からだくだくと血が流れていた。

 カラスの手は、彼女の皮膚を貫いて、体内の呪符に届いている。

(これだ……)

 カラスは、血と肉片にまみれたそれを取り出すと、右手に持っていたもう一枚の呪符を、同じように手をさし入れて埋め込んだ。

「これでいい……」

 痛みのあまりか、目を見開いたまま失神しているウナに、彼は囁きかけた。

「今より略式ながら、命名の儀式をとり行う。旧名、ウナ。月より生まれしものにて滅びを封じるもの。新名──」

 気合を入れるようにすっと息をついて、カラスは続けた。

「新名、ユナ。滅びを祓うもの! 目覚めよ、そして滅びをうち払え!」


                    *


 ウナの体が、すうっと光に包まれて浮かびあがった。

 その光はまさしく月光であった。

 中空高くまで浮かんだ彼女に、龍が近づいていく。

 ──ウナの表情が動いた。

 ウナは、にっこりと笑って、龍に手をさしのべた。


 おいで。

 消してあげる!


 龍は彼女に絡みついた。

 何度も何度も、ウナと龍は互いに位置をかえ、絡んだり絡まれたりして、動いた。

 そして、しだいに、彼らは西へと向かっていった。


 草薙はそれを見ていた。

 稗田もそれを見ていた。

 カラスも、そしてあの少女も。

 街のほとんどの人間が、同じようにそれを見ていた。


 街より少し離れたところに、時空竜巻が発生していた。

 強烈な歪みのかたまりが渦を巻く空間。

 彼らはそこに、ひとかたまりになって突っ込んでいった。

 そして、彼女だけが、残った。


 彼女は、滅びのすべてを祓いおえると、地面に手をついて吐いた。

 胃液と血にまじって、魔力文字のかかれた呪符を吐いた。

 そして全身から血を流して転がっていた。


 ──月の光のさす、夜に。

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