宇治川の瀬々の頻波
いくつかの路線を乗り継いでいるうちに車窓から望める風景はだいぶ変わってきた。数両編成の鈍行列車は水白田の広がる盆地をその山の裾に沿ってかけてゆく。深い緑に覆われた山々の頭上を泳ぐ白雲は入道と呼ばれるに相応しい迫力を備えていた。
いくらかくすんだガラス窓の縁に肘をついていた彼は今通過しようとしているこの里に幾何か郷愁を覚えた。けれども、確かにこの風景は覚えのないものではなかったが、このノスタルジアはどちらかと言えば農村風景一般に対する素朴な憧憬ともいうべきものであった。
遠景には陽炎がたつ。それと比して車両自体は空調設備を備えていなかったが、窓がどれも薄く開かれていたので蒸してはおらずいたって快適だった。
目的地は祖父母の住んでいた町、山間の地にたたずむ小さな町だ。数年前に祖父母が相次いで他界してからというもの訪れた記憶は彼にはなかった。であるから今回の訪問は帰省というよりか、田舎への小旅行といった心持のほうが大きかった。宿は祖父母の自宅を利用することにしていた。それは父親が相続していたのだが地元の知人に管理を任せ、2年に一度ほど掃除もしてもらっていたので宿としての利用には十分堪ええた。
この旅行の目的はある一家を訪問することである、ただそこを尋ねてどうこうしようといった考えは全くなかった。尋ねることそのものが目的であった、そうすることで少しは慰めを得られると思えたからだ。
既に裾野を逸れ盆地を横切るように進んでいた列車は大きな川に架けられた鉄橋に差し掛かっていた。川はその底に転がっている石が見えるほどに浅くかつ澄んでいる。既にこの時、随分と感傷的になっていた彼は「この川」とかつての情人とを重ね見て独り言つ。
しくしくに、妹は心に乗りにけるかも。