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SKIT 1

 

 三峰有理みつみねゆうりの咥えた光が暗闇を裂いた。

 その裂け目から覗く細い足。

 

 舐めるように上へと向かう光が女性の顔を照らす。

 青白く塗られた肌は、人形を思わせた。

 

 光に瞳を細め、彼女は有理へと一歩近づいた。

 一拍おいて、何者かに糸で引かれたように、彼女の両手が肩の位置まで上がる。

 

 華奢な体、薄い膨らみ膨らみから流れるように繋がるくびれ。

 それを包み込むドレスは、まるで彼女の体そのものとして生まれ出でたかの様な繊細なシルエットで揺れる。

 弦を引き絞った弓の様な緊張感が、ドレスの裾にまで行きわたる。


 有理はそれを黙ったまま見つめた。


 ーーそして小さく頷くと、ライトの光で輪を描いた。

 彼女はくるりと一周回って見せる。

 裾が柔らかく宙を舞った。


 有理の右腕に巻かれた針山に、糸を引いた針が帰る。

 それを確認すると、彼女は再び暗闇に溶けていった。

 

 間を空けず、次の女性が有理の前に立つ。

 有理の虚な瞳が次、その次に並ぶ女性たちを写すと、汗腺がイカれたのかと思うほど、脂汗が吹き出てきた。

 塗れたシャツがぬらりと背にまとわりつく。

 

 熱い。

 動悸は数十分前からありえないスピードでビートを刻み続けている。

 全身を駆け巡る血液が、有理の体温を跳ね上げていた。

 

 脇に準備していたペットボトルに口をつけるが、中身は既に入っていなかった。


「ーーくそっ!」


 思わず、口が滑る。

 女達のガラスの瞳が、一斉に有理に光を向ける。

 いくつも並ぶ二つの光はまるで闇夜に潜む猫を思わせた。

 有理は慌てて右手を上げる。

「ごめん、問題無いよ」

 細く小さな声で謝ると、光は散り散りに方向を変える。

 

 有理は枯れ果てそうな唾を無理やり飲み込んだ。


 責任という名のギロチンが、有理の首の上で艶めかしく光る気がした。

 ーーいっその事、その刃をすぐにでも落としてくれないものか。今繰り広げられている事態に嬲り殺されるより、遥かに人道的だ。

 

 もう、全裸で叫び出した気分だった。

 

 壁一枚隔てたそこに、光り輝くランウェイ。

 華やかなドレスに彩られるはずだったランウェイに、生まれたままの姿の男が、始まりもしなかったコレクション終了の挨拶をする。

 これ程滑稽な絵は中々無いだろう。

 

 見出しはこうだ。

『世界的ブランド、裸の王様』


 

 ーーーーいやいや、と有理は首を振って補正を待つモデルに向き直る。

 

 

 いつもの事だ。

 そう呟いて有理は自分を納得させる。


 ーー今度も大丈夫。

 今度。

 今度は……

 ーーーー今度こそ終わりかもしれない。


 こんな呪いにも似た自問自答を、有理は既に1時間以上続けていた。


 saintセイント methodメソッドの2017 A/W ランウェイコレクションは今、過去最大のトラブルに見舞われていた。

 

 今迄も、幾度となく窮地には立たされてきた。

 しかし、繰り返えされる問題に立ち向かう度、研磨されてきた有理の自信が、脆く音を立てて崩れる。

 

 右も左も朽ち果て、足を縦に並べることで精一杯な一本道だけが残る。

 気がつけば有理の背を押す何者かの手。

 顔を上げると黒い渦が有理を飲み込まんと口を開けている。

 

 ーーーーあぁ。

 ここがエンディングか。

 ……精一杯足掻いただけの、儚い人生だった。

 

「…………さん?有理さん!?」

「っはぁ!」

 肩に置かれた良白南いいしろみなみの手に、幻覚から覚める。

「大丈夫ですか?すごい汗ですけど……」

「あ、あぁ。うん。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫……大丈夫」

「大丈夫じゃ……ないですね……わかります。私も大丈夫じゃないですから」


 有理は左手に巻かれた時計に光を落とした。

 開始の時刻は既に15分を超えている。

 

 壁一枚隔てた観覧席からも、サワサワと不穏な空気が押し寄せ始めていた。

 恐怖に溜息すら出てくれない。

 体中に腐敗した空気が澱んでいた。

 

 なんでこんな事に。

 それだけが頭を駆け巡っていた。


 ーー自分が悪いのか?

 確かに、想像すれば直ぐに至るはす結果だった事は認める。

 あの男の、今までの暴挙を鑑みれば、2、3手は予防線を張るべきだったのだ。

 

 有理は下唇を噛み締めた。


 仕方がないではないか。

 流石に、ブランドのデザイナーが、命運のかかったコレクションを前に行方不明だなんて、誰が想像できるものか。

 

 しかもだ。


 コレクションの目玉として制作されたドレスを持ったまま、というおまけ付きだ。

 むしろ。

 そのドレスが肝心なのだ。

 正直言えばデザイナー本人など、どこぞで野垂れ死んでいてくれて一向に構わなかった。

 

 制作費だけでも、桁が一つ違うドレスだった。

 緻密なレースで作られたドレス。

 有理が日本から持ち込むギリギリまで、寝る間も惜しんで完成させたものだった。 


 メディア各所にも、事前にその情報を仕込み済みである。

 出てこないなんて事にでもなったら、ブランドとして言い訳は立たない。

 日本の本社からも、お叱り程度では済まないはずだ。

 

 …………昨晩、どうしても直したい箇所があると風の様にドレスをさらった時、有理は一抹いちまつの不安を覚えていた。

 しかし、こちらもコレクション前日だ。余裕などくず程も残っていない状態だった。

 次々起こる諸問題は、有理の不安を彼方へ吹き飛ばしてしまったのだ。

 

「おい……生駒いこま……いや、あの野郎、まだ見つからないのか?」

 有理は隣で顔面を蒼白にさせている良白へ小声で、可能な限りの怒気を納めて訪ねた。

 瞬間、良白の両肩が無数の針のように飛び上がった。

「すいません!先生の車も、あ、あの、駐車場になくて、電話も、その、で、出なくって……」

 良白は小さな体を抱えて、さらに小さくなっていく。

 

 かわいそうに、震えているではないか。

 しかし、いたわる気持ちにはなれなかった。

 

 自分も震えているのだから。

 

 良白は今にも泣き出しそうだ。

「……ごめん。とりあえず良白さんは電話を鳴らし続けて。あとモデル達に事情を説明して待機してもらって。いつでもコレクションが始められるように」

 良白は首を捥げそうなほど縦に振り回すと、電話を胸に抱えて駆けて行った。


 その背を見送ると、有理は一度細く、長く息を吐く。

 恐怖に丸まりそうな背筋をなんとか伸ばし、顔を上げると、待機していたモデルは、示し合わしたように両手を挙げた。

 

 白と黒で構成されたドレスの背をつまんで針を入れる。

 10針程通したところで糸を引き上げると、ドレスはまるで意志を持ったようにモデルの体を包見込んだ。

 

 ーーーーその時だった。


「うまくなったもんだねぇ、ゆーり」

 有理の耳元で声が響いた。こそばゆい吐息が全身の毛を逆立てさせる。

「ーーうぉ!!!!」

 極度の緊張状態への一撃に、有理は慌てて息の主と距離を取る。

「このやろーーーー生駒さん!」

 行方不明の生駒聖堂いこませいどうだった。


 生駒は右手をヒラヒラと蝶の様に振る。

 それがモデルの肩に止まると挨拶とばかりに頬を合わせた。

 眉を少し困ったように歪ませながらも、モデルはそれに応じる。


「ちょっと生駒さん!あなたどこに行ってたんだすか!?……っつーか酒クサッ!」

「いやぁ、はは、ちょっとねぇ。景気づけに、ちょっとね。パリでもビールはうまいねぇ。まぁ気取ってワイングラスに入れるあれはなんとも理解が出来ないけれど。ぼくぁさ、取っ手が付いていないとビールを飲んだ気がしないんだよねぇ」

 そう言いながら、右手にもったボトルに口をつけ勢い良く煽る。

「ぷぁッ…ふう。次来るときにはジョッキを持ってこよう」


 有理は唖然として言葉を詰まらせる。

 あまりにも想像の範疇を超えていた。

「次があればいいですけど……」

 有理は鈍器で殴られた様に響くこめかみを押さえながら言った。

「なぁに弱気になってるんだよ!俺たちなら出来るさ」

 有理の眉間に深い皺が刻まれる。

 動脈がはち切れそうな程うねりを上げているのがわかる。

 

 ーーしかし今はそれどころではない。

 

「とにかく出してください!」

 有理が生駒の肩を揺する。

「おいおい、なんだよ?だすって何を?尿意はないよ?さっきジョッキ3杯分は出たからね」

「何杯飲んでるんすか!?というか、冗談は後で聞きます!メインのドレスですよ!」

「メインのドレス?」

 生駒が人差し指を頬に添えながら、視線を宙に揺らつかせる。

「早くしてください!あなた昨日ホテルに持ち帰ったでしょう!?」


「あぁあれね。あれは譲ったよ」



 鼓膜が言葉を逃してしまうほど、あまりにも軽々しい言葉だった。

 有理はようやく捕まえた言葉を反芻する。

「……譲った……はぁ?」

 有理の顎がと両腕が力を失いぽかんと落ちた。


 しかし、すぐに押し寄せた理解が、脳を埋め尽くした。

「譲った!って!誰に!どこで!え?なんで!?」

「おいおい、せっかちは寄せよ。男は太く長いのがいいんだよ?ねぇ?」

 生駒はそう言ってモデルの腰を引き寄せる。

 有理はモデルにキスをせがむ生駒の胸ぐらを荒々しく掴むと、モデルから引き剥がし唇が触れる寸前まで引き寄せる。

「冗談言ってる場合ですか!メインのドレスを人に譲るって!何考えてるんだよ!!」

「おいおい、やめてよ。破けちゃうからさぁ。服には優しくして、っていつもいってるだろぉ?」

「いいから早く言えって!」

 力の加減が効かず、首を絞られた生駒の顔色が紫へと変化する。

「しま、閉まってるってば!昨日!夜に寝た女だよ!」

「寝……たって」

「あぁ、いい女だったからさ、僕の作ったドレスを着てくれないかって。そりゃあ綺麗だったよ。だからさ、このドレスは彼女に会うためにこの街まで来たんだって、そう思ったんだよ」

 生駒は昨晩の情事にうっとりと目を溶かす。

「あるべき人のところに還ったんだ。喜ぼうじゃない!」

「……あんたって人は……」

 有理は力なく生駒を解放した。

 登りつめた血が、一気に急降下する感覚。

 有理は驚くほどに冷めた拳を、硬く握り締めた。

 

 ほとんど無意識だった。

 気がついた時には、左腕が生駒の鼻頭を打ち抜いていた。

「いってぇっ!あにするんですかぁ!」

 生駒は鼻から流れる血を押さえながら有理から距離を取る。


「皆に土下座してこい」

 

 骨と骨のぶつかる音が鈍く響きわたった。

 躊躇のない右拳が生駒の体を弾き飛ばす。

 生駒は、ランウェイと舞台裏を隔てる壁に叩きつけられた。

 大人が力一杯押せば容易に倒れる程の簡易的な壁だ。

 制御を失った生駒の体は、当然それを押し倒し、ランウェイに放り出された。


 コレクションを待つ全ての視線がそれを凝視していた。


 女性の小さな悲鳴が上がる。

 誰もが息を飲んだ。

 ランウェイを照らしたスポットライトが生駒に降り注ぐ。


 有理にはそれがまるで天使でも舞降りてきそうな荘厳な光景に見えていた。

 

 神様。

 お願いだから、もうこの男をそらに連れて行ってください。

 有理は天井を仰ぎみる。



「ーー有理さん!やっぱり繋がらなくって……って、え?な、なんでしょうか?これ……は……」

 泣きながら戻ってきた良白は壊滅した会場を見るとーー


 ーー泡を吹いて卒倒した。


 有理がそっと良白の元へ歩み寄る。

 ……かわいそうに。

 有理は良白の短く細い髪を労わりながら撫でると、自らも身を横たえる。

 

 そして、そのままその瞳を閉じた。


 右手が疼きが血の流れを強く意識させる。

 しかし痛みはなかった。

 ひどく疲れた。

 もう、なんだか眠いんだ。

 

 

 そう。

 そうだ。これは夢だ。

 きっと極度のストレスが見せる幻覚に違いないのだ。

 


 目が覚めたら、きっと本当のコレクションが始まるのだ。


 そうに違いない。

 そうに違いないのだ。


 祈るような気持ちで、有理は意識を手放した。


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