初陣(一)
「情けない男め。これぐらいのことでよだれをたらして苦しむとは」
金髪の少女が、苦しみのあまり気を失いかけていた須永正吾の腹を乱暴に蹴った。
「けほ、けほ、ごほ!」
「立て。貴様に巻きついていた蛇は、私が食ってやった」
少女はそう言いながら、にたりと微笑して自分の腹をさすった。外見は十二歳ぐらいだが、その言動は子どもとはとても思えず、気品漂う犯し難い威厳が少女にはあった。
少女は、芸者のように真っ赤で金箔の施された華美な着物を着ていて、歩くたびに身長と同じくらいの長さの金髪がキラキラと輝く。幼い容姿ながら、この世のものとは思えないほどの美しさだった。
「けほ、けほ……。あなたに教わった通り、二つ割りにした竹の中に蛇を入れて縛り、首相公邸の方角に頭を向けて生き埋めにしたというのに、巫蠱の術を二度も陰陽師に破られてしまった。くそっ……。平野道隆さえ死ねば、次の総理大臣は私なのに……」
正吾は悔しそうに顔を歪めて、そう言った。すると、金髪の少女はクックッと笑う。
「そなたを今の地位まで引き立ててくれた恩人の命を狙い、自分が取って代わろうとするとは、何とまぁ醜い。……私はそういう男が大好きじゃ」
少女は「好きだ」と言いながらも、虫けらを見るような目で正吾を見下している。彼女は全ての人間を塵芥のごとく思い、低レベルで愚かな生き物だと馬鹿にしているのだ。正吾を助けたのは、彼にはまだ利用価値があるからである。
「とはいえ、困ったことになったわ。今の腑抜けで国民の支持率のことしか頭にない総理大臣を祟り殺し、貴様のように平気で悪事を働ける男を新しい総理大臣にして、私が影からこの国の政治を好き勝手しようと考えていたのに。安倍晴明の子孫と怪しげな陰陽師の親子……二組もやっかいな存在が現れおった。私が一日に三回くしゃみしたら三百人を無実の罪で死刑にする法律をつくるとか、色々と面白い遊びを考えていたのになぁ」
少女は、土御門家の当主・晴英が年老いて、後継ぎの美恵が京都で修行中の今ならば、日本国を滅ぼす陰謀を実行できると考えていたのだが、読みが甘かったと少し後悔していた。土御門家は、大妖怪の完全復活を是が非でも未然に防ぐために、まだ十四歳である美恵の修行を切り上げさせて正式に当主の座につかせ、東京に戻したのだ。
陰陽師としての実戦をまだ経験していないひよっことはいえ、美恵は安倍晴明の力を受け継いでいる。しかも、晴明の子孫の中でもかつてないほどの霊力をその体に秘めているらしい。今、美恵と戦い、下手をしたらまた封印されてしまう恐れがある。
「正吾。各地に散らばった殺生石の欠片はまだ見つからんのか。あれが全て集まりさえすれば、陰陽師の一人や二人……いや、何百人いても返り討ちにしてやる自信があるのに。そうすれば、貴様の総理大臣になりたいという野望の手助けも、もっと強力な呪術でしてやれるのだぞ」
「たくさんの人間を大金で雇って、全国を必死に探させている。連絡によると、東北と四国で一つずつ発見したそうだ。数日内にここへ届くよう手配してある。……しかし、あといくつ見つけ出せばいいのだ? 切りがないぞ」
「私にも分からん。なにせ、バラバラになって飛んでいったからなぁ。私の魂が宿った殺生石の欠片は、越後国……今は新潟県と呼んだな。新潟県の高田という土地に落ちてな。ずっと、ずっと、気が遠くなるほど長い年月、身動きを取る力もなく、じっとしていたのだ。二か月前に、露の葉とかいう白狐が私のそばを通りかかってくれた時は、あの狐の女が救いの女神のように思えたぞ。たっぷり、奴の霊力を奪い取ったおかげで、五歳児ぐらいの人間の姿に化けられるようになったのだ」
その後、少女は、千年前の京の都とはまったく違う東京へと行き、土御門家で眠っていた殺生石の欠片を取り戻して吸収し、十歳ぐらいの少女の姿になった。そして、この国の「影の最高権力者」と言われている須永正吾を魅了の術で心を虜にして自分の味方に引き入れ、各地の殺生石の欠片を探させたのである。しかし、正吾がこれまでに発見した欠片はどれも小さく、いまだに十二歳ぐらいの姿であることに少女は不満だった。
「私ほどの絶世の美女はおらんというのに、このようなお子さまの姿のままいつまでもいたくはない。正吾、早く全て集めるのだ。そうしないと、平野道隆を守っている陰陽師たちを倒せないぞ」
「……そのことで、私に良い策があるのだが」
正吾がそう言うと、少女は赤い瞳を妖しく光らせて微笑んだ。
「ほう……。どんな策じゃ」
「陰陽師同士を戦わせるのだ。いい考えだとは思わないか、玉藻前よ……」
その頃、土御門家に戻った美恵たちは、居間で少し遅めの昼食をとっていた。
昼食のメニューは、美恵が出かける前にあらかじめ下準備をしておいた、ぶりのあらをだし汁にした水菜と漬物だった。「また年寄りくさい料理を食わせる」と晴英が愚痴を言ったが、口にするとあらの旨味が水菜に染みわたって非常に美味だったため、食事が始まってからは何ひとつ文句を言わずにもくもくと食べるのであった。
食事中、美恵は晴英に首相公邸で起きた出来事を報告した。
「三重道鬼……。あのインチキ陰陽師、また東京に現れたのか」
「インチキ陰陽師? 息子の宗十郎という人は、すごい術を使えたよ。不動王生霊返し……。あれは、土佐国(現在の高知県)の物部村という地域で昔から伝承されていた民間の陰陽道・いざなぎ流の秘術だった。彼の呪術の力は尋常なものではなかったわ」
美恵が言うと、晴英は意外そうな顔をして驚いた。
「大した呪術も使えない道鬼に、それほど優秀な息子がおったのか。あの飲んだくれになぁ……。うらやましいわい」
晴英の後を継いで陰陽師になることを拒んだ息子の晴勝のことを思い出しているのだろう。晴英は少し寂しそうな表情をした。
「そういえば、あのおじさん、自分はぐびぐび酒を飲んでいて、陰陽師の仕事は息子に任せっきりでした。美恵さまのことを小娘と馬鹿にしていたくせに、やっぱりインチキ陰陽師だったんですね! 許せません!」
夢の葉はプンスカと怒っている。一方、晴久はなぜか元気がなく、会話に入ってこない。
「あいつは昔から口が悪く、態度がやたらでかい奴だった。陰陽師としての実力は大したことはないが、悪知恵だけは働いてな。しょっちゅう、ワシの陰陽師の仕事を邪魔して、時には仕事を奴に横取りされることもあった。そして、一番タチが悪いのが、依頼主を呪詛から助けてやると、何百万、何千万円という大金を報酬として支払えと迫るのだ。金が払えずに道鬼に呪術で嫌がらせをされて、自殺した哀れな人間もおる」
「そ、そんな……。ひどい……」
美恵は、道鬼のあまりにも非道な行ないを聞いてショックを受けた。そんな父親の手足となって陰陽師の仕事をしている宗十郎は、どんな気持ちなのだろう。
(私、陰陽師の修行が辛くてくじけそうになった時、お父さんがそばにいてくれたらと何度となく思っていた。私とハルを捨てた人なのに……。あの宗十郎という人は、金のためなら人を自殺にまで追いやる父親と一緒にいて幸せなのかな?)
優しくて大好きだった、でも、自分と弟を捨てた父・晴勝。
晴久は父のことを恨んでいる様子だ。美恵も、晴勝のことを恨んでいないわけではない。しかし、恨みよりもはるかに大きい父への愛情が、まだ美恵の胸の内に残っていて、心のどこかで父にもう一度会いたいと思っているのだ。……そして、晴久も心の底ではそう思ってくれていることを願っている。
宗十郎がどういう人間なのかは美恵には分からないが、金もうけのために息子を利用する道鬼のことを不満に思っていたとしても、彼は父から離れられないのかも知れない。美恵と同じように、胸の内にある肉親への愛情が父を切り捨てることをさせてくれないのだと思う。
そう考えた美恵は、何となく宗十郎と自分は似ているところがあるのかもと感じていた。
「でも、道鬼っていうおじさんは、どうして土御門家の邪魔をしてくるのでしょうか?」
美恵が宗十郎について色々と考えている間も、夢の葉と晴英は道鬼について話し続けていた。
「あやつは、蘆屋道満の子孫なのじゃ」
「ええっ⁉ 蘆屋道満⁉ ……って誰ですか?」
ズルッと晴英が椅子からずっこけそうになる。
「……そうか。夢の葉は大人の白狐たちからまだ聞かされていなかったか。蘆屋道満という安倍晴明の宿敵の名を」
晴英は、夢の葉に蘆屋道満について説明を始めた。