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キラメク七つ星  作者: 青星明良
巻ノ一 九尾の狐
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呪詛返し(三)

 美恵と晴久、夢の葉は、永田町駅で待っていた紗枝子に案内されて首相公邸に入った。三人は一国の首相が住む建物の豪華さに驚いたが、いざ中に入ってみると、

「うわ、何ここ……」

「色んな霊がうようよさ迷っている……」

「ゆ、ユメ、さっき軍人さんの幽霊と目が合っちゃいました……」

 見鬼(けんき)の眼を持っている美恵たちは、首相公邸に棲みついているたくさんの幽霊たちと何度もすれ違い、ゾッとした。

(そういえば、今の公邸は旧首相官邸を移築した建物だってテレビで言っていたな……)

 晴久は歴史の勉強が好きなので、旧首相官邸が、犬養毅総理大臣が暗殺された五・一五事件や陸軍の若い軍人たちが反乱を起こした二・二六事件の舞台となっており、たくさんの人間がここで命を落としていることを知っている。夢の葉が()たという軍人の幽霊は、おそらく、二・二六事件後に反逆罪で刑死した軍人の幽霊かもしれない。

 霊力を持たないくせに見鬼の力だけは姉の美恵よりもなぜか強い(計り知れない霊力を持っていながら、不思議なことに美恵の見鬼の力は並みの呪術者より少し強い程度で、歴代の土御門家当主の中では平均以下なのである)晴久は、そういった強烈な怨念を持った人間の霊だけでなく、首相公邸に漂う怨念に吸い寄せられて集まった野良犬や野良猫の死霊まで視えてしまい、吐き気をもよおすほど気分は最悪だった。

「姉ちゃん。こんな所に住んでいたら、誰かに呪われなくても体調を崩しちゃうよ……」

 紗枝子に聞こえないように、晴久が耳打ちすると、美恵は首を左右に振った。

「首相を苦しめているのは、公邸内をさ迷っている死霊じゃないわ。昨日、総理大臣の体にまとわりついていた蛇の怨念を操っていたのは、総理を憎む何者かよ。本当に恐ろしいのは、死霊よりも生者の妬みや憎悪なの。生きている人間の怨念ほどタチが悪いものはないのよ」

「どうして?」

「生きている人間は、憎い相手をとことん追いつめようとするから。たとえ本人が相手を呪おうとしなくても、無意識に憎い人間のもとへ生霊となって飛んでいき、相手を苦しめるというケースもある。それほど、人間の負の感情というのは強い力を持っているの」

 美恵の言葉を聞いて、晴久は背筋が寒くなった。

(人が人を憎む行為というのは、僕が思っているよりも、ずっとおぞましいことなのかもしれない……)

 そんなことを考えて歩いていたものだから、晴久は廊下で背の高い男性とぶつかってしまった。「すみません……」と謝りながら、顔を上げて男性の顔を見ると、テレビのニュースによく出てくる人――官房長官・須永(すなが)(しょう)()だった。

「紗枝子さん。この人たちは?」

「私のクラスメイトの土御門(つちみかど)晴久くんと、そのお姉さんの美恵さんです。美恵さんは陰陽師で、昨日、パパを助けてくれたんです。だから、また苦しみだしたパパを見てもらおうと思って……」

 正吾は蛇のように冷たい目で美恵を睨むと、フンと鼻を鳴らして顔をそむけた。こんな子どもに何ができるというのだとでも思っているのだろう。

 常識的に考えたら、「この人は陰陽師で、すごい力を持っているんです」と紹介されたら、胡散臭いと思ってしまうのが当たり前かも知れない。「わぁ! すごい!」とあっさり信じてしまうのは、世間知らずでお人よしな紗枝子ぐらいだ。しかし、詐欺師を見るような目で姉を睨んだ正吾に対して、晴久はいい印象を持てなかった。

「私も総理のことが心配で、今駆けつけたのです。一緒に行きましょう」

 そう言うと、正吾は美恵たちにいっさい見向きもせず歩き始めた。

「あのおじさん、ちょっと恐いです……」

 夢の葉が小声で言って美恵の腕にしがみついた。正吾に睨まれた美恵本人はあまり気にしておらず、「あの人は総理大臣のお友だちかな?」などと独り言を言っている。

「官房長官の須永正吾だよ。テレビのニュースを見ていたら嫌というほど出てくるのに、姉ちゃん、知らないの?」

 さすがにあきれた晴久がちょっときつめに言ってしまうと、美恵は「うっ」と喉をつまらせ、シュンとなってうつむいた。

「だ、だって、ひいじいちゃんの家のテレビ、山が邪魔しているせいで電波が届きにくくてほとんど映らないんだもん。それに、新聞もとっていないし、パソコンだってないからニュースなんて……。それどころか、ドラマやお笑い番組も観られなかったし。馬鹿なお姉ちゃんでごめんね……。ちなみに、官房長官が何なのかも知らないから。笑っちゃってよ……」

 テレビがない生活によほど不満がたまっていたのか、美恵が珍しくいじけて愚痴りだした。しかも、すねている。晴久は姉に無神経なことを言ってしまったと反省した。

「ご、ごめん。悪かったよ。……官房長官というのは、総理大臣を補佐する国務大臣なんだ。すごく重要な役職だから、首相が信頼している人物が任命される。須永官房長官も平野首相とは長い付き合いの政治家で、『総理の女房役』とか『影の最高権力者』なんて言われているんだ。今度の日曜日に行われる衆議院総選挙後、第二次平野内閣でも須永正吾が官房長官になるだろうっていう噂だよ」

「影の最高権力者か……。ふーん……」

 美恵は、せっかちな性格なのか小走りに近い速さで歩く須永正吾の背中をじっと見つめた。


「うう……ぐぅ……。ど、どんな方法でもいいから早く助けてくれ……」

 平野首相がいる部屋に入ると、今にも消え入りそうなうめき声が聞こえてきた。首相はクリーム色のソファーに寝そべり、ほとんど虫の息の状態だったのである。晴久が見鬼の眼で視ると、昨日と同じように首相の首には怨念と化した蛇が巻きついていた。

「安心せい。(わし)の息子が今助けてやる。ただし、ちゃーんと謝礼はいただくぞ」

 首相のそばには、(かり)(ぎぬ)すがたの二人の男が立っていた。狩衣とは、平安時代の貴族の普段着(最初は狩りをする時に着た)で、現在では神社の神職が着ている装束だ。

 首相に対して尊大な態度をとっている太った男は、四十代後半か五十代前半ぐらい、顔が赤鬼のように真っ赤で腰に大きな瓢箪(ひょうたん)をぶら下げている。その男の横にいる高身長ですらりとした体型の人物――太った男の息子らしい――は、なぜか顔に能の鬼の面をかぶっていて素顔は分からない。ただし、雰囲気からしてまだ少年のようである。二人は狩衣すがただが、頭にかぶる烏帽子はしておらず、腰までかかるほどの長髪だ。

「パパ、この人たちは誰?」

 首相公邸にこんな怪しげな男が二人……。警戒した紗枝子が父に聞くと、平野首相は荒い呼吸をしながら、

「し、知らぬ間に、この部屋に現れたんだ……。はぁはぁ……。わ、私を呪いから助けてくれると言っている……」

 と言った。厳重な警備がされている首相公邸に勝手に入り込むことができたという時点で、ただ者ではないだろう。だが、紗枝子はこの狩衣すがたの男たち――特に鬼の面をした少年(?)が不気味に思えて、こんな人たちに助けてもらって大丈夫だろうかと不安になった。お人よしの紗枝子がそう思ってしまうほどの得体の知れなさがこの二人にはあったのだ。

「昨日パパを助けてくれた陰陽師さんに来てもらったの。パパにも昨晩話したでしょ? 陰陽師の美恵さんは私のクラスメイトの晴久くんのお姉さんなのよ。正体不明の人たちを頼るより、美恵さんに助けてもらったほうがいいって」

「無礼な小娘だな。儂と息子もれっきとした陰陽師だ。三重(みえ)(どう)()とその息子の(そう)十郎(じゅうろう)といえば、関西ではそれなりに名前が通っているのだ。総理大臣の一人娘でも、儂たちを馬鹿にしたら呪いをかけてやるぞ」

「ひっ……」

 道鬼にすごまれて、怯えた紗枝子は小さな悲鳴をあげた。政界の名門・平野家の令嬢として大切に育てられてきた紗枝子は、誰かに口汚く罵られた経験などなく、生まれて初めて家の外に出た幼女が猛犬に吠えられたかのように道鬼に対して恐怖を感じたのだ。

「三重道鬼なんて陰陽師、聞いたことないぞ。どうせインチキ陰陽師だろ」

 道鬼の態度こそ失礼ではないかと怒りを覚えた晴久が、紗枝子を自分の背中に隠すように前へ出て、道鬼を睨みつけた。

「僕の姉は偉大なる陰陽師・安倍晴明の力を受け継ぐ、土御門家の当主なんだ。お前たちの出る幕じゃない」

「土御門家……。安倍晴明の子孫だと……?」

 道鬼のドングリ眼が大きく開いた。そして、憎悪のこもった視線を美恵に向け、

「ふん……。セーラー服を着たこんな小娘など、たとえ安倍晴明の子孫でも大した力を発揮できまい。総理よ。儂たちに頼めば、今すぐにその苦しみから解放して、あんたに呪いをかけている人間を逆にこらしめてやることができるぞ」

 と、言った。すると、平野首相は「ほ、本当か⁉」とすがるような目で道鬼の腕をつかむ。

「ど、どうやって、助けてくれる? はぁはぁ……。またお札で呪いを防ぐのか?」

「そんな甘いやりかたではない。あんたは今、蛇の呪いをかけられている。だから、その蛇の呪いをあんたに呪詛をかけている人間に返してやるんだよ。呪詛(じゅそ)返しだ」

「呪詛返し? そんなことをしたらダメです!」

 今まで黙っていた美恵が、ほとんど怒鳴るような声で言った。

「呪詛返しは、自分にかけられた呪詛を数倍にして相手に返す危険な術です。これほど強力な呪詛を返してしまったら、総理大臣に呪詛をかけている人間は間違いなく死んでしまいます。そんな術を使わなくても、私が占いで呪詛をかけている人間の家を見つけ出して呪いをやめさせます。だから……」

「人を呪わば穴二つ」

 鬼の面をした少年・宗十郎が、美恵の言葉をさえぎって言った。「え?」と美恵は宗十郎を見る。

「人を呪えば、自分もまた相手の恨みを買って呪われる。それが呪詛というものだ。呪いで人を祟り殺そうとする者の命の心配をする必要はない。それに、総理大臣に呪詛をかけた人間は、何の罪もない蛇を殺して、その怨念を利用した。見たところ、簡単な死霊返しの術でははね返されないように、自分の生霊と蛇の怨念を合体させて呪いを増幅させているようだ。蛇もさぞかし悔しいだろう。自分を殺した人間に呪いの道具として使われるのは。俺はただ呪詛の呪縛を解き、蛇の怨念を本当に祟るべき人間のもとへ返してやるのだ」

「でも、それは人殺しになります。いくら陰陽師でも、呪いをかけている人間の命を奪う権利まではありません」

 美恵は宗十郎につめよったが、道鬼が「うるさい!」と吠えて、美恵を突き飛ばした。

「姉ちゃんに何するんだ!」

「ユメの主さまに暴力を働かないでください!」

 カッとなった晴久と夢の葉が道鬼に対して怒った。その直後、

「ぐ、ぐわぁぁぁぁ‼」

 平野首相が首をかきむしって獣の雄叫びのごとく叫び、その場にいた全員が驚いて首相を見た。紗枝子が泣きながら、血の気を失って肌が(つち)気色(けいろ)になった父親にすがりつく。

「ぱ、パパ!」

「ほれほれ。早く呪詛返しをしないと死んでしまうぞ」

 そう言いながら、道鬼はクヒヒと笑い、瓢箪に入った酒をごくごくと飲んだ。道鬼の顔が真っ赤なのは、昼間から酒を飲んでいたからなのだ。

「た、助けてくれ! 呪詛返しでも何でもいいから助けてくれ! せ、選挙があるのに死ねるか!」

「よし。謝礼を忘れるなよ。五千万円だ。宗十郎、やれ」

「……はい」

「ち、ちょっと待て。ここは首相公邸だ。総理大臣の屋敷で怪しげな術を使うな」

 宗十郎が術を始めようとした時、官房長官の須永正吾が慌てて止めた。なぜか体がカタカタと震えていて顔色も悪い。しかし、宗十郎は正吾の言葉を無視して、首相に向けてすっと手をかざし、呪文を唱え始めた。

  もえん不動明王(ふどうみょうおう) 火炎(かえん)不動(ふどう)(おう) (なみ)(きり)不動(ふどう)(おう) 大山(おおやま)不動(ふどう)(おう) (こん)伽羅(がら)不動(ふどう)(おう)

  吉祥(きっしょう)(みょう)不動(ふどう)(おう) 天竺(てんじく)不動(ふどう) 天竺坂(てんじくさか)不動(ふどう) (さか)しに行なうぞ 逆しに行ない下ろせば

  向こうは()(ばな)に咲かすぞ……

「……これは、不動明王の力を借りて呪詛をはね返す不動(ふどう)(おう)生霊(いきりょう)(かえ)し……。生霊となった呪詛者の呪いがはね返された時、蛇の怨念も術から解き放たれて呪詛者のもとへ戻っていく……」

「ね、姉ちゃん! 官房長官の様子がおかしいぞ!」

 美恵が須永正吾のほうを見ると、正吾は滝にうたれたようにぐっしょりと汗をかいていて、呼吸もひどく乱れている様子だった。そして……。

 平野首相の首にきつく巻きついていた蛇がスルスルとその縛りを解き、首相の体から離れだしたのである。首相の土気色だった顔に生気が戻り、乱れていた呼吸も落ち着いてきた。首相が生気を取り戻していくのに反比例して官房長官に死相が浮かんでいく……。

  向こうは(あお)() 黒血(くろち) (あか)()

  (しん)()を吐け 血を吐け あわを吐け 息座味塵(そくざみじん)に (まろ)べや……

「ぎ、ぎゃぁぁぁ! や、やめろーーーっ!」

 首相から離れた蛇は、ついに正吾に襲いかかった。

 正吾は悲鳴をあげながら倒れる。蛇は正吾の足から頭までぐるぐると巻きつき、ギリリ、ギリリと正吾の体を締めあげていく。平野首相を呪っていたのは、首相が最も信頼していた官房長官だったのだ。

「ま、まさかお前が……。何ということだ! この裏切り者め! 重用してやったのに!」

 蛇の姿が見えない平野首相にも、正吾の苦しみようを見たら、彼が呪詛をかけていた張本人だということが分かる。首相は、自分の足元でジタバタ悶えている正吾を罵倒した。

しかし、正吾は何の反論もできないほどもがき苦しんでいる。

「ぐ、ぐぎぎ……。だ、だずげでぐれ……。だ、ず、げ、で……」

 あと数分もしたら正吾は死ぬだろう。美恵は、震えている夢の葉を抱きしめ、死を待つしかない哀れな男の姿をやるせない気持ちで見つめていた。

陰陽師とは、人間が呪いによって命を失ったり危険な目にあったりするのを防ぎ、人々を守るために存在するのだと曽祖父の晴定から美恵は教わった。だから、呪いをかけた人間も死なせてはいけないのだ。殺す権利なんて陰陽師にはないのだ。

 正吾を縛る蛇の締めつけは強さを増し、ミシミシと骨がきしむ音がしてきた。死の恐怖にかられた正吾は、最後の力を振りしぼって叫んだ。

「た……助けて……。たすけ、助けてくれーーーっ! 玉藻前(たまものまえ)ぇぇぇ‼」

 直後、正吾は美恵たちの前から消えてしまったのである。神隠しにあったかのように、こつ然と。

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