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キラメク七つ星  作者: 青星明良
巻ノ一 九尾の狐
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再会(三)

 平安時代に安倍(あべの)(せい)(めい)という偉大な陰陽師がいた。

 伝説によると、晴明は人間の男と美女に化けた白狐(びゃっこ)(くず)()との間に生まれ、幼い頃から鬼や妖怪の姿を見ることができたという。

 成長して陰陽師となった晴明は、ある時は祟りに苦しむ貴族たちを呪術で助け、ある時は占星術で未来を読み、ある時は雨乞いの儀式を行なって旱魃(かんばつ)から都の人々を救うなど、平安のスーパーヒーローというべき男だった。

 土御門家(つちみかどけ)の一族は、その安倍晴明の血を引く陰陽師の家系で、先祖代々、陰陽師として京の都を守ってきたのだ。しかし、土御門家の一員だった美恵と晴久の先祖は、ある理由から六百年ほど前に京都を離れ、関東に移り住んでいたのである。

 呪いや祟りというのは、人間が生み出すものだ。だから、徳川家康が江戸幕府を開いて江戸(現在の東京)が世界有数の人口を誇る都市になると、それまで江戸の小さな村で静かに暮らしていた美恵と晴久の先祖は陰陽師として盛んに活動するようになった。そうしないと、人々の欲望や憎しみの心から生まれる怨念や化け物たちが江戸をパニックに陥れてしまうからだ。

 美恵と晴久の祖父・晴英、(そう)祖父(そふ)晴定(はるさだ)も、陰陽師として東京で人知れず人々を救ってきたのである。だが、姉弟の父親である晴勝は家業を継ぐことを拒否し、七年前に晴英と喧嘩して土御門の家を飛び出してしまったのだ。この時、曽祖父の晴定はすでに京都の別荘で隠居しており、祖父の晴英も六十歳でそろそろ引退を考え始めていた時期だった。

 人間は、人間がいる限り、人間の呪いに苦しむ。東京には陰陽師の助けを必要とする人間たちが山ほどいるのだ。呪詛(じゅそ)や祟りから人々を救うためにも、土御門家は陰陽師の家業を継ぐ当主を絶やすことはできなかった。

 七歳の美恵が陰陽師になる修行をするために曽祖父の晴定がいる京都へと連れていかれたのは、そういった理由からだった。弟の晴久は陰陽師が術を行使するのに必要な霊力がほぼゼロであるということが判明していたので、祖父や曽祖父以上に先祖の安倍晴明の強大な霊力を受け継いでいた美恵に白羽の矢が立ったのである。

 晴久は、五歳で母を亡くし、六歳の時に父が家出し、その同年に慕っていた姉と引き離された。家には祖父と晴久の二人だけが残ったのである。

美恵が陰陽師となる修行をするために東京を離れて京都に行った直後、何の前触れもなく、晴久は並外れた見鬼(けんき)の力を得て妖怪や霊魂を()ることができるようになった。しかし、相変わらず霊力は皆無であったため、彼は陰陽師とは関わりを持たない普通の子どもとして育てられることになった。

(僕が役立たずだから、姉ちゃんが大変な使命を背負わされたんだ)

 晴久は、この七年間、ずっと自分を責めて、どうにかして姉の力になれないかと考え続けていた。陰陽師は常に危険と隣り合わせの仕事だから、美恵のボディーガードになれるように小学四年生から剣道の道場に通っていたが、どうにも筋が悪いらしくてなかなか上達しない。自信があるのは早朝ランニングで鍛えた体力と怪我をしにくい頑丈な体くらいだった。不思議なことに、晴久は普通の人間ならば大怪我するに違いない事故などに遭っても軽傷で済んだということが何度かあったのである(例えば小学生低学年の時に樹齢数百年の大木で友人と木登りをしていて二人とも足を滑らせて落ちたが、友人は右足を骨折したののに晴久は足をひねっただけだった)。

 霊力がなくてもせめて陰陽師の知識を身につけようと、安倍晴明が記したとされる『占事略決(せんじりゃっけつ)』などの書物を読もうとしたが、晴英に止められた。力を持たない人間が陰陽道を生半可に学んでも、自分の身を危険にさらすだけだと厳しく言われたのである。

「陰陽師の生きる世界は恐ろしい。呪術で戦う力がない人間は、深く関わらないほうがよいのじゃ」

 それがどういう意味なのかは、その時の晴久には分からなかったが、美恵の陰陽師の仕事にこれから関わっていくことで理解することになる……。


「よく帰ったな、美恵。七年間の修行、大変だったろう」

 世田谷区太子堂(たいしどう)の住宅地にある土御門家に美恵が七年ぶりに帰ると、祖父の晴英が涙で顔をくしゃくしゃにして出迎えてくれた。

 今年で六十七歳になる晴英は、若い頃のあだ名が「直球男(ちょっきゅうおとこ)」。

 喜怒哀楽のどんな感情表現も直球で、怒ったら血管がブチ切れるほどカンカンになるし、面白いことがあったなら笑いすぎて呼吸困難になるぐらい大爆笑する……そんな子どもみたいな人物だ。そんな晴英だから、息子の晴勝が家業を継がないと言い出した時は激怒して勘当してしまったのだ。

「この間、ぎっくり腰になったってハルから聞いたけれど、もう大丈夫なの?」

 美恵が心配してそう聞くと、晴英は「余計なことを言いおって」と呟きながら晴久をチラリと睨んだ後、ワハハハと大笑いして言った。

「ぎっくり腰などと大げさなものではない。ちょっと腰をひねっただけじゃ。百五歳の親父がピンピンしていて再婚までしているのに、六十七歳の(わし)が弱ってたまるか」

 京都で隠居している晴定は、三人目の妻が晴英を出産して一か月後に死んだ後、これまでずっと独身だったが、同居していたひ孫の美恵が東京に帰ることが決まった先月の六月に再婚したのである。なんと、結婚相手の優子(ゆうこ)という女性は、大学出たての二十三歳だ。

「八十二歳も年下の娘と結婚するなんて、とんでもない色ボケじじいだ」

 ケッと唾を吐くように晴英が悪態をつくと、美恵は苦笑した。

「七年間一緒に暮らしていた私がいなくなっちゃうから、きっと寂しかったんだよ。でも、優子さんはとっても綺麗でいい人だよ? 私やユメとも仲良くしてくれたし」

「ユメ? おお、この子が(つゆ)()の妹か」

 晴英は美恵の腰にしがみついていた夢の葉の頭を撫でた。ごつごつした手のひらだが、温かくて意外と優しい撫でかただったため、さっきからずっと緊張していた夢の葉の心もようやくほぐれた。

「お、お初にお目にかかります。白狐一族の夢の葉です。これから一生懸命、美恵さまのお仕事をサポートさせていただきます」

「うむ、よろしく頼むぞ。……お前の姉には、本当に申し訳ないことをしたと思っている」

 夢の葉たち白狐の一族は、安倍晴明の母となった葛の葉と同族の(よう)()で、昔から大阪の信田(しのだの)(もり)で人知れず群れをつくって生活している。

 白狐たちは生まれつき優しい性格で、強い霊力を持っていても悪事を働くことはない。晴明の子孫である土御門家の陰陽師を支え助けることを一族の使命としていて、土御門家の当主のそばには必ず一匹の白狐がサポート役としてつき従うのだ。そして、土御門家の当主が代替わりすると、サポート役の白狐も替わることになっている。

 夢の葉と年の離れた姉である露の葉は、陰陽師になるための修業中だった美恵の父・晴勝を補佐していた。だが、晴勝が陰陽師になることを拒否して家出したため、露の葉は彼女の一生をかけて果たす予定だった役割をわずか数年で終えてしまったのである。

「露の葉よ。お前は儂たちにとって家族同然だ。だから、このまま東京にとどまってもいいし、京都で美恵の修行の手伝いをしてくれてもいい。土御門家を去る必要はない」

 そう言って晴英は止めたのだが、晴勝が陰陽師になる道を捨ててしまったのは補佐役である自分の力不足のせいだと責任を感じていた露の葉は東京を去り、故郷の信田森にも帰らず、今も日本のどこかで放浪の旅を続けている。

「本当に身勝手な奴だ、晴勝は。子どもたちや露の葉にあらゆる負担を押しつけて、自分はどこかへ逃げてしまったのだからな」

「じいちゃん。せっかく姉ちゃんが七年ぶりに帰って来たのに、そんな話やめようよ。いなくなった人のことなんて、どうでもいいじゃないか」

 晴久が少しイライラした口調でそう言うと、興奮しかけていた晴英は「うむ。……そうだな。すまん」と呟いて冷静になった。晴久は、姉と自分を置いて家を出た父親のことを思うと、心臓を八つ裂きにされるような苦しい気持ちで胸がいっぱいになる。だから、父の話は聞きたくないのだ。

 美恵は、晴久と晴英のそんなやりとりに対して一言も口をはさまなかったが、二人には気づかれないように小さくため息をついていた。

(お父さんの家出から七年が経つのに、まだ立ち直れていないんだ。私も、ハルも、おじいちゃんも……)

「姉ちゃん」

「え? 何?」

「ボーっとしてどうしたの? 長旅で疲れた?」

「そんなことないよ。京都から東京まで新幹線で三時間もかからなかったし。ちょっとお腹が空いちゃっただけ」

「またですか⁉ 美恵さまったら、おやつを食べても三十分ももたずにすぐ腹ペコになっちゃうからユメは困ってしまいます」

 美恵の保護者みたいになっている夢の葉がそう言って頬をふくらませると、

「そ、それはちょっと大げさだよ。二時間ぐらいはもつもん。……やっぱり、一時間ぐらいかな……?」

 美恵が恥ずかしそうに言った。美恵と夢の葉の会話があまりにも面白かったから、難しい顔をしていた晴久と晴英も顔を見合わせて笑うのであった。

「だったら、ちょっと早いけれど、晩ご飯にしようか。姉ちゃんが帰って来たお祝いだし、寿司でも頼む?」

「待って、ハル。その前に例のものを確認しておきたいから」

「例のものって、もしかして……」

「そう。殺生(せっしょう)(せき)の欠片。逃げ出しちゃったんだよね、おじいちゃん」

 美恵が真剣な顔になって言うと、晴英は「うむ……」とばつが悪そうな表情をして頷いた。

 殺生石とは、文字通り、人を呪い殺してしまう石のことである。土御門家はこの石を六百年間この地で封印し、ある化け物の復活を阻止していたのだ。


 美恵は晴英に案内されて広い屋敷の裏庭の小さなお堂がある場所に行くと、

「ひどいものだね」

 と、一言そう呟き、大きな穴が開いたお堂の屋根、結界が破られてバラバラに千切られた注連縄(しめなわ)をじっと見つめた。

「先月の二十日の夜のことだった。突然、ぐらぐらと屋敷が揺れたのだ。最初は地震かと思ったのだが、裏庭から強烈な邪気を感じ、嫌な予感がした儂はお堂に駆けつけた。だが、その時にはすでにこのありさまだった。……夜空を見上げると、ここに封印されていた殺生石の欠片が南の空へと飛んで行くのが見えたのだ」

 晴英は悔しそうに顔を歪めて美恵に言った。

 六百年前に土御門家の先祖が京都からこの地に移り住んだのは、殺生石の欠片を封印するためだったのだ。この殺生石の欠片が日本の各地に眠っている同じ欠片たちと合体すると、恐ろしい化け物を復活させてしまう。それを防ぐのが土御門家の使命だった。それなのに、晴英の代で殺生石の欠片を解き放ってしまった……。ご先祖さまに何とお詫びすればいいのだろうかと晴英は苦悶していたのである。

「……おじいちゃんのせいじゃないよ。たぶん、化け物は不完全な状態ですでに目覚めていて東京のどこかにいるんだわ。だから、化け物の体の一部である殺生石の欠片は本体と合体するために飛んで行っちゃったのだと思う」

 美恵と晴英が深刻な表情で話し合っている中、屋敷内で封印されていた殺生石のことを陰陽師として戦う力がないという理由でいっさい教えてもらっていなかった晴久はいまいちピンとこず、首を傾げていた。晴久は小学生の頃、山のように大きな鬼を晴英が封印の術で退治する光景を見たことがある。そんな晴英なら強大な霊力を持った化け物でも再び封印できるのではないのか? なぜこんなにも恐れているのだろうか……?

「ハル。今復活しようとしている化け物は、人間一人を不幸にさせるとかそういうレベルの妖怪じゃないのよ」

 美恵が、晴久の考えていることを見透かしたようにそう言った。

「この化け物……(たま)藻前(ものまえ)は、かつてこの国を滅ぼそうとした妖怪なの。私が、二十歳までするはずだった修行を切り上げて東京に帰って来たのは、玉藻前の完全復活を阻止するためなのよ」

 晴久はゴクリと唾を飲みこんだ。帰還の目的を語る姉の瞳が、晴久が思わず震えあがってしまうほど凄みのあるものだったからである。晴久にとって優しい眼差ししか印象にない美恵からは想像もできない、厳しい表情だった。

 玉藻前とは、そんなにもとんでもない妖怪なのか?

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