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キラメク七つ星  作者: 青星明良
巻ノ二 シズヤシズ
25/27

デート(三)

 翌日の午前九時ちょっと前。晴久は、美恵の出かける準備が終わるのを居間のソファーに座って待っていた。

「美恵さまはほんのちょっと目を離すと行方不明になってしまう迷子の達人です。晴久さま、くれぐれも油断しないでくださいね」

「ああ。姉ちゃんのことはちゃんと分かっているから安心してくれよ。ユメも、何だか特訓みたいなことを露の葉にさせられるんだろ? がんばってな」

「はい……。お互いに無事生きて再会できるといいですね……」

 夢の葉は、輝きが失われた瞳で薄ら笑いをして言った。……本当に何の特訓をさせられるのだろう?

「お待たせ~」

 美恵が居間に入って来た。晴久が振り向いて姉のかっこうを見ると、

「姉ちゃん、また着物なの?」

 と、少々あきれた口調で言った。美恵は、数日前にデパートへ行った時も和服を着ていたのだ。

 美恵が今着ている着物は、(しゃ)と呼ばれる、透けて軽やかな絹織物で、青地に白百合の柄が楚々とした印象を与えている。そして、帯には雪の結晶のデザインの帯留め。これは夏の盛りの時期にあえて冬の風物を和服のワンポイント・アクセサリーにすることで、涼しげに見えるように工夫しているのである。美恵なりにオシャレをしているのだが、中学一年生の男子である晴久にはあまり良さが理解できない和風ファッションだった。「和服の姉ちゃんも可愛いけれど、今どきのファッションの姉ちゃんを見たい」程度の感想しかわかないのだ。

「に、似合わないかな……?」

 晴久があまりいい顔をしなかったのを気にして、美恵は自分の姿をくるくる回りながら点検した。

「デート時に女性のファッションにケチをつけるなんて、晴久さまはデリカシーがありませんね。そういうのは減点対象ですよ」

 晴久の向かいのソファーに座ってお茶をすすっていた露の葉が、ジト目で晴久を睨んだ。見た目は幼女なのに中身は大人の女性のため、彼女の言葉には人生経験に裏付けされた説得力というか重みがあり、晴久は怯んで「ご、ごめん……」と謝った。

「ケチをつけているんじゃないよ。その着物もすごく可愛いし。……でも、姉ちゃんの外出着って、着物しかないのかなって……」

「う、う~ん……。京都にいた頃は、ひいおじいちゃんが『俺は着物フェチだ』って言って、私に着物ばかり着せていたからなぁ~。部屋着なら優子さん(曽祖父・晴定の新妻。大学出たての二十三歳)のお下がりのシャツとかスカートを何着か持っているんだけれど……」

「着物フェチとかいう理由でひ孫に自分の趣味を押しつける百五歳なんて嫌すぎる……」

 晴久は、そう言ってため息をついた。……幼い時に数えるほどしか会ったことがない曽祖父・晴定とはどんなじいさんなのだろう?

「それなら、姉ちゃんの服をどこかで買おうか。荷物になっちゃうから、映画を観て食事してからのほうがいいかな。それでいい?」

 晴久がそう提案をすると、美恵は「今日はハルがエスコートしてくれるんでしょ? 全部ハルにお任せするよ」と微笑んだ。



 世田谷区西太子堂の土御門家(つちみかどけ)から渋谷へは、電車を使ったら徒歩を含めて三十分かからない。

「姉ちゃん、電車に乗るのはもう慣れた?」

「まだ切符を買う時にドキドキするけれど、次からは何とか一人で乗れそう。たぶん……」

 艶やかな着物姿の姉とTシャツにジーパンというラフな服装の弟。ちぐはぐなかっこうをした姉弟は、一か月前に七年ぶりの再会を果たした渋谷駅に再び来ていた。ハチ公の銅像は、今日も忙しなく行き来する通行人と自分の足元で(いこ)う若者や老人を見下ろしながら、永遠に来ぬ待ち人を待ち続けている。

「まずは映画館だったよね。どうやって行くの?」

「今から行く道玄坂の映画館は、ここから歩いて二、三分なんだ。すぐ着くよ」

「そうか、歩きか。良かったわ」

 もう電車に乗らなくてもいいのだと分かってホッとした美恵はそう呟いた。顔が若干青くて、すでにグロッキー状態である。早くも人酔いしたらしい。

(いきなり渋谷で遊ぼうとしたのが失敗だったかな……)

 一日に二百数十万もの人が利用する渋谷駅の混雑ぶりを見ながら、晴久は少し後悔したが、今さら「電車で移動して、もう少し人が少ない別の場所に行こうか」とは言えない。車内でたくさんの見知らぬ人とぎゅうぎゅう詰めにされる電車は、田舎育ちの美恵にとって相当ストレスがたまるらしいのだ(転校先の栄桜(えいおう)学園は電車で通うから、九月から美恵は大変な目に遭うだろう)。

「姉ちゃん、ジュースでも飲む?」

 冷たい物を飲んだら、美恵の気分も少しは落ち着くかも知れないと思った晴久は、そうたずねた。しかし、美恵はふるふると首を振る。

「今から映画を観るのに水分補給したら、途中でトイレ行きたくなるもん。心配しなくても大丈夫だよ。映画を観るまでは死ねないからね」

 美恵は、「映画」という言葉を口にすると、わずかに生気を取り戻して目を輝かせた。中学二年生の美恵は、この歳で映画初体験なのである。晴久も一人で映画館に行くようになったのは中学に入学したつい数か月前からだったが、小学生の時に祖父の晴英に連れられて映画館には何度も来ていた(晴英の趣味で時代劇ばかり見せられていたが)。

(姉ちゃんは、本当に娯楽のない環境で陰陽師の修行ばかりさせられていたんだな……)

 そういえば、美恵は京都時代の自分の話を晴久にほとんどしてくれない。こっちからたずねたら教えてくれるのかも知れないが、何だか聞きにくかったのである。晴久がのうのうと普通の小学生として友だちと遊んだり楽しんだりしている間、美恵は我が家の陰陽師という家業を背負わされて厳しい修行をしていたのだ。「姉ちゃん、向こうではどんな生活していたの?」などと気軽には言えないと晴久は思っていた。

「ハル。早く行こう? 上映時間に間に合わなくなるよ?」

 美恵は、晴久のシャツをくいっくいっと小さく引っ張り、そう急かした。その仕草が何となく幼く見えて、晴久は「う、うん……」と少し声を上ずらせて答えた。普段の美恵は包容力があって家事を何でもこなす頼れる姉なのに、初めて映画を観ることにワクワクして晴久に「早く行こう」とせがむ今の美恵は、少し年が離れた妹のように感じられたのである。そんな美恵の今まで知らなかった別の顔を知り、晴久は戸惑いつつも新鮮さと庇護欲らしき感情を抱いていた。



 道玄坂沿いにある目的の映画館は、晴久の言う通り、歩いて二、三分で着いた。

「映画館って……ここなの⁉」

 目をまん丸に開いた美恵は、目の前の七、八階はある豪華なビルを指差して叫んでいた。美恵の想像していた映画館というのは、二、三階程度の小さな賃貸ビルだったのだが、その予想をはるかに上回る立派なシネコンを目の当たりにして、驚愕していたのである。田舎者丸出しだった。

「ほら、姉ちゃん。中に入るよ」

 周囲の目を気にした晴久は、美恵の手を引っ張り、ビルの中に入った。

「うわぁ~。ひっろ~い!」

 美恵は、一階のチケット売り場をきょろきょろと見回しながら、テンションMAXで興奮していた。さっきまでのグロッキー状態は知らぬ間に吹っ飛んでしまっている。

「ここで観たい映画のチケットを買うんだ。スクリーンは、七階から二階、そして地下一階まで六スクリーンあるんだよ。姉ちゃんはどの映画が観たい……って、聞いてる?」

 晴久は、館内のあちこちに飾られた映画のポスターを夢中になって見つめていた美恵の肩をポンポンと叩いた。美恵は、夢から醒めたようなハッとした表情で、「え、あっ、ごめん! 何だった?」と聞き返した。晴久は(仕方ないなぁ)と苦笑しながら、再度たずねる。

「どの映画が観たい? 姉ちゃんが好きなのを選んでいいよ」

「わ、私が決めるの?」

 てっきり晴久が決めてくれるものだと思っていた美恵は、自分を指差して慌てた。

「そんなことを言われても、どの映画がいいかなんて分からないよ。私、映画どころかテレビのドラマすら全く観たことがないんだもん。ハルが決めてよ」

「え? 僕が? う~ん……」

 美恵の趣味に合わせようと思って、どんな映画を観るのか考えていなかった晴久は、(姉ちゃんはそもそも自分がどんなジャンルが好きなのかも分からないのか)と思いながら、頭をひねった。恋愛、ファンタジー、アクション、コメディーなど、映画のジャンルはたくさんあるが、美恵本人がどういう作品を楽しめるのか知らないのだ。これは難しい選択だと晴久は悩んだ。

(少年漫画原作の『明治剣客・京都編』は……これは三部作の内の第二部だから前作の第一部を観てないと分からないよなぁ。あっ、『怪獣王・ハリウッド版』、まだ上映してたんだ。僕、これ観たかったけれど……女の子の姉ちゃんが怪獣映画なんて観たくないだろうし……。ここは無難にジ○リの新作の『思い出のハヤオ』にしておくか)

 晴久は掲示板の上映スケジュールをチェックしながらそう考えた。そして、

「姉ちゃん、この『思い出のハヤオ』っていうアニメを……」

 と言いながら、美恵の顔を見た。

 キラキラキラ~☆

 なぜか美恵の目がお星さまのように輝いている。その視線の先にあったのは、『怪獣王・ハリウッド版』のポスターだった。

「ふわぁ~……」

 などと、恍惚とした表情でため息をもらしている。「え? もしかして……」と晴久は言った。

「あれを観たいの?」

 美恵は、こく、こく、と強く頷く。

(『北斎漫画』といい、怪獣映画といい、姉ちゃんの趣味が分からん。いや、僕も怪獣王は好きだけれどさ……)

 姉のような美少女が興味を持つようなものではないだろうと心の中でツッコミを入れつつ、(まあ、姉ちゃんが楽しめるのなら何でもいいか)と、晴久は考えるのだった。



「チケット買って来たよ。怪獣王は四階のスクリーン3での上映だから、エレベーターで行くよ」

「え? エレベーター……?」

 数日前の恐怖が蘇ったのか、美恵は顔を青ざめさせた。肩が小刻みに震えている。

「箱が……私たちを乗せた箱状の部屋が真っ逆さまに……!」

 トラウマを発生させて発狂しだしそうになっていた美恵を晴久が「どう、どう、どう……」とまるで興奮中の馬に対するかのように声をかけて落ち着かせようとした。

「そんなに恐がらなくても……。あんなの滅多に落っこちたりはしないからさ」

「め、滅多にということは、可能性がゼロではないんだよね? あ、あわわわ……」

「何度も乗っていたら、慣れてそんな心配しなくなるって。ほら、行こうよ。上映開始までもうそんなに時間ないよ?」

 美恵は、しぶしぶエレベーターに乗ったが、四階に着くまでの間、ぎゅっと目をつぶって晴久の背中にしがみついていたのである。そんな姉弟をエレベーターに同乗した母親と幼い娘、そして、若い男が不審そうに見ていた。

「ママ~。あのお姉ちゃん、どうして震えながらお兄ちゃんに抱きついているの~?」

「しっ……! 見たらいけません!」

「ちっ……。こんな密室でいちゃつくなよ。最近の中学生はお盛んすぎるだろ。三十歳童貞の俺に対する当てつけか?」

(う、うわぁぁぁ……。視線が痛い! 早く四階に着いてくれ!)

 晴久はそう念じながら恥ずかしさに耐えていたが、その一方で美恵の温もりを背中に感じ、玉藻前(たまものまえ)を倒した夜に美恵を家まで背負って帰った時のことを思い出していた。あの夜も晴久は、今と同じように美恵の温もりに戸惑いを感じながら、心の底では幸福感に浸っていたのである。

 幼少時に母と死に別れ、姉とも引き離された晴久は母性の温もりというものを知らない。そのせいで晴久は女性に対する免疫が全くなかった。そして、あきらめもしていたのだ。自分には母がおらず、姉もそばにいないのだから、誰かの愛に優しく包み込んでもらえることなどないのだと。

 それが、今になって、晴久は姉の温もりを取り戻した。そのことに対する純粋なる喜びと、美恵がまたどこかへ……晴久の手の届かないところに行ってしまわないだろうかという不安が心の中でごちゃごちゃになり、晴久は複雑な気持ちを抱いていたのである。

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