デート(一)
新章スタートです。
『キラメク七つ星』の巻ノ二は、日常回&美恵の過去回となります。
巻ノ二のタイトル「シズヤシズ」の意味は、後半の美恵の回想シーンで明らかになります。日本史に詳しい方はお分かりになると思いますが、日本の有名なある英雄と関係しています。
では、第二章ご覧ください!
土御門家の宿敵である九尾の狐・玉藻前との壮絶な戦いから二週間ほど経ったある日のこと。
晴久は、自室で夏休みの数学の宿題と睨み合っていた。しかし、あまりの暑さのせいで集中できていない様子で、さっきからウンウンと唸りながら指先でシャーペンを回し、たまに「数学なんて消えてなくなればいいのに」などと呟いている。
晴久は完全なる文系人間で、国語や社会の成績は良いのだが、数学と理科は壊滅的だった。数学にいたっては、三十分以上勉強していると、知恵熱を起こしてしまいそうなほど頭がショートしてしまうのである。
「あー! もうダメだ! 数学なんか勉強しても将来の役に立たないじゃんかーーーっ!」
世界中の学生が勉強に行き詰った時に必ず口にする怨嗟の言葉を叫ぶと、もうお手上げだとばかりにシャーペンを机の上に放り投げ、そして、今日中に三ページは終わらせる(数学の宿題『中学一年数学うきうきワーク基礎編』は全四十ページ)という計画も放り投げてしまった。
「晴久さま~。お昼ご飯だから一階に降りてらっしゃいって美恵さまが……。って、はわわわ⁉」
晴久の部屋に入って来た夢の葉は、晴久が虚ろな目をして畳に倒れているのを見て、「さ、殺人事件です!」と叫んだ。
「……し……死んでないから。大丈夫。すぐに行く……」
「は、晴久さま、お勉強大変そうですね。ユメが力になれることがあったら、何でも言ってください! 全力でサポートしますから!」
フンフンと鼻息荒くそう言った夢の葉は、大好きな晴久の力になろうと気合が入り過ぎて、うっかり真っ白な狐の耳と尻尾を出し、変身が半分解けてしまっていた。
晴久の一歳年上の姉である土御門美恵は、先祖の安倍晴明以来の家業である陰陽師の仕事をしている。その美恵のサポート役の夢の葉は、晴明の母・葛の葉と同族の聖なる白狐の一族で、今は十歳ぐらいの外見をしているが、本当は雪のように白い体毛の狐の姿なのだ。
「……ユメって、人間の学校の勉強とかできるの?」
「もちろんです! かけ算やわり算だって、ちゃんとできます!」
「あはは……。そうか。ユメの力が必要な時が来たら、お願いするよ……」
九九を覚えて先生に褒められていた頃が懐かしいなぁと思いながら、晴久はそう答えるのであった。
「宿題? 昨日までに全部終わらせたよ」
一家そろっての食事中、晴久に宿題はどこまで進んだのかと問われた美恵は、あっさりとそう答えた。
「え? 全教科? 嘘やん……」
陰陽師の修行をするために京都の曽祖父・晴定のもとで七年間過ごし、先月の夏休みが始まったばかりの時期に東京へ戻って来た美恵は、九月から晴久と同じ栄桜学園に通う予定である。その栄桜学園から美恵のもとに夏休みの宿題が送られて来たのは、つい五日前だったはず。
(うちの学校は宿題がアホみたいに多いのに、夏休みも半ばになったこんな時期に宿題をどっさりと渡されて、姉ちゃんも大変だなぁ)
晴久はそう同情していたのだが、すでに美恵は夏休みの宿題という苦行から解放されていたのだ。それにしても、五日で終わらせるなんて、ちょっと早過ぎである。
京都の山奥の田舎で修行ばかりしていた美恵は、社会の一般常識にとても疎い。しかし、非常に呑み込みが早く、数学を三十分勉強しただけで悲鳴をあげてしまう晴久とは比べものにならないほどの集中力がある。だから、教科書さえちゃんと読めば、夏休みの宿題などスラスラと解けてしまうのだ。
「ご飯食べたら、教えてあげようか?」
「い、いいよ。自分でやれるから……」
晴久は、少し恥ずかしそうにうつむき、そう答えた。美恵がつきっきりで勉強を教えてくれるのは嫌ではない。むしろ嬉しい。だが、中学生にもなって姉に甘えたいと思う自分が子どもみたいで恥ずかしく、晴久は心にもない返答をしたのである。だが……。
(小学生の間、僕と姉ちゃんは離ればなれだったわけだし、ちょっとくらい甘えても……)
結局、美恵に甘えたいという誘惑が圧倒的に強かったのであった。晴久は、次に美恵が「ハル。そんなこと言わずに、一緒に勉強しようよ」などともうひと押ししてきたら、素直に頷こうと考えた。
「ハル。そんなことを言わずに……」
「いけませんよ、美恵さま。他人の力を借りて宿題を終わらせても学力がつきません。晴久さまの言う通り、宿題は一人でやるべきです」
美恵と晴久の祖父・晴英の横の席で静かに食事をしていた幼女が、美恵をたしなめた。美恵は美恵で弟と一緒にいる時間をつくる口実が欲しいと思っていたため、「むうう……」と頬をぷくりと膨らませて幼女をジト目で見る。
その幼女の名前は露の葉。外見は七歳児ぐらいなのだが、実は夢の葉の姉で、美恵たちよりもずっと年上である。土御門家を出奔した美恵と晴久の父・晴勝のサポート役だった白狐で、こんなにもちんちくりんに縮んでしまっているのは、玉藻前に霊力をごっそりと吸収されてしまい、力を奪い返せないまま玉藻前を黄泉比良坂に封印してしまったからである。
露の葉は、見た目は和服を着た幼女だが、精神面は土御門家の中で最も高い。美恵のつくったハモの照り焼きを年甲斐もなくがっついて食べて、現在喉を詰まらせて苦しんでいる六十七歳の晴英よりは余程まともなことを言う大人だった。
(露の葉は真面目で優秀な白狐だけれど、ちょっとお堅いんだよなぁ……。あんたは僕の母親かってツッコミたくなるぐらい世話焼きだし、よく小言を言うし。しかも、見た目が小学一年生の露の葉に説教されていると、何だか惨めな気持ちになる……)
美恵に勉強を教えてもらう機会を逸した晴久が、心の中でぶつぶつ愚痴を言っていると、「コホン、コホン」と晴英がわざとらしく咳をした。また喉を詰まらせたのかと思って晴久は晴英を見た。すると、
パチーン☆ パチーン☆
……二回ウィンクをされた。男にウィンクされるとか、ちょっと気持ち悪い。
(何だ? 何かの合図か? よく分からないけれど、後でじいちゃんの部屋に行けばいいのかな?)
ずずずっと茶をすすりながら、晴久は(いったい何の用だろう?)と考えるのであった。
「じいちゃん。さっきのきもいウィンクは何だったのさ」
食後、晴久は晴英の和室に入ると、ずけずけとそう言った。その一秒後、晴久の顔面に晴英の愛読書『落語古今東西名作選』(枕になる程度に分厚い)がクリーンヒットした。
「あれはただの目配せじゃ。きもいとか言うな」
晴久は、顔を両手でおさえてのたうち回りながら、
「顔がへこんだらどうするんだよ~っ!」
と、強く抗議したが、晴英はあっかんべーをしていて反省の色は皆無である。
この祖父と孫、七年間も二人っきりで生活していたため、お互いに全くの遠慮がない。暇さえあれば幼稚園児レベルの喧嘩を始めていて、美恵や夢の葉、露の葉にあきれられていた。
「そういえば、さっき、『きゃーーー!』とかいう悲鳴が美恵の部屋のほうから聞こえてきたが、何かあったのか」
「……ここに来る前、貸していた英和辞書を返してもらいに姉ちゃんの部屋に行ったんだ。ノックするのを忘れて入ったら、姉ちゃん、着替え中で……」
「ふうむ。美恵も、幼い頃に一緒に風呂に入っていた弟に裸を見られて、恥ずかしがる年頃になったのだなぁ」
晴英が感慨深そうに言った。晴久は(まさか、僕の悲鳴だったとはさすがに言えない)と思いながら、「あはは……」と苦笑した。
「そ、それで、何の用だよ、じいちゃん」
晴英のそばに座った晴久がそう聞くと、晴英は机に置いてあった封筒を無言で晴久に手渡した。「え? 何これ?」と言いながら、晴久は封筒の中をのぞく。
「ご……五万円⁉」
晴久はそう叫び、漫画みたいに座ったままピョンと飛びあがりそうになった。中学一年生の晴久の毎月の小遣いは三千円である。今年もらったお年玉だって一万円だ。五万円なんて大金、ポンと手渡されたら困惑するのも当たり前である。
「じ、じいちゃん、もしかしてボケたの?」
「阿呆」
頭にチョップされた。晴久は、ぐうぅ、とうなりながら頭をおさえる。
「その金を使って、お前にはある重大なミッションをクリアしてもらう」
「へ? ミッション?」
ミッションって何だよ、どうせろくなことじゃないだろ、などと思いながら、晴久は晴英をいぶかしげに見つめた。
「デートをしてこい」
「え?」
「明日、美恵とデートしてくるんじゃ!」
「で、デートぉぉぉ⁉」
驚いた晴久は、声を裏返して叫んでいた。




