炎の蛇神(三)
「姉ちゃん! 姉ちゃん! ……良かったぁ、気がついた」
「う、うう……。頭いたぁ……。体も熱い……。それからお腹が減った……」
「家に帰ったら、ゆっくり休もう。道鬼は、僕と夢の葉でやっつけたから」
晴久の膝を枕にして眠っていた美恵が、ようやく目覚めた。服装はセーラー服に戻っている。騰蛇との融合が解けたのだ。
その横では、夢の葉が紗枝子の縄をほどいていた。降参しようと考えていた道鬼は、美恵が倒れたのを見て、
(戦う力がないガキと白狐の子ども二人だけなら、儂だけで何とかなりそうだ)
と考えなおして、晴久と夢の葉に襲いかかったのだが、あっさり返り討ちにあって今度こそ本当に降参したのである。晴久に木刀で殴られて頭に大きなたんこぶをつくり、夢の葉に何度も噛まれて腕のあちこちに歯形ができ、とても情けないやられっぷりだった。
そして、道鬼を脅してビルから紗枝子を降ろさせ、無事に救出したのである。
「ぷはぁ……。みんな、ありがとう。死ぬかと思った……」
猿ぐつわを外してもらうと、紗枝子は美恵たちに礼を言った。
「災難だったね。今すぐ首相公邸まで送り届けるから。……その前に、こいつらを警察に突き出さないとな」
晴久は道鬼をギロリと睨みつけた。美恵、夢の葉、紗枝子も道鬼を睨む。宗十郎は道鬼のそばでいまだに気絶していた。
「な、なんだ! そんな目で見るな! そ、そもそも、総理大臣が金をくれないから、こんなことになったんだぞ。儂だって、総理大臣が金を素直に渡していたら、須永正吾の誘いになんて乗らなかったんだ!」
「須永正吾⁉ 彼は今、行方不明のはずよ!」
驚いた美恵が言うと、道鬼が事のあらましを語った。
「儂と宗十郎は首相公邸からつまみ出された後、赤坂のあたりを総理大臣の悪口を言いながら歩いていた。そうしたら突然、須永正吾が儂たちの前に現れたのだ。奴は、宗十郎の呪詛返しを食らったのにピンピンしていた。そして、儂たちに土御門美恵をおびき出して殺してくれたら百億円を報酬として支払うと約束したんだ。奴の母親の実家は日本有数の大企業だから百億円ぐらい簡単にくれると判断した儂はその話に乗ったというわけさ。総理大臣の娘は、お前たちを誘い出すためのエサだ」
「お金のために息子を利用して、恥ずかしくないんですか! 紗枝子さんの誘拐、私たちとの戦い……。全部、宗十郎さんにやらせて、あなたは見物していただけじゃないですか!」
「ぐっ……。うう……」
美恵に痛い所を突かれた道鬼は何も言い返せず、うなり声をあげた。
「姉ちゃん、こいつに何を言っても無駄だよ。警察に連れて行こう」
「ま、待ってくれ! 牢屋に入るのだけは嫌だ! は、反省しているから許してくれ!」
今までのでかい態度は見る影もなく、道鬼は泣きそうになりながら言った。
「ウフフフ。道鬼よ、牢屋に入る心配などしなくても良いぞ。……なぜなら、ここでお前たちは全員死ぬのだからな」
「だ、誰だ!」
驚いた晴久が怒鳴ると、建設中のビルの闇の中から十二歳ぐらいの金髪の少女がクスクスと笑いながら現れた。赤く華やかな着物を身にまとい、背丈ほどある長い黄金色の髪は月光によって艶やかに輝いている。その少女の横にはなんと官房長官・須永正吾がいた。
「正吾。そなたの作戦通りになったな。三重宗十郎は戦闘不能、土御門美恵もかなり弱っている。これなら、今の私でも簡単に息の根を止められそうじゃ」
「邪魔な陰陽師同士を戦わせて、漁夫の利を得る。こういう賢い作戦を考えられる人間しか政治家として生き残ってはいけないのだよ、玉藻前」
「た、玉藻前だって⁉」
夢の葉よりも少し身長が高いぐらいの、あの子どもが日本最強の大妖怪だというのか? 晴久は信じられないと思った。
「玉藻前? な、なんで、伝説の九尾の狐が今の時代に復活しているんだ⁉ お、おい! 須永正吾! これはいったい、どういうことだ! 説明しろ!」
道鬼が恐怖と怒りが混ざった声で怒鳴ると、正吾はフンと鼻で笑った。
「馬鹿な奴め。お前たち親子は、玉藻前を封印しようとしている土御門美恵を弱らせるために利用された道具だったんだよ。そして、道具というものは、使い道がなくなったら処分されるものだ。親子仲良く、あの世に行くがいい」
「い、嫌だぁ! 死ぬのは嫌だぁーーーっ!」
すっかり怖気づいた道鬼は、気絶して倒れている宗十郎をそのままにして逃げ出してしまった。
「ふふ……ふははは! 相変わらず人間という生き物は醜い! 息子を置き去りにして逃げおったぞ!」
「玉藻前、逃がしていいのか? 陰陽師は皆殺しにする計画ではなかったのか?」
息子を見捨てるという道鬼の畜生にも等しい行ないを見て愉快でたまらない玉藻前が腹を抱えて笑っていると、正吾がそう言って諌めた。しかし、玉藻前は「あんな虫けら、どうでもいいわ」と微笑しながら答えた。
「あんなインチキ陰陽師、生きようが死のうが、私は興味ない。私が殺したいのは、私を封印する可能性を持っている陰陽師だけだ」
そう言うと、玉藻前は美恵のほうにすっと手を伸ばした。すると、美恵がいきなり胸をおさえて苦しみだしたのである。胸ポケットの中の不呪詛符は粉々に破れていた。
「姉ちゃん!」
「美恵さま、どうしたんですか⁉」
「ぐっ……。む、胸が苦しい……! し、死んじゃいそう……」
「土御門美恵よ。そなたも知っているだろう。土御門家の女は、私がかけた死の呪いにとらわれていることを。これまでは私の力が弱かったから、じわじわと命を縮めることしかできなかったが、今の私ならば、霊力が弱っているそなたをこの場で祟り殺すことができるのだ。安倍晴明の母・葛の葉の『千年守護』の力によってその身を守られている土御門家当主のそなたでも、不完全ながら復活した日本最強の妖怪である私の祟りからは逃れられん」
「そんなこと、させるか!」
激怒した晴久が、怪我を負い、体力も消耗しきっているふらふらの体ながら、玉藻前に木刀で襲いかかった。
だが、玉藻前は余裕の笑みを浮かべている。
「晴久さま! ダメです! 危ない!」
玉藻前の念力で工事現場に転がっていた鉄パイプが浮き、晴久の心臓めがけて飛んだ。夢の葉は、晴久を助けようと走ったが、このままでは間に合わないと悟り、
「えいっ!」
と叫ぶと、本来の狐の姿に戻った。白狐と呼ぶだけあって、体毛は真っ白である。その汚れのない白さは雪のごとく、夜の闇に美しくキラキラと輝いている。
「晴久さま!」
白狐の姿となった夢の葉は、空中を走るようにして飛び、晴久を突き飛ばした。
鉄パイプが晴久の左頬をかする。何とかぎりぎりで間に合った。
「おお、子狐のくせして、なかなかやるではないか。白狐の娘よ、同じ狐のよしみだ。仲間にならんか? そなただけは特別に命を助けてやるぞ?」
「お断りします! 白狐は人間に幸福をもたらす聖なる狐です! あなたみたいな化け狐と一緒にしないでください!」
夢の葉が恐いのを我慢してそう言った時、
「よくぞ言いました、ユメ」
という声がどこからともなく聞こえてきた。
「む? この声は……!」
玉藻前の背後で、白い何かが動いた。
殺気を感じた玉藻前は、身を翻して突然の襲撃をかわそうとする。しかし、その白い生き物の動きのほうが一瞬だけ速く、玉藻前の右手首をがぶりと噛んだ。
「くそっ!」
玉藻前は痛みで呪詛を解いてしまい、美恵の胸の苦しみはおさまった。
「貴様は露の葉⁉ 私に霊力を全て奪われて死んだと思っていたのに!」
玉藻前を噛んだ、夢の葉よりも体が小さな白い狐は、行方不明になっていた夢の葉の姉である露の葉だったのだ。
「白狐を甘く見ないでください。長い間行動不能になるほどの大量の霊力を奪われはしましたが、あれぐらいのことで命を失うほど白狐は弱くありません」
「ならば、そなたもまとめてここで皆殺しにしてやる!」
玉のように美しい自分の体を傷つけられ、怒り狂った玉藻前が凶悪な笑みを浮かべて叫んだ。しかし、露の葉は動じない。
「そうはいきません。ここは退散させていただきます」
露の葉は金色の瞳をキラリと輝かせた。すると、美恵、晴久、夢の葉、紗枝子、宗十郎が黄金の霧に包まれてこつ然と消え、
「さようなら」
露の葉もひとこと言い残し、姿を消してしまったのである。
「しまった……。転移の術などという高度な技を使えるだけの力をまだ残していたか……」
玉藻前はそう呟くと、悔しそうにギリリと親指の爪を噛んだ。
(せっかく安倍晴明の子孫を絶やす好機だったのに、逃がしてしまった。陰陽師は昔から狡猾な呪術で我ら妖怪を苦しめてきた。このままでは、次は私が奴らの罠にかかって封印されてしまうかもしれない。こうなったら…………)
禁断の術を使い、東京ごと陰陽師どもを消し去ってしまおうか。
そう考え始める玉藻前であった。




