第四話~甲猪狩りへ~
第四話~甲猪狩りへ~
朝の鍛錬を行う為に、宿屋の裏手を借りた訳だが、その日はいつもとは違う。それは、ミリアという見学者がいたからだ。
昨日、宿屋で食事を待っている時にミリアかが、鍛錬はいつどこで行うのかと聞いてきたのである。変なことを聞くなと思いながら、別に隠す必要もないので教えたのだ。
すると翌日、ミリアはこの場所にいたという訳である。
「何というか、もの好きだな」
「別に邪魔はしないから、いいでしょ?」
「そりゃ、構わんけどな」
見ているだけならば、別に気にすることでもないので承諾する。その後、ミリアは、ただただ鍛錬を見学しているだけであった。そんな彼女からの視線を感じつつ、一通り型の修練を終える。すると、ミリアが手拭いを俺に差し出してきた。
ありがたいと思いつつ差し出された手拭いを井戸の脇に置いて、頭から水を被る。それから渡された手拭いで水気を拭っていると、ミリアが口を開いて尋ねてきた。
「流石よね、あなたの動き。どれだけ凄いかというのは専門家じゃないから分からないけど、綺麗だと思えるわ」
「綺麗ねぇ……ま、意識的に動きを確認しながらだから変な動きじゃないだろうけど」
「へぇ」
「「武は舞に通じる」なんて言葉もある……と爺ちゃ……じゃなかった、師匠がいっていた。本当にそんな言葉があるのかどうかはかは知らないのだけれど」
「でも……何となくだけど分かる気はするわ」
ミリアとそんな会話をしつつ体の水気を拭い終えると、一旦は宿屋の部屋へと向かう。程なくして部屋に戻ると、着替えて少し寛いだ。それから食堂へ向かったのだが、するとミリアが既におり、しかも席を確保してくれている。その席へ座ると、少ししてから宿屋の娘が注文を取りにきた。
因みに彼女の名前だが、メイというらしい。
話を戻して彼女へ朝食の注文をすると、メイは厨房に声を掛ける。その際にお父さんといっていることから、厨房にいるのは父親らしい。母親が受け付けを行っているといっていたので、正に家族で経営している宿屋であった。
「はい。お待たせ」
「おう」
「ありがとう」
メイが朝食を持ってくると、食べ始める。当然ミリアも、食べていた。
やがて綺麗に食べ終えると、勘定を払う際にサンドイッチを作ってくれるようにと頼んでおく。それから俺とミリアは部屋に戻って武装を整えると、部屋から一階に降りた。カウンターで部屋の鍵を預けると、ミリアと共に宿屋を出てギルドへと向かう。やがて到着したギルドは、やはりごった返していた。
そんな中、依頼を探していく。すると幾つかあり、今回選んだのは素材集めだ。依頼内容は、俺が使用している鎧の材料でもある、甲猪の皮である。しかも甲猪は食用としても可能であり、結構珍味として重宝がられている……のだそうだ。
もっとも気性が荒く、生半可な武器などでは通用しない。鎧に使用できるのだから、その硬さは推して知るべしであった。その上、甲猪は野生のイノシシなどより体つきが大きい。そのような理由もあって、狩人もまず相手にしない。しかしそのせいで、ギルドに依頼が出ているのだ。
その依頼書をカウンターに持っていき、仕事を受ける。それから、町へ繰り出していく。甲猪が生息する場所まで割と距離があるので、しっかりと用意する必要があるのだ。
ひとまずギルドで道具屋の場所を聞いてから、その店へと向かう。やがて到着した店である道具屋を覗くと、店内には生活雑貨から始まり、様々な物品が売られていた。
「ほうほう、色んなものがあるな。おっ、回復薬や治癒薬もあるんだな……やっぱり安くはないよな」
「そりゃあね」
回復薬は怪我の治療、治癒薬は症状に対応した異常状態を治す効果を持っている。普通は薬草や毒消しなどを使って治すのだが、当たり前だがすぐに効果が表れる訳ではない。だが回復薬や治癒薬は、服用してすぐに効果が表れるのだ。
何より回復薬や治癒薬は、基本的に値段が高い。しかし、値段が高くなればなるほど効果も高くなる。実物は見たことなどないが、噂では一瞬で瀕死の重傷者をも健康な状態へと回復するような薬も存在するらしい。もしその薬が市場に出れば、値段は幾らになるか分からないとされていた正に伝説に薬であった。
「うーん。買って、みようかな?」
「余裕があるなら、いいと思うわよ。でもその前に、必要な物を揃えてから考えることだと思うわ」
「ご尤もで」
ミリアの言葉に従い、先に必要と思われる道具を揃えることにした。
また、その買い物の中で魔物を払う効果があるという香も買ってみる。この香を焚くと、弱い魔物や魔獣がまず近寄れなくなるという。その為、それなりに値段は高い。しかし、効果は期待できるとは店員の言葉なので、本当に効果を発揮するのならばあり難い道具といえるだろう。
なおガアルの町に来た時点でも一応は買えたのだが、財布の余裕がかなり厳しくなる為に買わなかったことを明記しておく。
因みに、この香にはランクみたいなものがある。回復薬と同じように、高くなればなるほど効果も高い。しかし、香には上限も存在している。最上級とされるような香であったとしても、ドラゴンを近づけない、などという香は存在しないのだ。
但し、この大陸に生きる人間を統べていたという古代王国の遺跡か何かを探せば、もしかしたら存在するのかもしれない。しかし、今までそのような効果が高い香は見つかったことはなかった。
「さて、と。うん、これぐらいでいいわね。それでエムシン。回復薬や治癒薬だけど、買うの?」
「んー、止めとくわ。財布が厳しい」
「確かにあった方が保険にはなるのよね。ただ、術でも回復はできる。だから、絶対に必要な訳じゃないでしょ」
「ああ」
「ただ、術を使えないなら別だけどね」
俺が使う気を扱う気術や、他に神術にも同様の効果を持つ術が存在する。ただ回復薬や治癒薬は服用すると瞬間的に効果が発揮されるので、緊急時には重宝されていたのだ。
さらにいえば、ミリアの言う通り全ての者が術を使える訳ではない。そのことを考えれば、回復薬などは持っていた方が安全なのは間違いなかった。
「もっと余裕が出たら、買うことにしよう」
「その方がいいわよ。それに、私もできるし」
「え? 精霊使いが使う精霊術にも回復とか可能なのか?」
「まぁ、ね」
一通りの買いたい物も買えたので道具屋を出ると、そのまま宿屋へと戻った。
それというのも、甲猪の生息地までは往復で結構掛かる。その為、宿屋のキャンセルを行う。流石にあと三日では、ガアルの町に帰ってこられないからだ。
「そうですか。では、戻ってきたら、また利用して下さいね」
「ええ。勿論」
宿屋のおばちゃんの言葉に、ミリアが如才なく返す。また、俺としても宿に不満がある訳ではないので、狩りから戻ってきてまた泊るのは吝かではなかった。
町へ戻ってきたら必ず泊まる旨を伝えてから、宿屋を出る。そのまま門を潜って、町の外へと出た。
「えっと、方角は……あっちだな」
「そうね、間違いないわ」
さて、甲猪が住むとされる場所についてだが、そこはガアルの町から結構離れたところにある山並みの麓となる。そこには、大きな森が広がっているのだが、密度としては鬱蒼という程ではない。しかし、それなりに森は深いとの話であった。
もっともまだ件の森は遥か先であり、今いる場所からはるか先の森の様子などは分からない。あくまで、ギルドで聞いた話でしかないのだ。
何であれ町を出ると、休憩を挟みつつその甲猪が生息している筈の場所を目指す。その道程中、特に問題となるようなことも起きず、やがて辺りも夕闇が近づいてきた。そこで、適当なところを見つけると夜営の準備を始める。焚火の準備やら周囲の警戒などを一通り終えると、ミリアが話し掛けて来た。
「ね、エムシン。いいかしら」
「え? そりゃいいけど、町中じゃないのにか?」
「こういうことって、積み重ねじゃないかと思うのだけれど」
「ま、それはそうだけどな。じゃ、やるか」
「ええ」
先ず、ミリアの体捌きを見る。流石に、一人で旅をしながら生活していた彼女である。決して、悪い動きという訳ではなかった。
「ど、どうかしら?」
少し息を乱しながら、ミリアが尋ねてきた。
基本的にエルフは人に比べて俊敏とされているが、代わりという訳ではないのだろうが体力というかスタミナが低いとされている。爺ちゃんから聞いた時はそうなんだぐらいにしか思わなかったのだが、目の当たりにすると爺ちゃんの言葉が正しいと理解できた。
「悪くはないと思う。いわゆる遠距離攻撃が得意な術師系としては、十分及第点だと思う」
「つまりそれは、接近されたら終わりということかしら」
「そこまではいってない。なにより、だからこそのレイピアなのだろう? ただ俺も、剣は扱い方が分からないから、教えられないけど」
「え? その言い方だと武器を使えるの?」
「一応、武器も使える」
「じゃあ、何で武器を使わないの?」
「素手格闘が一番得意だからだ。ミリアがレイピアを使えるのに、精霊術をメインの攻撃手段とするのと同じだ」
「あー……うん、理解したわ」
そこで会話を止めると、今度は動きの指導に入る。基本、俊敏さを生かして避ける方を動きのメインとした。先述したように、エルフは俊敏さが売りである。下手に鍛えて筋力など付けると、その売りが死んでしまう可能性が高いと思えたからだった。
ただ、適度には鍛えた方がいいことも間違いない。それに伴いスタミナも多少は増加するだろうから、一石二鳥といえた。
その辺りはミリアも同意見らしく、彼女も納得している。もっとも、筋肉ムキムキのミリアなど見たくはないので、俺としても同意してくれたことに内心で安心していた。
それから暫く指導したが、まだ始めたばかりなのでいきなり詰め込んでみてもしょうがない。そこで、適度と思われる辺りで、今日の鍛錬を終わりとした。
その後、周囲の警戒をするという理由で、少し場所を外す。これには汗をかいたミリアの着替えという理由も、大いに存在していた。
どれだけ時間が掛かるかは分からないがすぐに戻らなければいいだろうと判断して、俺はややゆっくりと移動しながら入念に周囲を警戒する。すると幸いなことに、敵になりそうな存在は見当たらなかった。そのことを改めて確認できたことに安心しつつも、先程までいた夜営の場所へと戻った。
すると既に身嗜みは終わっていたらしく、ミリアは普通に腰を降ろしている。 しかし内心では少し残念だとは思ったのは、俺だけの秘密であった。
その後、既に焚かれている焚火の近くに腰を降ろしつつ、宿屋で出掛けに作って貰ったサンドイッチを食べてみる。そのサンドイッチは、中々の味であった。
それから、ガアルの町を出る前に道具屋で購入した魔物避けの香を焚いてみる。すると微かに香りが拡がった。しかしその香りは、不快という程でもない。むしろ、匂いとしてはいいと思えるものであった。
「うん。やはり、悪くないわね」
「そうだな。やっぱり、ミリアもそう思うか」
「ええ」
この香の効果は、一般的に弱いとされている魔物や魔獣に有効である。逆にいえば、強い魔物や魔獣には効果がないということになる。そこで俺達は、香を焚きつつも交代で起きていることにした。
とはいうものの、殺気や敵意を近くで感じれば、目が覚めてしまう。それぐらい警戒をしていないと、生活していたあの森では生きていけなかったのだ。しかし香の効果なのか、それとも偶々なのかは分からない。しかし、魔物や魔獣の襲撃などは起きずに朝を迎えている。そこで軽くストレッチをしてから、恒例の朝の鍛錬を始めた。
但し、町にいた時とは違って軽めである。むしろ、体をほぐす為ぐらいの感覚で行っている。すると、そんな俺をミリアはなぜかじっと見ていた。
「ただ見ているだけなんて、退屈じゃないか?」
「ううん、そんなことはないわよ」
「そうか? なら、別にいいけど」
やがて朝の鍛錬を終えると、朝食を食べる。それから、焚き火の炎を完全に消してから、目的の森へ向かって移動を再開した。
その日も特に問題は発生せず、無事に一日を終える。昨日のような本格的なものではなく、軽めの指導を終えてから夜営の準備を始める。昨日と同様にミリアへは野営場所の守りを頼み、俺はやはり昨日と同様に周囲の警戒を行。その過程で、燃え易い木の枝などを拾い集めていた。
やがて夜食を終えると、昨日と同様に魔物避けの香を焚いておく。するとやはりこの香の効果なのか、魔物に襲われることなく無事に朝を迎えていた。
「うーん。前に仕事を受けた時は、コボルトが襲ってきたんだけどな。やっぱり、この香の効果なのか?」
「多分、そうでしょうね」
「そうなら、実にありがたいよな。いちいち雑魚を相手する為に、起きなくていいということになる」
「それは……いえるわね。でも逆にこの香が効かない場合、それなり以上の脅威を持った存在ということよね」
「そりゃ、そうだろうな」
そのような会話をしつつもやがて俺たちは、こともなく森へ到着したのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。