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「なあ、なんであんなとこに、ウナクの奴らがいたんだろうなあ?奴らの集落は、ここからずっと南に散らばってる筈なのに」
パウテを全速力で走らせ、ィエンはエナーリシャのそれに追いついた。彼女が振り返ったのを見、笑顔をしながらそう言ったが、彼女は笑わなかった。
見渡す限り熱砂が続くこの大地には、幾つかの部族と、それに与する人々がオアシスに生活をしている。だが、日を年を追うごとに、人は殖え住む地は狭くなっていく。 オアシスを手に入れることは、そのまま部族の明日の生活を得ることに繋がるのだ。一つの水源で作れる食糧にも限界はある。
「・・・さあな。意地汚いウナクだ。南の砂漠のオアシスを食いつぶしたんじゃないのか? ただ確かなのはだな、おまえがもう少し早く来れば、わたしが奴らに辱められずにすんだってことだ」
「貞操は無事だったじゃないか」
「そ、そういう問題じゃない」
蚊の鳴くように言うエナーリシャ。その頬に朱が差しているのを認め、ィエンはおや、と思った。さっきの演技でしたことを、怒っているのか。ィエンは、どんなに彼女に袖にされようと決してめげない人間である。
「もう一回、今度は二人きりでするか?」
殴られるのを覚悟でにこやかに告げようとした男は、そのまま凍りついたように遥か前方を見詰めた。パウテの足が、止まる。手綱を急に強く引き過ぎて、パウテが哀れに鳴いた。
「・・・ィエン?」
不思議そうに問う少女に、彼は打って変わって堅い声音で吐き出すように言った。その声は、掠れていただろう。どっと吹き出した汗が、額をすっ、と滑り降りた。パウテの手綱を握る手が、一瞬にして汗ばむ。
「キハルの集落が・・・」
「え?」
疲れたようにパウテの長い首に身を預けていたエナーリシャはそれに反応し、跳び起きた。
前方、緑地帯と水源が認められる。そこは、間違いなくキハルの集落。いつもはこの時刻なら、昼時の煙りがのどかにたなびいている筈・・・なのに!
「ィエン」
エナーリシャは、悲鳴に似た声で叫んだ。
彼女の瞳に映るのは、殺伐とした砂漠のなかでもいつも心安らぐような風景では、あり得なかった。今、集落には火が放たれ家である天幕を焼き、黒い煙りをだすことを許していた。空は灰色に曇り、彼女の耳には残してきた父や姉、キハルの民の悲鳴までもが耳の奥に木霊した。
幻影と解っていても、吐き気が募る。かつて心に刻まれた恐れが、また蘇ったに違いなかった。アーレン・シンを失ったと思ったときの恐れが。
彼の、血染めの剣を手にしたときと、その感情は酷く似ていた。
「ィエン、どうしよう!・・・とうさまが、姉さまが!」
「落ち着け、エナーリシャ。いいか、あれはきっと、ただの火事だ」
パウテを走らせようとするエナーリシャを止め、手綱を代わりに取る。ィエンは彼女のすぐ横に、自らのパウテを着けた。自らにも言い含めるように、ィエンは言った。
「心配いらないさ」
だが、内心では肌を焦がすほどの焦燥で、今にも叫びだしそうだった。今行けば危険だと、砂漠にも慣れたキハルの男は悟っていたのだ。火事が、起きるはずが無いからだ。
今日は朝から、風がない。風がないなら、昼の用意で火事が起こったとしても、飛び火する事も無く火はすぐにでも消し止められるだろう。水源も間近であるから。
だとしたら、あれは誰かが放った火に、違いは無い。だから、火はいまだに集落を燃やしているのだ。
恐らくは、ウナクの仕業。先程の黒髪のウナクのにやけた顔が不意に脳裏に浮かび、戦慄が走った。
なぜすぐに、キハルの猛者たちはウナクの襲来に気づくことができなかったのか。
(あ!)
三月に一度、東方から商隊がやってくる。東方の砂漠は「砂漠の果て」。果ての果てからは豊かな物資が届く。砂漠で彼らを歓迎しないものはなかった。商隊は見知らぬ土地を渡り歩き、詩を吟じ、踊りを見せることを商売よりも好む。そして危険な砂漠を渡るからには、腕に覚えのある屈強なものたちばかりだった。
ィエンが思い当たったのはそのことだった。彼がエナーリシャを追ってあの小さなオアシスにやってきたとき、ィエンが出て行くのとほぼ同時にキハルの集落にはいったのは、何十騎かの商隊の連なりであった。キハルの民たちは、商隊に化けたウナクと知らず、何の警戒もなしに敵を迎え入れてしまったのではないだろうか。・・・それは確信だった。
そうでなければ、キハルが、それも長のいる集落がこんなにもたやすく焼き払われることもあるまい。
(それにしても、性急すぎる)
二人が集落を離れていたのは、運が良かったとしか言いようがない。ウナクの男たちがあの峡谷に居たのも、見張り役ということなら説明がつく。あそこは、ここ北の砂漠とウナクののさばる、南の砂漠を繋ぐ場所だ。それに、辺りを見渡せる高みでもある。あの三人が見張りをさぼっていたと考えれば、ウナクの男が何故あそこにいたかも容易く見当がつくのだ。
(アムナを潰してから、何日も経っていないのに)
「落ち着け、心配ない」
内心は、まるで砂嵐が吹き荒れているかのよう。だが、それをおくびにも出さず、取り乱したエナーリシャを、ィエンは宥めようとする。
黒髪の猛者ウナクは、南で対立していた部族アムナと、数少ない緑地を巡り、争っていた。北のキハルと対立があるとは言え、それはアムナがある意味、盾となり表立った争いは少なかったのだ。
部族が襲われるということも、キハルがウナクを敵と目する限り、遅かれ早かれ免れないことだったが、ウナクの早すぎる襲来は、まるで背中から斬られたような衝撃だった。
内心の動揺は押さえ難かった。しかしィエンは偽りを口にした。いま出て行っても、おめおめ捕まりに行くようなものだ。その髪の色から、黒き悪魔とも呼ばれるウナクに捕らえられた者がどうなるかは、想像に難くない。男は他への見せしめとして殺され、女は美しいほど哀れだ。仲間たちのそうした姿を、彼は今まで幾度かみてきたのだ。
(黒き悪魔・・・!)
遠く、灰色の煙を出すキハルの集落を凝視しながら、ィエンは乾ききった喉を鳴らした。灰がかった青の瞳に、怒りが灯される。
三年前の、あの日。あの日まで、戦いと血の雨の果てにもたらされる平安に、彼は何の疑問も抱かない少年だった。それなりに幸せで、双子の兄弟と、幼なじみの少女がィエンの近くでいつも笑っていた。あまりの親しさに三人は、部族の大人たちに事あるごとにからかわれた。
例えば、このように。
かわいいむすめ
「シュリムシュ、お前はアーレンとィエン、どちらを夫に決めるんだ」
彼女の父親、キハルの長がそう問うと、
「二人とも夫にする」
エナーリシャはそう言い張る。その度にほほえましい笑いが起こるものだった。だが、アーレンがやがて彼女の婚約者に決められると、エナーリシャはアーレンを違った目で見るようになった。男として意識しだしたのだ。
それは、仕様がない。ただ、それですませられないのがエナーリシャから笑みを奪ったウナク。屈託ない笑いをし、明るい物言いをするあの少女を、黒き悪魔がころしてしまったのだ。アーレンを殺すことによって。
彼女の外見すら、少女のものから、いつしか女になることを拒むように、少年の姿と男の言葉をするようになった。
そして今、追い打ちを掛けるように、彼女の父が、姉たちが手に掛けられようとしている。あの黒き悪魔に。
「火事、小火・・・・?」
エナーリシャは、彼の方便で落ち着きを取り戻したようだった。苦しい嘘だったが、存外彼女はあっさりと信じた。
「すまないな、ィエン。馬鹿みたいに慌てて」
彼女には恨まれるかもしれないが、彼はこの幼なじみの少女を安全圏に置く方を、迷わず選んだ。
「でももう、嫌なんだ・・・大事な人を亡くすのは」
息を吐き、少女は細い首をゆるゆると振った。・・・大事な人。彼女が言うのは、アーレン・シンしかいない。彼女は、彼の死により極めて臆病になっていた。今の様子も、普通ではない。
「当たり前だ」
ィエンは短く言うと、灰色がかった青き瞳を細めた。エナーリシャに手綱を渡すと、彼はパウテの方向を変え、左方向に歩ませだした。
「火事のことを西のカリアに伝えに行くぞ。飛び火したみたいだから、人手を借りなければ」
「ィエン、様子を見に行ってはだめか」
「ばか、それが努めだろうが」
口唇を噛み締め、ィエンは虚しい空言を言った。一瞥を投げただけで、蹂躙されたであろう集落の跡を、彼は二度と振り返らなかった。
そこから八シェオ(八キロメートル)位西に離れた場所、草原地帯に、キハルの部族の一つの集落があった。
キハルの長であるエナーリシャの父、ハルマの甥が纏め役をしている。カリアは最近父に代わり纏め役についたばかりの、三十を二つか三つほど過ぎただけの若い男だが、責任感と包容力には一目置かれている。それ故キハルの次の長に目されている男だ。族長は世襲されるのではない。あくまでその人柄と能力が決め手だった。
「どうした、ィエン。血相を変えて」
突然の二人の訪れに、やはり亜麻の髪と青い目の、カリアは言った。弟とも思っている親しい男は、珍しく青ざめて無口だった。額には、汗が浮かんでいる。かなりパウテを飛ばしてきたであろう事が知れた。エナーリシャは部族の女に水をもらっている。別の天幕で休んでいるだろう。
ィエンは、二人だけの天幕の中、喘ぎに似た声音で呟いた。
「俺たちの・・・いや、長の集落が、襲われた。ウナクの奴等の仕業に違いない」 それからィエンは自分の憶測を語った。一瞬、カリアは身を強ばらせたが、動揺はしていなかった。彼のことだ、驚くよりもまず冷静さを纏うことができるのだ。
「とうとう手を出してきたか。商隊に変装して、か。それしかないな。・・・人数は。長はどうなった?お前達、よく逃げ出せたな」
カリアの冷静さに、ィエンは舌を巻いていた。年はそれ程違わないが、ひとを射るような目をするこの男の、凛とした気迫とまむかうと、ィエンは敬意を抱かずにはいられなかった。
「俺とあいつは、たまたま集落を離れてたんだ。どんな様子かは、知らない。燃えてる集落をみつけても、近づけなかった。・・・火事だといっておいたが、ウナクの奴等の仕業だと知れたら、リシャが飛び出して行きかねなかったから」 言いながら、ィエンは口唇だけを吊り上げた。皮肉な笑いになる。エナーリシャを安全圏に置くためについた嘘が、実は己を守るためについたものでもあるとその時気づいたからであった。
誇りを重んじるキハルの男であるなら、単身でも仲間を助けに行くべきだったのかも知れない。カリアの侮蔑を覚悟で、ィエンは正直にそう言った。
「お前は正しいよ、ィエン。もしお前がエナーリシャを連れてそこに乗り込んでいたら、わたしは間違いなくお前を見限っていた。よくエナーリシャを引き留めたな」
エナーリシャの性格からいって、彼女があの場面で黙って見過ごすことはできないと、カリアは言った。
ィエンの予想に反して、そういうカリアの表情は静かだ。既に彼の頭にはどのように守りを敷くべきかがあるのだろう。長の集落が襲われたなら、ここに奴等の手が下るのも時間の問題だ。キハルの現長ハルマの命は、絶望的だと思っていい。ほかの者の命にはまだ望みがあるものの、いずれも無事ではいないだろう。
「さあ、どうする」
カリアは、涼しげな瞳に思案を浮かべ、誰に言うでも無く呟いた。
やや沈黙が続き、ィエンは呟きに似た、だが揺るぎない声音で告げた。
「俺が行く。長の集落がどの程度の状況か、見てくる者が要るんじゃないのか。人数は、天幕の数を見れば大体わかる。そうだろ?」
カリアが、軽く頷く。ィエンのその言葉を待ってはいたが、それに気乗りしたわけではない。自分のこんな気分は、半ば諦めから来るものであるかも知れなかった。
(ウナクを敵に回す時が来た)
ウナクは、ありとあらゆる手を使い、多くの部族を手に入れてきた。もはや、数のうえでは太刀打ちできない。その事実から目を背ける訳にはいかなかった。「行ってくる」
「気をつけろ」
ィエンが天幕から出て行った後、カリアは重い息を吐き出した。
ウナクの支配を逃れる術は、侵略される前に自らの命を終わらせるか、ウナクに和議を取り付け、ご機嫌を伺うか。それともウナクに相反する部族を味方につけ、真っ向から戦をしかけるか、である。
まず、誇りを重んじるキハルの民には、支配を受けるなど耐え難い者が、過半数だろう。キハルの証しである砂の竜は、雄々しい砂の民を好んで加護をする神竜。それへの信仰はそのまま、誰にも膝を屈しない、キハルの意志そのものだ。
ならば、他部族と同盟を結ぶのが最良、ということになる。例え、ウナクを倒すための、ほんの僅かな間であろうと。
だが、それすらも今は難しかった。他部族との長い間の水源を巡る争いは、流された血が多いだけ、拭い切れない憎しみを育てていた。同盟を求めようと、一笑に伏されるのがオチだ。
つまりは、孤独な戦いをするしかないということ。
強力な侵略者、黒き悪魔と、誇りのみに執着するキハル。
勝敗は、決まったようなものだ。
「皆に恨まれようと・・・あれしか手はないのだな」
長、ハルマの集落が襲われたとなれば、まず確実に彼の命はないだろう。だとして、次の長はカリアに違いなかった。正式に決定していないとは言え、長としてするべきことは、ひとつ。
民の命を優先することだ。負け戦を仕掛けるのは、カリアの本意ではなかった。たとえハルマがそれを望んでいたとしても。ここは、ウナクの申し入れを聞き入れるしかない。
「ィエン。お前には悪いが、頼みの綱はエナーリシャしかいない」
ウナクは、エナーリシャを欲していたのである。和議の証し、はっきり言うと「人質」として価値のある、キハル族長の未婚の娘を。
「血を流し、オアシスを奪い合う時は、終わりなのかも知れない」
そう呟くカリアが思うのは、アーレンを亡くしてから、笑いも稀になった娘のことであった。
「ィエンが今いないのは、好都合だな」
戯れ言を呟く気安い口調。だが、彼の目は少しも笑っていなかった。




