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薄い闇に溶け始めるのに抗うかのように、松明の明かりが一層多く焚かれた場所がある。砂漠の中の緑地帯に在る、ひとつの滅ぼされた集落の跡であった。
集落にはいくつもの天幕が張られ、その中の開けた広場に、昼かと見まごうほどの明るさが集まっていた。そして、それに負けじとばかり、楽の音、歌声、けたたましい嬌声がそこには満ちていた。宴の夜である。
見渡す限り、砂ばかりの大地に住まう人々は、その心も荒い砂粒のように、すさみがちである。このような宴は、砂の民に欠かすことのできない、潤滑油の働きでさえあった。しかも今夜は、勝利の末の宴である。
広場の中央には、櫓が組まれ、炎が高々と夜の空を焼いていた。それを囲むように、長い金の髪を揺らし舞を披露するのは、十五人ほどのキハルの女たち。口元を薄布で覆い、それに体の線をあまり強調しない服装であるため、扇情的とはよほど言い難い。しかし、たおやかな手足の動きと、捕らわれそうになる青い目は、充分に魅力的であった。
彼女たちから流し目が送られるたび、ウナクの男たちは野卑な歓声を上げる。後ろに流れる楽の音は、ともすれば周りの雑音にかき消されてしまいがちだったものの、完全に失せてしまわないのは、手練の演奏であるからだろう。
琵琶を弾くのは、三十人のやはりキハルの娘たち。あとの約五十人は、男たちに晩酌をしてまわっていた。娘たちの背なには、一様に楽器が背負われている。琵琶である。この美しい音色を醸す楽器が、切れ味の良い武器となることを、黒髪のウナクは知る由がなかった。
「おい、もお、いっちまうのかい?」
次から次へと酌をされ、散々酔った風情の男が、立ち去りかけたキハルの娘の手首を、ぎゅっと掴んだ。
「まだ、飲み足りねぇよ」
恐ろしいほど良い気分で、男は笑った。黄色い歯を剥き出しにしてにやけるものの、娘はいやな顔ひとつせず、にっこりと微笑んだ。乾いた地面に花が咲き出したような、見たこともない愛らしさである。男は酒で濁った目の覚める心地がした。
「いや、酒は、もういらない。あんたが食いてえ。つまみのかわりにな」
細い首に浅黒い手をかけ、男は娘を引き寄せた。口を吸おうとしたものの、男は一瞬うめき声をあげ、そのままぐったりと娘によりかかった。それきり、動かない。
「あら、もうお休み?」
わざとらしく高い声を上げると、娘は男の体をどけ、立ち上がった。他の起きている男の元へ、晩酌に向かう。
「食われてたまるか」
酒瓶を持ちなおしながら、小声でつぶやかれるのは、可憐な外見とは裏腹の低い少年の声だった。急に寝込んだ男は、酒の力半分、鳩尾にみまった暴力半分で、強引に眠らされたのであった。
男たちに振る舞われる酒は、キハルからの上等の果実酒。しかも、強力な睡眠薬入りである。ウナクに入った百人の娘も、その実は百人の若者。いずれも剣の手練。
敵対する部族のすべてを略奪しつくす暴虐と、その黒髪ゆえに「黒き悪魔」と恐れられるウナク。それを内側から崩そうとする、キハルの最後の抵抗でもあった。
ウナクの数はおよそ二百。こちらは、戦えるものだけで百しかいない。だが、油断しきって酒に酔い、眠りに落ちたウナクが相手だとしたら、勝機はある。ウナクの長、「戦の神」との異名をとる老人を殺せば、ウナクの士気と統制は崩れるに違いなかった。
「あの男が、ィエン!? ばかな」
宴の喧噪を尻目に、そこから少しはなれた一つの天幕の中は、ひとびとのざわめきと琵琶の音色がやさしく聞こえてくるだけだった。あの音色が途絶えたときが、反乱のとき。酒を呷っているウナクの男どもにも、そろそろ眠り薬が効いてくることだろう。
それまでの間、エナーリシャとアーレン・シンはあたりをはばかるように声をひそめている。
「そうは、思えないか」
高ぶる心を無理やりに押し殺した男の声と、それに続く娘のそれ。
「・・・確かに奴は、ィエンに似ている。俺の双子の兄弟にな。それに、ィエンがウナクへ報復に旅立った時期も重なってる。
だが、リシャ。だからと言って、ィエンがウナクの男として生きているハズが、ないじゃないか」
アーレン・シンの表情は、痛々しいと言ってもよかった。彼も先程、レノ・ランセを間近で見たとき、死んだはずの兄弟と酷似した双眸に出会い、戸惑いは隠せなかったのだ。
他人と言うには、ふたりは似過ぎている。
キハルのアーレン・シンと、ウナクのレノ・ランセ。こんな偶然は、在り得ない。
「血の成せる技、か」
アーレンは低く呻く。エナーリシャは言ったのだ。こんなに酷似したふたりがいるのは、近しい血のみが成せる技、と。
「なら、なぜと聞く。奴がィエンだとして、なぜ俺たちを知らない?それとも、知らないふりをしているだけか?」
「・・・理由はわからない。でも、あいつは、本当にわたしのことを知らなかった」
レノがィエンだとしたら、はたして何の躊躇もなく、エナーリシャを妻にするだろうか。レノの目には、嘘はなかった。何かを裏に隠すようなそぶりはなかったと、言い切れる。
レノ・ランセが、兄との決闘で負ったという、三年前の太刀傷。
それは、報復に旅立ったィエンが負った傷とは、考えられないだろうか。青灰色の目の、記憶を無くしたウナクの男。死んだはずのィエンではないのか。 エナーリシャはそれきり、押し黙った。アーレン・シンも、次に言うべき否定の言葉を探すものの、どうやっても見つからなかった。
・・・それは、レノ・ランセがィエンに違いないという、確信の沈黙ですら、あったのだ。 *
「名の無い男、どうなさったのです」
宴もたけなわだった。男たちは酒と女たちの舞に酔いしれたか、ほとんどが泥酔していた。
しかし、宴に加わろうともせず、今回の一番の功労者である彼は、暗がりにぼんやりと立ち尽くしていた。火を高く差し出した櫓は、暗い天を灼く。そのおこぼれのような橙色のひかりは、生気のまるでない男の横顔をてらてらと濡らしている。
そこに通りかかり、声を掛けたのは、ウナク族長ヤエフアの側女であった。彼女の癖のない長い黒髪と、白い袖無しの麻衣からむきだしになった、しみひとつない白い腕は、やはり炎を照り返し、だいだいに染まっていた。
「おまえこそ、父の側を離れていいのか」
レノ・ランセは女の方に顔を向けもせず、ただ言葉を吐き出した。今朝のてらいない彼の笑顔を見ていた女としては、その落差がにわかに信じ難いほどだった。
「・・・お酒がなくなりましたものですから。
それよりも、レノ・ランセ、あなたはなぜ、そんなに鬱々となさっていらっしゃるのでしょう?」
「なんでもない」
真実を話したとして、この女に何ができるだろう。もう、すべては取り返しがつかないところまで、転がって行ってしまったというのに。
「お顔の色がすぐれないようですわ」
「その酒、くれないか」
苦い笑いをしながら、彼はそう言う。女は案じる様子をみせながら、おずおずと彼に素焼きの酒壷を手渡した。たっぷりと満たされた酒は、ぷんと良い香りをさせる。
「エナーリシャさまと、早々に夫婦喧嘩ですの?」
「そんなところだ」
女は、憮然とした風の男に、薄く笑いかけた。まるで息子を見つめる、母のような笑い。女のほうが二、三彼より上でそうは齢も違わないが、三年前から何かと世話を焼く人間だったということを、彼は今更ながらに思い出した。
側女であろうと、老齢の父が相手であれば、身の回りを細々と世話する役目にとどまっていたのだ。
「あのかたを、愛しんでおられるのですね」
そういう女の声音に、責めるようなものがあるのは、気のせいではあるまい。 ウナクのレノ・ランセは、秀麗な面立ちをした男。それに頭も切れる。長の息子にはありがちな、人を見下すような態度もなく心くばりもすぐれている。
そんな部族内でもなかば崇拝されている男が、キハルの女に執心するのは面白くないのだ。
しかし、レノ・ランセはもともとキハルの男。やはり同族同士で引かれ合うのかもしれないと考えがいたると、女はあきらめににた笑いをもらした。
「・・・父が待っているだろう。早く行くがいい」
にべもない物言いにも、女はひるまなかった。それどころか、彼女は微笑んだ。
「ふふ、お節介でしたわね。でも、これだけは聞いていただきたいですわ。
大事なものだけは、決して離してはなりません。愛する女は、けっしてその腕を離してはなりません。・・・わたくしは、老婆心でそう申すのですわ」
女の目には、やさしい光だけがあった。しかし彼は、何か、耐え難い痛みが走ったかのように、顔を歪めた。
「まだ言い足りないことがあるか?」
「・・・いいえ。失礼いたします」
喉の奥から短く声を発すると、女は一礼して彼の前から消えた。
「何を、知った風に」
彼は、低く掠れた声で呻いた。酒を呷りかけたが、彼はなにか異臭にきづき酒壷を投げ捨てた。
「まずい酒だ」
上等の酒にはちがいないのだろうが、彼の舌はその味をうけつけなかった。とても酔う気分にはなれないからかもしれない。
腹の底から身体をじりじりと焼いていく絶望の前には、たとえ聖人の言葉であろうとも、救いは望めなかった。それに、そんなうわべだけの慰めを、欲しいとも思わない。
「離して悔いのないものなど、俺は知らない」
命をかけて、何かを守りたい。
・・・世の中に、言葉にしてしまえば、これほど陳腐なものがあるだろうか。それに、その言葉の重さは、どんな尺度で測るというのか。
離れているからこそ、真実だとわかる想いもあれば、互いの肌の温みを通して確かめ合う想いもある。相手に嫉妬するのも、深く憎むことですら強く想う分だけ、ある種の愛ではあるまいか。
そして、彼が妻にしたのは、最大の裏切り行為。その真実の前では、どんな言葉も無力だ。
キハルの同朋の無防備な背中を、ウナクの男として斬りつけた。その上、妻の父の首を取ることまで、したのだから。
知らなかったでは、済まされない。彼の両の手には、見えない血糊がべったりと糸を引いていたのだ。どこまでも追ってくるように思える、悲鳴も。
幻影ではない。すべてが現実だった。瞼を開いていても覚めることの無い、悪夢に捕らわれたも同じ。
・・・なんの躊躇もなくエナーリシャを腕に抱きしめるには、この手は汚れ過ぎているのだ。
「どうすれば、この手の穢れは落ちるんだ? どうすれば」
そのとき彼は、虚ろな耳に野太い悲鳴を聞いた。琵琶のかもす楽の音がふいにとぎれ、うわずった悲鳴がつぎつぎに耳に飛び込んできた。ゆるゆると頭をあげた途端、彼は、青灰色の瞳を驚愕にみひらいた。
「ばかな」
思い出したように時折吹く、砂漠からの風に、彼の赤茶の髪があばれる。
彼の目にまず飛び込んできたのは、砂漠の風に巻き上げられる、キハルの娘たちの鮮やかな着物の裾。それから、彼女らの手に握られ松明のともしびを受けてまばゆく輝く、銀の刀身であった。
「ぎゃああ」
異変を察した男のひとりが腰から太刀を抜き放つよりもはやく、キハルの娘の背なから生え出た業物が、男の喉元をやさしく愛撫するかのようにすうっとなでた。
噴き出る血しぶきは、橙色の松明のあかりをうけて、あやしくも美しかった。「ひぃああっ」
間を置かずして、宴の席は美しい琵琶の音のかわりに血と悲鳴に満たされたのである。
彼はすぐに状況を察した。あれは娘たちではない。
キハルに限らず、天幕と子供をまもるべき女のなよやかな手は、剣などを扱うには優しすぎるのだから。
(あのキハルからの百人の娘が、すべて戦に慣れた男だとしたら)
何かにせかされるように、彼はウナクの族長のの天幕に向けて走りだした。




