覚醒
『殺人メモリー3』を読んでいない方、先にそちらを読んでいただけると助かります。
というか、そこから読まないと話が分からないかも……。
ディーは全身から力を抜いた。今までに無いほど体に力を入れていたため、全身が疲れ切っていた。
「………………」
右腕についたエドの血を見て、ディーは目をつぶる。
失敗だった。
レベル15で初めて戦闘と呼べるだけのものをした。過去に行われた実験の時、ただ突っ立っているだけで魔法を発動したものとは全く違う。
本当に奥底から力があふれ、全てがどうでもいいことのように思えていた。
「ちっ……」
結果がこれだ。『時間稼ぎ』をしているということを忘れ、本気でエドの事を殺したいと思ってしまった。
ディーは過去の実験で、『実験終了が目標時間よりも遅れてしまった場合、後に行われる実験内容を再度見直し、改めて検証する』ことになるのを知っている。
それはつまり、実験内容が変われば、ディーによって殺されるはずだった人間が死なずに済むかもしれないということだ。
理不尽に殺される人間が減る。そう思い、ディーはずっと目標時間を過ぎたころに実験を終わらせるようにしようと思った。
しかし、そう簡単にはいかない。今までディーは、その目標時間よりもずっと早くに実験を終了させてきた。それが突然遅れるようになれば、研究者たちは不審に思うだろう。
だから待った。外に出て、ディー自身が闇魔法を使う者を探しに行かなければならない時を。
フルーゼは、ディーが表で探さなければならなくなった中で、3番目の人間だった。ディーとしては、まだ目標時間を遅れない、ぎりぎりの時間で実験を終わらせようと思っていた。
10人を超えたあたりから、少しずつ、不審に思われない程度に遅らせようと。
しかし、外に出てから3番目の標的であるフルーゼは、今までの奴とは全く違った。普通殺されると分かれば、実験室ではない外なら逃げようとするか、半ば半狂乱になりながら攻撃してくる。
が、フルーゼは幅の狭い路地裏という地理を生かして土ぼこりを上げ目くらましをすると、瞬時に吹き払ったが、その一瞬を利用して人ごみにまぎれ、姿を消した。
この二つを冷静にやってのけたのだ。
そのことが、ディーの狂気じみた野生の動物に近い感覚に刺激を与えた。どうやっても、何をしてでも殺したいと思った。噛み砕きたいと。
しかし、その一歩手前まで行ったとき、レベル9のエドが割り込み事態を急変させた。
実験に邪魔が入ったのだ。それは当然、目標時間を遅らせる原因になる。
実験の進行状況が大きく変わったことはディー自身にも驚きであったし、それはもちろん研究者たちも同じはずだった。だからディーはエドとの戦闘を言い訳にして、実験の終了目標時間をこのタイミングで遅らせることにしたのだ。
だが、それも失敗。
1分1秒でも引き伸ばさなければならないというのに、レベル15という本来のあふれ出すような力におぼれ、獰猛な狂気のままにエドを殺してしまった。
「結局……オレには何かを成し遂げることは出来ねぇのかよ……」
低い声でつぶやき、ディーは離れたビルにいるフルーゼの方へと足を向けた。
◇◆◇◆◇◆◇
エドの意識は深海にいるような、青暗い場所にいた。浮いているのか、沈んでいるのか、体があるのか、意識だけになったのか。生きているのか、死んでいるのか。
それすらも分からなくなっていた。
どうでもいいと、エドは思う。
指を動かそうとしても反応はなく、瞬きさえしているという自覚はない。
声も出てこなかった。
左右にゆっくりと揺れる青と黒の視界が、エドをもっと深く、奥底の二度と戻れない場所へと引き込もうとする。
エドは、流れのままに全てを任せた。
抗う力がないのなら、何をしたって無駄だ。精いっぱい叫んだって、その声が聞こえないのなら意味がないじゃないか。
エドの視界が青暗いものから黒一色へと移り変わる。
意識すらその空間に溶け込もうとした時、黒い視界から、ぐん、と体を強く引っ張られる感覚がした。と思う間もなく、エドの目には黒ではなく斜めから来るオレンジ色の光に輝く砂が見え、はっ、と夢から覚めたような感覚がエドの体に冷気のようなものを染み渡らせる。
体があり、手があり、その指先が動かせた。微風すら感じられる。
がばっ、とエドは起き上がった。ここがディーと戦った場所ではないことなど容易に分かる。
しばらく無言で辺りを見回した後、エドは信じられないとでもいうようにつぶやいた。
「……そ…んな……」
そして次の瞬間には、エドの目は驚きと動揺で見開かれていた。その顔が一瞬にして陰る。
遠くでカラスの鳴く声が聞こえ、暖かいオレンジ色の夕日に照らされたその場所が、エドの意識だけで出来た体に強い衝撃を与える。
そこは、幼いころによく遊んだ公園だった。エドはそこにある砂場に座っている。
公園の中心、遊具に囲まれた場所には1人の女の子が立っていた。両手で顔を隠し、いち、に、さん、と数字を数えている。
「あれは……」
エドの驚きを隠せない声になど構わず、幼い女の子は陽気に数を数え続ける。
「メリ、ア…………?」
エドがつぶやいた瞬間、メリアと呼ばれた女の子は顔を上げ、両手を勢いよく上にあげた。
「よおーし、20数え終わったからね!! 絶対シルヴァお姉ちゃんとお兄ちゃんを見つけるぞ!!」
大声でそういうと、近くにある茂みの方へメリアは駆け出して行った。
すると、そんな様子のメリアを見て小さく笑う子供が二人。エドの右前方にあるベンチの後ろに隠れている女の子と男の子だ。
「あんたの妹、また見つけられなくて叫ぶと思う。うわああああ、って」
「な、なんだよ。シルヴァだって、メリアの事言えないだろ」
小さな声で言い合う二人は、シルヴァとエドだった。
「ここ、は……俺の過去なのか」
砂場にいる15歳のエドは、やっとこの状況を理解した。
この時のエドは10歳になったばかりだった。5歳の妹、メリアを連れて、よくこの公園でかくれんぼをしたのを覚えている。
シルヴァもそうだったが、メリアは何かとすぐに叫ぶ女の子だった。見つかれば叫び、見つけられなければ叫び。しかしそれは、決して怒っているからというわけではない。そのため、叫ぶたび、二人でメリアの元へ行きなだめていた。
メリアはなかなか二人を見つけることが出来ないようだった。こんな時、メリアは泣くか、大声を上げて二人をわざと出てこさせる。
15歳のエドが砂場から様子を見ていると、メリアが大声を出した。しかし、幼い二人はお互いの顔を見合わせて笑い、わざと出ていかなかった。すこし意地悪をしてやろうと思ったのだ。
「……やめろ」
15歳のエドが声を振り絞って一言発する。が、これは過去に起こったこと。意識だけ連れてこられたエドの言葉は、実際にいる幼い二人には決して届かない。
「やめろぉっ!!!」
エドは叫ぶ。が、幼いメリアを二人は見ていない。
何度も何度もメリアは大声を上げる。何度目だろうか。最後の叫びはひときわ大きく、もはや悲鳴だった。最後の一声に肩を震わせ、ようやく幼い二人が心配になって出ていくと、そこには血まみれになったメリアと、そのメリアの胸ぐらをつかみ、もう一方の手で赤い包丁を握っている男の姿があった。
血に赤く染まる男はぎろり、と異様な目つきで幼い二人を睨みつける。
幼い二人はあまりの恐怖で凍りついた。メリアが何度も大声を出したのは助けてほしかったからだと、今になってようやく気付いたのだ。
通り魔は二人を見逃さなかった。見られてしまった以上、生かしておく理由などどこにもない。通り魔は二人に切りかかって行った。
「う……あああああぁぁっ!!!!!」
このとき唯一幸いしていたのは、男のレベルが1で、まだ10歳のエドのレベルが7だったことだ。
幼いエドはあまりの恐怖と怒りで我を忘れて男を攻撃した。顔を切り付けられ腕をつかまれたが、何度も何度も攻撃した。砂場に落ちていたシャベルを投げつけたり、木の棒で男の腕を突き刺したりした。
意識だけのエドも、じっとしてはいられなかった。この時の怒りがよみがえり、全身を震わせ、あごに異様な力が入る。
幼いエドが通り魔と戦っている中、エドは猛烈な勢いで拳を突き出した。が、男の顔面を正確にとらえたその拳は、当たることは無くむなしく通り過ぎてしまう。
勢いのまま、まるで幽霊のようにエドの体も男を通り過ぎた。
そんなことが起こっているなど知るよしもなく、幼いエドは男に煮えたぎる怒りをぶつけ続ける。
やがて警察が駆けつけ男は逮捕されたが、その時にはメリアは息を引き取っていた。
メリアのそばで、シルヴァが大粒の涙を流す。何度も何度も、エドの妹の名を呼び続ける。
警察にけがはないかなどと質問をされていたエドも、血まみれのメリアを見た瞬間、体から力が抜け、そのまま気絶してしまった。
その事件が起こってからだ。エドとシルヴァはどんな些細な出来事でも、相手の身を心配して助けようと考えたのは。すぐ目の前に助けを呼んでいた人がいたのに、『いつもの事』と思い込んで、結果その人を死なせてしまった。
もう二度と、そんな悲劇を目の前で起こさないために。
エドの視界は、幼いエドが気絶し警察に担ぎ上げられたときに、元の青暗いものに戻っていた。漂いながら、その時に決意したことをもう一度思い出す。
やはり、ここでは指先も体も動かなかった。
しかし、エドにはどうでもよかった。
何を諦めているんだ。動かないから、それで諦めるのか。
あの時、メリアを失った時に決意したものは、これぐらいの事で砕けてしまうものだったのか――!!
エドの胸のあたりから閃光がほとばしった。内側から発せられる暖かいそれは、視界を埋め尽くしていた青暗いものを一気に白へと塗り替える。
体の奥底で、今まで感じたことのないものが飛び出そうとしていた。
◆◇◆◇◆◇◆
大量の血を失ったエドの体は、魔力が代わりに生命維持をしていた。が、その魔力もやがて尽きる。
ディーの視界のすみに映っていたエドのオーラが自然に消えていった。それは発動していた本人が死ぬことを意味している。
「………」
無言でそれを確認し、移動するために『上』と『下』を選択したディーだったが、
その変化は突然起こった。
魔力がゼロになったエドの体は、空になった器に新しい水を注ぎこむかのように、大気中の魔力を吸収し始めたのだ。
左腕の傷口からさまざまな種類の魔力が吸収し、エドの全身を駆け巡る。
いつの間にか血は止まっていた。
「………あぁ?」
大気の魔力に違和感を感じたディーがエドの方を振り返った。外見に目立った変化はない。が、明らかに魔力がエドの体に向かって渦を巻くように移動している。
不思議に思い、ディーはエドの方へと一歩踏み出した。その瞬間、ディーの全身を包んでいた膨大な量の黒いオーラが掻き消える。
「……っ!? 何が……」
魔力が尽きているわけではないのに、オーラが突然消え驚くディー。しかし、すぐに異変に気付いた。
「こいつ……そこら中から魔力を吸収してやがる!!」
ディーが状況を把握している間にも、エドの体はどんどん魔力を吸収していく。すぐに空だった器はいっぱいになった。が、エドの意識と関係なく行われているそれは、器の大きさなど気にせずに魔力を吸収し続ける。
吸収されたさまざまな種類の魔力は、全て光魔法に変換されていた。エドの体が拒絶することの無いよう、傷口から体内に入ったその瞬間に。
エド自身にも分からない力が動いていた。
そしてそれは、エドの満たされた『レベル9という器』を内側から破壊する。『器』という小さな箱を捨て、体全てを器にして魔力を吸収し続ける。
エドの体に変化が現れた。いつの間にか全身からしみだすように出ていた白い光は、オーラとなってエドの体を一気に包み込み、やがて白い炎となってエドの茶色い髪を薄い黄色に変えたのだ。
ディーは言葉を失った。
攻撃するべきなのか、それとも一度逃げるべきなのか。何百と殺し合いをしてきたディーにも分からなかった。
そうしている間にもエドの炎のような白いオーラは量を増し、体にはこれで十分だとでもいうように吸収した魔力で左腕を再生させる。
ゆっくりと、エドはその場で立ち上がった。いつ意識が戻ったのか、ディーに分かるはずもない。
ディーの方へ振り返ったエドの瞳は、鮮やかなオレンジではなく、まがまがしい赤に染まっていた。炎のようなそれは、夜闇の中で鈍く光る。
瞬間、エドの姿がディーの視界から消えた。そして、強い衝撃がディーを襲う。
目で追い切れない速さで、エドがディーの腹に拳をぶつけたのだ。ディーの口から血が吐き出され、あまりの勢いに踏ん張りきれず、ディーの体がものすごい速さで屋上の柵にぶつかった。ぐにゃり、とその形を変形させる。
滑らかな動作で構えなおしたエドが口を開いた。得体のしれない、とてつもない力をその身にまとって。
「これで対等だ、ディー」
ディーは口の中にたまった血を一気に吐き出す。
明らかに、エドの魔力はディーと同等以上のものになっていた。
「………。言ってくれるじゃねぇか」
瞬間、前へ飛び出した二人の足元のコンクリートが爆発した。夜の屋上で、怪物となった二人の少年の魔力が激突する。
光と闇。
相反する二つの力が閃光となって辺りに何度もほとばしった。