宇都宮釣天井、在り。 ~無実の罪で貶められたので、二度目は本当に将軍を圧殺することにした~
久々の投稿となりますが、拙作をお選び頂きありがとうございます。
元和八年(一六二二年)四月十九日、下野国壬生城。
江戸への帰路にあった征夷大将軍・徳川秀忠の元へ、一通の書状が届けられた。差出人は、宇都宮藩主・本多上野介正純。
その文面に目を通した秀忠の顔色は、みるみるうちに朱に染まり、やがて青ざめるほどの激昂へと変わった。
「……おのれ、上野介。予を愚弄するか!」
秀忠は震える手で書状を握り潰し、力任せに床へと叩きつけた。
側近である老中・土井大炊頭利勝が慌ててそれを拾い上げ、検分する。そこには、慇懃無礼を極めた筆致で斯様に記されていた。
『日光社参の帰路、当宇都宮城への御成りを避けられたと聞き及び、安堵仕り候。
巷間囁かれる「釣天井」なる流言飛語を真に受けられ、神君家康公がお定めになった道程を違えるほど「慎重」であらせられる公方様なれば、万一の折、当城の普請にてはお守りしきれぬ道理にござります。
大御所様であらせられましたら、たとえ死地であろうとも泰然と踏み入られたことと存じますが、君子危うきに近寄らず。御身を翻されたのは至極賢明な御判断かと存じ奉ります。
どうかそのまま、加納御前様の庇護の下、安全なる江戸へと御帰還くださりませ』
「予が……! 神君に劣ると申すか! 女人の噂に怯え、尾を巻いて逃げ出したと!」
「上様、此度は正純の明らかなる挑発にござります! 奴に後ろ暗い処がある故の世迷い言。決して乗ってはなりませぬ!」
大炊頭の必死の諌止も、怒髪天を衝く秀忠の耳には届かなかった。
秀忠にとって、偉大なる父・家康は生涯越えられぬ巨壁であった。その父を引合いに出され、臆病者と断じられては、武門の棟梁たる矜持が許さない。
「馬を引け! 宇都宮へ取って返す! 正純の面前にて、その腹黒き魂胆を直々に打ち砕いてくれるわ!」
こうして、歴史の歯車は大きく狂い始めた。
◇◇◇
宇都宮城、本丸御殿。
戻らぬはずの将軍一行を、本多正純は平伏して出迎えた。
その伏せられた眼光は、深く、暗く、底冷えがするほどに冷え切っている。
(……来たか。秀忠、土井大炊。やはり、貴様らは釣れたな)
正純の脳裏に去来するのは、一度目の生涯、出羽国横手での惨憺たる最期である。七十三年の生を閉じる際、その胸を焼いたのは後悔などという生温いものではない。血を吐くような怨嗟であった。
身に覚えのなき罪を着せられ、流罪となり、家名は断絶。忠義の果てがこれか。
――ならば、二度目は真に成し遂げてやろうではないか。
「上様、思いがけぬ御成、恐悦至極に存じ奉ります。ささ、旅の御疲れもござりましょう。湯殿の支度も整えておりますが、まずは奥の書院にて一服差し上げとう存じます」
正純の恭しき案内に従い、秀忠と土井利勝、そして数名の近習が、新造されたばかりの『御成御殿』へと足を踏み入れた。
青畳の香りが色濃く漂う広間。上段の間には見事な掛け軸が下がり、違い棚には名品が並べられている。
秀忠は上段の間にどかと腰を下ろすと、手にした扇子で膝を打ち鳴らし、正純を射貫くように睨みつけた。
「上野介。其の方、予によくもあのような無礼千万なる文を送りよったな。申し開きはあるか」
「無礼などとは、滅相もござりませぬ。某は只々、上様の御身を案じ奉ったまでにござります」
「白々しい! ……おい、正純。この部屋、いささか天井が低いとは思わぬか?」
秀忠が忌々しげに頭上を指し示す。
土井大炊頭も周囲の気配を殺気立って窺い、佩刀の鯉口に静かに親指をかけた。
「本多殿。巷で噂の『釣天井』。まさか、斯様な仕掛けが実在するわけではあるまいな?」
正純は、静かに相好を崩した。
その笑みは、忠臣の仮面を脱ぎ捨てた、凄絶なる修羅の貌であった。
「……御明察にござりまする、土井殿。一度目は無くとも、二度目は在るのが世の習い」
「なに?」
正純が懐中より扇子を取り出し、パチンと小気味よい音を立てて開く。それが凶行の合図であった。
天井裏で息を殺していた仕掛けの者たちが、一斉に吊り綱を断ち切った。
ズゥゥゥン!!
腹に響く重低音と共に、頭上の豪奢な格天井そのものが落下を始めた。
ただの天井板ではない。その裏には、鈍い輝きを放つ無数の白刃――槍の穂先が、剣山のごとく植え込まれているのだ。
逃げ場なき無数の凶刃が、重力に従い、将軍の頭上へと迫る。
「う、上様ッー!!」
土井利勝が裂帛の気合と共に叫び、秀忠を突き飛ばそうと手を伸ばす。だが、部屋全体を覆う死の天蓋からは逃れようがない。
頭上から迫る無数の切っ先に、秀忠は目を見開き、声すら発せぬまま腰を抜かした。
「神君であらせられれば! 泥に塗れてでも逃げ延びたであろうに! つまらぬ意地で死地へ戻ったが貴様の不覚よ!」
正純の怒号を、轟音が完全に掻き消した。
重厚な木材と鉄の塊である釣天井が、将軍・徳川秀忠と土井利勝、そして近習たちを無慈悲に圧し潰す。
断末魔すら上がる間もない。御成御殿の床板を突き破る勢いで、鋭利な刃が彼らの肉体を貫き、骨を砕く。
広間は一瞬にして、おびただしい鮮血の飛沫と、物言わぬ骸の山と化した。
死の静寂が降りる。
正純は、天井の隙間から這うように滲み出る赤黒い血溜まりを見つめ、ふぅ、と長く息を吐き出した。
「……終わったか」
廊下の奥からは、尋常ならざる物音に気付いた柳生但馬守宗矩ら護衛の剣客たちが、怒声と共に雪崩れ込んでくる気配がする。城外からも異変を察知した喚声が沸き上がり始めた。
正純は傍らに控えていた腹心に、冷徹に目配せをする。
「火を放て。城ごと灰燼に帰すのだ」
「ははっ!」
やがて、宇都宮城の各所から猛々しい火の手が上がった。
燃え盛る業火の中、正純は血塗られた広間を見つめながら、静かに胡坐をかいた。
その手には、白鞘の短刀が握られている。
「土井殿。加納の婆殿。貴殿らの浅ましき謀略の御蔭にて、此の度、本多正純は天下の大罪人として歴史に名を刻むことができた。……礼を言うぞ」
パチパチと爆ぜる火の粉が、正純の白刃と顔を赤く照らし出す。
彼は鋭い切っ先を自らの腹に押し当て、最期に満足げな笑みを浮かべた。
「家康公、黄泉路にては幾重にも御叱りを受けましょうぞ。……だが、無実の罪で飼い殺されるよりは、余程面白き死に様にござりましょう?」
その日、宇都宮城は紅蓮の炎に包まれ、時の将軍・徳川秀忠と共に焼け落ちた。
泰平の夢は潰え、日ノ本は再び血洗う戦乱の世へと逆戻りすることとなる。
世に言う、「宇都宮釣天井の乱」である。
作者のメンタルが、豆腐のようなメンタルで、重圧に負けそうに感じた為、感想欄を閉じております。
今まで他作品に感想頂きありがとうございました。
最期に、読了頂きありがとうございました!




