表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

佐田岬灯台

 佐田岬半島の動脈である国道197号線の西端は三崎港まで。そこから佐田岬灯台までの道のりは道幅が狭くなる。距離にしてあと15km。佐田岬半島で生活する人々の主な産業は、漁業と風力発電だけではない。愛媛県ならではの柑橘の栽培も大きな産業だった。岬までの道すがら、みかんを栽培する小さな集落があった。その集落を抜けてさらに進むと、断崖絶壁で道が途絶える。そこが駐車場になっていた。海に向かって左手に、展望台に至る小路が整備されている。車から降りた観光客がその道を進むので、僕もその後に付いて行った。豊後水道が見渡せる素晴らしい展望台。右手のずっと先に佐田岬灯台が見えた。


 ――ん!?

 ――確かに灯台が見えるけれど、これで終わりなのか?


 少し動揺した。もっと近くで見てみたい。元来た道を引き返し、再び駐車場に戻る。駐車場の入り口に案内の地図が設置されていた。灯台までの道のりが示されている。良かった。僕の勘違いだった。ただ、灯台まで歩いていくわけだが結構な距離がある。アップダウンも激しく、往復で小一時間はかかりそうだ。今夜もナイトランは確定。四国一周の旅では、昼も夜も関係なく走ってきた。計画通りにはいかない。まぁ、その予定調和にならないところが面白いのだけれども……。鼻息を荒くして、佐田岬灯台までの道のりをセカセカと歩きはじめる。


 大晦日だというのに、佐田岬灯台を見学する観光客は、僕が到着した14時半くらいで10組ほどいた。その中の一組のファミリーは、今朝に足摺岬灯台を見学した時に見かけたような気がする……。僕の記憶違いかもしれないけれど。道のりは、登山ほどではないけれどそこそこに体力が必要だった。坂が急なので、所々にベンチが用意されている。お子さんの元気な歩きに付いて行けず、お父さんがベンチに座り込んでいた。そんなファミリーを追い越して、僕は先を急ぐ。


 岬の小高くなった崖の上に、佐田岬灯台は立っていた。沈み始めた太陽をバックにして、後光がさしている。豊後水道は穏やかで、太陽に照らされて銀色に輝いていた。少し風が強い。四国最西端の僻地に来たんだな~と感じ入る。ここ佐田岬は、旧日本陸軍の要塞としても機能していた。周辺には当時の軍司令部の遺構が残されている。崖の中腹には幾つか洞窟が掘られており、レプリカだが当時の様子を表現するために砲台が設置されていた。説明書きも添えられていて、観光地としてのクオリティが高い。


 佐田岬灯台は1918年(大正7年)に設置された。四国最南端の足摺岬灯台は1914年(大正3年)なので、これら2基の灯台は第一次世界大戦の始まりと終わりに設置されたことになる。当時の日本は戦争特需で景気は上向き。国際社会で日本の地位が向上していく中、日本はドイツに宣戦布告をし、中国に対しても二十一カ条の要求を突きつける。海外との緊張感が高まる中、この豊後水道の防衛を目的にして、佐田岬は要塞化したのだろう。


 ところで、このような戦争の記憶を現代に残す意味を考えてみたい。第一義は、「戦争という悲惨な行為を二度と繰り返さない」だろう。広島にある原爆ドームも同じだ。ところが、このような努力が結果として実りにくいという現実がある。日本のことではないが、海外では今も戦争は行われていた。日本にしても、戦争にはなっていないが軍備の拡充は進められている。海外からの侵略に備えた行為なので理解はしているが、そもそもが人間を殺すための武器だという認識は必要だと思う。


 現在、日本と中国の間に緊張感が高まっているが、それを受けて世論の一部では、抑止力として日本の軍備拡大を主張する方がいる。先の選挙では、核保有はコスパが良いとの発言もあった。これはチキンレースと一緒だ。自分が臆病ではないことを競っている。行きつく先は、悲惨な結果しか待っていない。問題の先送り。僕の勝手な勘繰りかもしれないが、自分だけが高みにいて、自分だけは被害が被らないと思っているのではないだろうか。


 ゲームでも漫画でも世論でも、「悪者を懲らしめる」というモチーフは、エンターティメント性を高めるのに有効だ。相手の都合は関係ない。こちらの正義を振りかざし、勝つことが快感になる。世界は、そのような単純な物語で溢れている。仮想敵国や排斥すべき対象を設定して、国をまとめ上げるのは、権力者の常套手段になる。


 実際に戦争を体験した人は、相当の苦しみを感じたはずだ。それは原体験であり、二度とこのような過ちを繰り返してはならないと心に誓ったのだろう。戦後に誕生した文学や漫画は、そのような戦争体験に裏付けられたものが多い。実際に読んでみると心が痛くなる。この戦争の悲惨さを感じようとする想像力は、とても大切なことだ。これこそが戦争の抑止力だと考える。


 ただ、ここに一つ問題がある。原体験は自分の意志とは関係なく強制的に被られたものだが、想像は自らの意志でその悲惨さを感じにいく行為になる。つまり、悲惨さを感じたくない人にとっては、戦争は他人事なのだ。目をふさぎ耳を閉じることが出来る。ここに大きなジレンマがあった。戦争の記憶を現代に残す意味はあるが、その悲惨さを後世に伝えるのは至難の業だと思う。


 佐田岬灯台を後にする。ここまで来て本当に良かった。次なる目的地は、道後温泉。距離は110km、時間にして3時間は掛かるだろう。現在の時刻が15時半なので、到着は18時半ごろになる。アクセルを開けて、佐田岬半島を貫くメロディラインを走った。太陽を背にしてカーブを曲がり、トンネルに入っていく。そのトンネルの出口付近で、急にエンジンの音が変った。「シュー」とうなり声をあげながら、力を失っていく。アクセルを戻した。トンネルを出たところで停車する。


 ――やっちまった!!


 エンジンが焼き付けを起こしたかもしれない。僕のスーパーカブはオイルを喰い始めていたので、予備のエンジンオイルを携帯していた。どこかでオイルを入れようと思いつつ、ずっと忘れていたのだ。オイルの挿入口を開ける。丸い穴から白い煙がモクモクと立ち上った。かなり危険な状態だ。兎にも角にもオイルを入れる。循環させるために、キックレバーを踏み込んだ。


 ――ブロロ~ン。


 エンジンはかかった。暫く様子を見る。マフラーから白煙が出始めていたが、その白煙が酷くなっていた。状態はかなり悪そう。このまま大阪に帰れるのかが心配になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ