初日の出
野宿において、テントの有ると無しは大きな違いだ。昨年の秋に、奈良県大峯山系の登山で一般登山道関西最難関と言われる弥山川双門コースを登ったことがある。噂に違わぬ困難な登山道で、というか明確な登山道が分からない箇所が所々にあった。弥山川を遡上するだけといえば簡単そうだが、大きく岩がせり出していて登れない。下手に登ろうとしたら川に落ちる。どうしても無理な場所は梯子が掛けられているのだが、その数が40本もあった。
お寺や神社に参拝する時、石の階段が100段もあれば、登るのに気が滅入ると思う。垂直の梯子を登り続けるのは、それ以上に大変。足の筋肉がプルプルと震えだす。更に下を見ると強烈な高さ。落ちたら死ぬ。足が震えた。梯子にしがみつくしかない。
そんな双門コースに挑戦してみたが、計画通りに登れなかった。深い山の中で日が暮れてしまう。この時の登山では山小屋で宿泊するつもりだった。なので、テントを担いでいない。困ってしまった。辺りを見回すと、壮大な渓谷。岸壁や岩だけは沢山あった。岩がせり出して屋根を形成している場所を見つける。雨は凌げそうだが、壁は一面しかない。完全な吹きさらし。その上、夜には気温が0度に下がる。そんな場所に寝袋だけで寝た。
そんな経験から比べると、テントがある野宿は快適だ。薄い布一枚の防御力しかないが、プライベートな空間が確保されていると安心する。この日も気温が0度まで下がる予報だったが、テントがあれば寒さも幾分は防げる。特に寒さは感じなかった。
誰かの足音で目が覚めた。ジッと耳をそばだてる。キャンプ場でテントを張っている場合であれば、足音に警戒することはない。なぜなら、その場所はテントを張っても良い場所だから。誰かに承認されているというのは、人に安心感を与えた。対して野宿は、基本的にテントを張ってはいけない場所になる。誰かに咎められると言い訳が出来ない。どこかやましい気持ちがあるので、安心が出来ない。
足音が去っていった。ホッと安心する。時刻を確認しようとスマホを探した。手に取るとスマホが白く光る。画面が眩しくて目をしかめた。6時前だった。初日の出にはまだ早い。1時間以上もある。でも起きることにした。頭にヘッドライトを装着して、テントの撤収を始める。ところが、ヘッドライトの光が弱い。充電が切れかけだった。テントを畳もうにもかなり不便。
――ブロンブロン!
バイクが1台やってきた。通過するのかなと思っていたら、停まった。少し警戒する。ここは展望台なので、誰が訪れても良い場所だ。しかし、相手の様子が分からないだけに、こんな真っ暗な中で対峙すると恐怖が増す。ドキドキとしながらも、テントを畳む手を休めない。
「あの~」
そのバイクの男が僕に話しかけてきた。心臓がピョンと跳ね上がる。まさか話しかけられるとは思っていなかった。手を止めて、顔を上げた。バイクのフロントライトが眩しすぎて、相手の顔が分からない。
「はい?」
「良かったら、バイクのライトで照らしましょうか?」
「えっ、ああ、……ありがとうございます。だ、大丈夫ですよ」
実はとても親切な人だった。光がない中でテントを畳んでいる様子を見かねたのだ。慌てて作業を進める。テントの梱包が終わると、その男はバイクのエンジンを切った。小高い展望台に登っていく。パッキングを済まして、スーパーカブへの積載が終わった。展望台の上の男を見る。親切にしてくれたのに、素っ気ない対応をしたことが気になった。展望台に足を向けて、階段を登る。その男に話かけた。
「先ほどはありがとうございました」
男が振り向いた。年のころは30代後半くらい。
「いえいえ、お互い様ですから」
「初日の出を見に来たんですか?」
「ええ、雨でなければ毎年来るんです」
「どちらから?」
「松山から、あなたは?」
「僕は、高松から四国を一周している途中なんです」
「へ~、いいですね。どんなルートで?」
「時計回りに、蒲生田岬、室戸岬、足摺岬、佐田岬と押さえてきました」
「岬に行きがち……。ツーリングあるあるですね。ここも岬だし」
「本当ですね……。ここから初日の出が見えるんですか?」
「ええ、向こうに見えるしまなみ海道の橋の上に太陽が昇るんです。ここは、案外と穴場なんですよ」
「へ~、そうなんだ。……初日の出にはまだ、時間がありますね」
「そうですね、まだ1時間近くはある……」
僕は、その男にペコリとお辞儀をした。
「では、出発します」
男が笑顔を向けた。
「お気を付けて」
階段を下りて、スーパーカブに跨る。アクセルを回した。展望台を後にする。感じの良い男性だった。一緒に初日の出を拝んでも良かったのだが、直ぐにでも走りたい衝動に駆られていた。海岸線を走っていく。しばらくは海と山しかなかったが、前方に集落が見え始める。日本家屋の古い町並みが密集している漁港だった。
着物を着たおばあさんが出てきそうな古くて細い路地を走っていく。漁港がなくなり、前方の入り江に巨大なタンカーが浮かんでいた。そのタンカーの舳先に小さな橋があり、対岸に行くことが出来る。その橋の上にスーパーカブを停めた。そのタンカーを見上げる。タンカーは、上半分は紺色に下半分は赤色に塗装されていた。陸に設置されたクレーンが、タンカーに触手を伸ばしている。ここは日本最大手の造船メーカーである今治造船株式会社の工場だった。タンカーの舳先を、真正面で見上げる機会はあまりない。その迫力を堪能した。
この今治造船の先に、しまなみ海道がある。渡らないつもりでいたけれど、少し気になった。しまなみ海道の入り口に向かってハンドルを切る。しまなみ海道は、愛媛県今治市と広島県尾道市を繋ぐ海上ルートだ。自動車だけでなく、自転車や50ccのスーパーカブも利用することが出来る。橋は一体ではなくて、自転車専用道と小型バイク専用道が別に用意されていた。このしまなみ海道を使って瀬戸内海を渡る場合、自動車だと通行料金が4,920円必要になるが、原付バイクだと500円で渡れる。とても安い。ちょっと見るだけ……と思っていたが、入り口を見つけて入場してしまった。
――おいおい。
予定は未定。しまなみ海道の一つ「来島海峡大橋」を走った。この橋は、全部で7基ある橋の中で最大。全長は4105 mもある。自動車専用道を挟むようにして、西側が自転車専用、東側が原付バイク専用になっていた。自転車専用道は歩行も可能なので、初日の出を見るために多くの人が集っている。対して、原付バイク専用道は、僕を含めて5台くらい。皆が、東を向いて初日の出の瞬間を待っていた。僕も橋の真ん中でスーパーカブを停める。その瞬間を待った。
――どうして初日の出をありがたがるのだろうか?
ひとそれぞれだとは思う。縁起が良いからとか、願いをかけるとか、決意する為とか、子供を連れたレジャーという場合もあるだろう。別に、布団に潜りこんでいても一年は始まる。一昨日に蒲生田岬で見た素晴らしい日の出と、今から登る初日の出にどれだけの違いがあるのだろうか……。そんなことを意地悪にも考えてみる。
そうこうしているうちに、水平線の一点が強く光った。光の矢が四方八方に飛び出す。上空に点在している雲の底部がオレンジ色に染まった。見る見るうちに、その全容を見せ始める。太陽が昇った。涙が流れたのはなぜだろう。理由は分からない。自然と胸が熱くなった。
来島海峡大橋を後にして、今治市内に戻る。国道196号線を走った。初日の出を見て良かったと思う。でも、どうして感動したのだろうか? 僕は理屈を考えすぎる性質だ。でも、感動は理屈からは生まれない。嬉しいや悲しいという感情は、そう感じるからとしか言えない。自分の心なのに、自分でコントロールが出来ない。でも、そんなもんだと思う。強いて言えば感謝かもしれない、生きていることに対する……。




