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道後温泉の夜

 一先ず走ることは出来た。エンジンに負担を掛けないようにスピードを落として、東に向かって走る。佐田岬半島の付け根には八幡浜市があり、そこから国道378号線に乗ると海岸線を走って松山市に行くことが出来た。この海岸線を通称「夕やけこやけライン」という。今からのタイミングだと、ちょうど伊予灘に沈んでいく太陽が見れそうだ。この夕やけこやけラインと並行してJR四国予讃線が走っていて、下灘駅という有名な駅がある。最も海に近い駅として、映画のロケーションに使われたり、ポスターに活用されたりしていた。余裕があれば、その駅で写真を撮ってみたい。


 ただその前に、もうそろそろガソリンを給油しないといけない。八幡浜市で給油することにする。ガソリンスタンドはセルフのステーションばかりを利用していたが、八幡浜市周辺では直ぐに見つからない。小さなスタンドで給油した。責任者らしい年配の男の人が僕のスーパーカブをじっと見ている。少し気になった。


 八幡浜市を後にする。国道378号線は山間部を抜けて海岸線に至った。伊予灘の青い海が目の前に広がる。「夕やけこやけライン」の始まりだ。右手は森に覆われた山がせり出していて、左手はだっだ広い海原が静かに波打っている。その真ん中を「夕やけこやけライン」が真っすぐに伸びていた。僕のスーパーカブだけが、トコトコと走っていく。しばらく走っていると、太陽が海面と接触してオレンジ色に染まった。力尽きてズブズブと沈んでいく。スーパーカブを停車した。そんな夕やけこやけを見つめる。長い長い一日が終わるんだなッと、感慨に耽った。といっても、僕の活動はまだ終わっていない。これからナイトランの始まりだ。


 スーパーカブに跨り走り、エンジンをかける。右手後方から白い煙が流れてきた。僕のスーパーカブが尋常じゃないくらいに白煙を吐き出している。スタンドの男の人の目を思い出した。


 ――これだ。


 スーパーカブの整備不良を気にしていたのだ。アクセルを回す。更に白煙を噴き出してスーパーカブが走り出した。目をしかめながら、現在の状況を頭の中で整理する。大阪から最も遠い佐田岬でエンジントラブルを起してしまった。原因は、劣化したエンジンがオイルを喰うことによるオイルの枯渇。予備のオイルを300ml携帯していたが、全て投入した。スーパーカブに必要なオイルの量は800mlなので、本来であればあと500mlも足りない。この状態でも今は走っているが、いずれ無くなる。オイル満タンの状態で、大阪から佐田岬まで680kmくらい走ってきた。ここから単純計算すると、オイルが枯渇するまで走れる距離は255kmになる。だがそこまで走らせると、また焼け付を起してしまう。それまでに何かしらの対処をしなければならなかった。佐田岬から大阪までの距離は550kmくらいある。とてもじゃないが、この状態では大阪に戻れない。今治市まで走ったとして、距離は180kmあった。つまり、今治市までしか走れないことに気が付いた。


 ――これはヤバイ!


 エンジントラブルは思った以上に深刻だった。更に悪いことに、今日は12月31日の大晦日の夕方。明日は正月。店が開いていない。いま、この文章を書いている時は、冷静に考えれば幾らでも対処の方法があったと思い返している。この時点であっても八幡浜市に引き返して、オイルを入れればよかった。でも、この時の僕はテンパっていた。オイルをホームセンターか何処かで缶ごと購入することしか考えていない。どうしよう……、どうしよう……、と焦るばかり。重要な選択に迫られた時に限って、悪い選択をしがちな気がする。登山でもそうだが、道に迷ったときは引き返すことが大切。そのままつき進んでしまうから遭難してしまう。撤退する勇気は必要なのだ。


 とっぷりと日が暮れた。「夕やけこやけライン」を突き進む。真っ暗で何もない道だった。街灯もない。僕のスーパーカブでは光量が足りなくて、前方が見通せない。ついでにエンジンの不調を抱えていたので、速くも走れない。後ろから結構なスピードで走ってきた車が僕を追い越していく。かなり危なっかしい。トロトロと走りながら下灘駅の周辺までやってきたが、気持ちに余裕がない。先を急ぐことにした。


 海岸線が終わり伊予市の市街地に入る。重信川を越えて、松山市に入った。風景が変わる。道路は広くなり、都会の景色になった。道後温泉と書かれた看板が見える。その言葉だけで気持ちが切り替わった。先ほどまでオイルのことで気に病んでいたのに、道後温泉で暖かい湯ぶねに浸かっている自分の姿を想像した。


 ――早く風呂に入りたい。


 自分のことながら、単純だなと思う。国道を走りながら、松山市における道後温泉の存在がかなり大きいことを感じた。案内の交通標識がとても充実している。ナビの必要は全くない。案内に従って道後温泉に到着した。


 道後温泉といえば夏目漱石の小説「ぼっちゃん」で有名だが、調べてみると日本最古級の歴史を持つ温泉だと分かった。伊予国風土記逸文には、大国主命と少彦名命がこの道後温泉を利用したと記述されており、更に聖徳太子も病気療養のため道後温泉を利用したらしい。その年代は西暦596年とされている。これは聖徳太子が23歳の時で推古天皇の摂政として活躍し始めた頃になる。将来的に聖徳太子の物語を創作する上で、このネタは使えるな……と思った。


 道後温泉は、建物そのものが重要文化財で歴史を感じさせる木造建築。「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルにもなったとされるその外観は、風情豊かで一見の価値あり。ただ、一つ問題があった。風呂に入る客が、入り口から建物を囲うようにしてグルッと列を成している。まるで蛇のようだ。


 ――やめようかな?


と、正直思ってしまった。でも、ここまで来て道後温泉に入らないというのも、何だか嫌だ。ここは我慢して列に加わることにする。最後尾に並ぶと温泉の従業員が、入場に関しての説明にやってきた。道後温泉の本館は、温泉だが宿泊施設ではない。どちらかというと銭湯に近いシステムで、湯だけを楽しむ。ただ、道後温泉は建物そのものが文化財なので、既定の料金を支払うと歴史ある部屋で休憩することが出来た。また、皇室用に作られた特別な浴場もあるそうだが、人数制限がある。そうした特別仕様のコースは全て売り切れていた。この長蛇の列は、湯を楽しむためだけに並んでいる。僕も湯だけで構わなかった。説明を受けた後、その従業員に質問する。


「あと、どれくらい待ちますか?」


「えーと、今からだと30分ほどお待ちいただくことになります」


 仕方がない。スマホを取り出して、読みかけの吉川英治著作「宮本武蔵」を読み始めた。ただ、結果的にはそれほど待たされなかった。待ちきれなくて、列を離脱する方がいたからだ。順番が来たので支払いを済ませて、歴史ある異世界浴場に飛び込んだ。


 道後温泉本館は、2024年7月に長期保存修理を終えたそうで、造りは新しかった。男女に分かれて脱衣場に入る。中はそれほど広くない。現代のスーパー銭湯は、脱衣場も風呂もどれもスーパーだが、歴史ある道後温泉は案外とこじんまりとしている。裸になって浴場に入った。


 ――うわっ!


 人が多かった。予想はしていたけれど、浴場は芋洗い状態。体を洗うために、股間を隠した大人がタイルの上で列を成して並んでいた。


 ――ここでも並んでいる。


 石造りの浴場は趣ある雰囲気なのだが、少し興ざめ。隙間を見つけて、僕も風呂に入る。湯は少しぬるめ。僕は熱い風呂が好きなので、もう少し熱くしてほしいくらい。でも、湯は気持ちが良かった。クラゲのようにユラユラと湯に任せる。先生に叱られて廊下で立たされている様な順番待ちの列を眺めて、身体を洗うことはやめた。その分、長いこと湯につかった。


 色んな意味で、道後温泉は記憶に残った。また行きたいとは思わないが、歴史の重さは最古級なので一見の価値はある。というか、あの混雑はなかなか経験できないので、それを楽しむつもりなら、それはそれで価値がある……かもしれない。道後温泉を後にした後、裏道には「道後歌舞伎通り」と命名された通りがあった。ピンクの看板で一杯。これも歴史だな……と思った。

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