予定を練る
コロナ渦を切っ掛けにして、僕はスーパーカブに乗って旅に出かけるようになった。最初の旅は、京都府亀岡の山の中でのソロキャンプ。学生の頃は大阪北部から亀岡にある大学までスクーターで通っていたので、土地勘はある。渓流を登っていき、手ごろな場所を見つけた。そこは天に向かって垂直に伸びる杉林で、足元は苔生した倒木が転がっている。一段下には渓流が流れており、サラサラとした水の音が途切れることなく音を奏でていた。テントを張る場所は、短い葉の雑草が生い茂っておりクッションのようになっている。テントを張ってみると、それはまるで、僕の為だけに用意された特別な空間のように感じた。七輪を取り出して火を熾す。日は暮れていき、辺りは真っ暗な闇になった。目に見えるのは炭が熾っている赤い火だけ。音は、渓流のせせらぎしか聞こえない。僕は、酒を飲む。意識が霧散していき、この山の中に溶け込んでしまったような心地になる。異邦人の僕を、山が迎えてくれたような気がした。ここは、自宅からの距離は40kmにも満たない。手ごろな旅ではあったけれど、その後の僕の行動を決定づける大きな体験になった。
あれから5年、スーパーカブに乗って方々に旅をした。歴史的な探索と相まって、移動距離も伸びていく。紀伊半島一周、丹後半島一周、出雲大社訪問、三重県大杉谷からの大台ヶ原登山、奈良県天川村からの八経ヶ岳登山、長野県白馬岳の登山、金沢県白山の登山。キャンプ場に泊まることもあったけれど、多くが野宿。旅において、この社会と距離を取りたがるのが、僕の旅のスタイルだったりする。今回の旅は、四国一周。僕の両親は徳島と香川の出身で、生前父は若い頃に自転車で四国一周をしたことを自慢にしていた。自転車ではないけれど、僕も四国を一周してみたい。2025年の年末に僕は飛び出した。
大阪で生活する僕が四国一周を計画する場合、選択肢は限られている。陸路で行く場合は、50ccのスーパーカブなので、明石大橋と瀬戸大橋は走れない。広島県尾道を起点とするしまなみ海道なら愛媛県今治にアクセスが出来る。フェリーを使う場合は関西からは、香川県高松か、愛媛県今治まで運んでくれる。さてどうしたものか。最も豪快な方法は、スーパーカブで大阪から尾道まで走り、四国一周後も、しまなみ海道を使って本州に渡り、そのまま自走して帰阪する。やってみたいが、これだと日にちが掛かりすぎた。正月に主人である僕が家に居ないという事実だけでも、嫁さんは不機嫌。挨拶に来た親戚の子供たちにもお年玉を渡さないといけない。なので、日程を切り詰める努力は必要だった。
フェリーは使う。この場合、高松か今治かを選択しなければならない。子供の頃、田舎の高松に帰るときは、高松までのジャンボフェリーを利用していた。子供心にフェリーのエンジン音が怖かった思い出がある。とても懐かしい。なので、高松行に決めた。四国一周の起点として高松は決まったので、帰りも高松からフェリーに乗って帰阪すれば良いのだが、しまなみ海道も捨てがたい。折衷案として、帰りはしまなみ海道を走ることにした。ただ、これでは完全な四国一周にはならない。ならないけれども、四国一周と言い切っても良いだろう。結果的にそれ以上の距離を走ることになるのだから……。そんな風に、自分に言い聞かせて、計画の大筋は決まった。
次は、四国一周の中身だ。先ず、時計回りか反時計回りかを決めなければいけない。これは決まっている。時計回り。なぜなら、日本の道路は左側通行だから。海岸線を走る時、時計回りならより海がより近くに見えるのだ。チョットしたことだけれど、これは譲れない。紀伊半島にしても丹後半島にしても、これまでの一周旅行はいつも時計回りを選択してきた。
四国にはライダーが憧れる名所が沢山ある。天空回廊の瓶ヶ森林道、四国カルスト姫鶴平、大歩危小歩危峡などはその代表だが、ここは走ることが出来ない。冬場は交通規制が掛かっていているのだ。どちらにせよそれらの名所に立ち寄っていたのでは、また日程との調整問題が生じてしまう。未練を振り払って、現実的なコースを決めなければならない。
四国を一周するのなら押さえなければならないポイントがある。それは岬。四国最東端の蒲生田岬、室戸岬、四国最南端の足摺岬、四国最西端の佐田岬は、必ず押さえないといけない。ただ、四国最北端は今回は日程の都合上でパス。
日程は三泊四日。宿泊地は、一日目はフェリー&佐田岬。二日目は、足摺岬。三日目は、しまなみ海道にある見近島。中でも、見近島は期待値大。しまなみ海道は多くの島を経由するが、見近島だけは車ではいけない。徒歩か自転車か小型バイクでしか立ち寄れない無人島なのだ。この島にはキャンプ場が整備されており、しまなみ海道の聖地として有名だとか……。是非とも行ってみたい。
12月29日の昼に仕事納めをした僕は、帰宅して最後の荷物チェックをした。いつもと同じ準備なので、手慣れたものなのだが、時々忘れ物をする。前回はタオルを忘れて困ってしまった。四国一周の旅では、途中で風呂にも入るので、タオルは必ず必要になる。一つ一つ点検した。
三宮から高松に向かうジャンボフェリーの出航時間は19時20分。高松の到着は00時05分の予定。フェリーで、4時間ほど寝た後、蒲生田岬まで夜通し走る。予定では夜中の3時過ぎに到着するので、テントを張ってまた仮眠。蒲生田岬で日の出を拝んだ後、出発するつもりだ。
16時30分。スーパーカブにキャンプ道具一式を積載して、自宅を後にした。神戸三宮に向かう。距離にして45kmくらい。フェリーに乗る為だけで、亀岡でソロキャンプした時よりも遠い場所に行く。僕の行動範囲が格段に広がったことを感じた。伊丹空港の横を通過した頃には、日が暮れる。辺りが真っ暗になった。上空をゴーゴーと爆音を轟かせながら飛行機が飛んでいく。旅が始まったことを実感した。
国道171号線が終わり、国道2号線を走る。高級住宅地が立ち並ぶ神戸市芦屋を通過した辺りで、少し異変に気が付いた。スーパーカブのマフラーから、煙が出ている。後ろの車のヘッドライトに照らされて、白く揺らめいていた。僕のスーパーカブは、かれこれ24年も乗っている。出発した時の累計総距離数は、86,897km。かなりガタがきていた。白煙が出ているのは、オイルを喰っているからで、そのことは良く分かっている。今回は予備のオイルを用意していた。こんなお爺さんスーパーカブに無理をさせていることを感じる。いずれエンジンを降ろしてオーバーホールをしないといけないと、常々思ってはいた。思ってはいたけれど、つい後回しにしてきた。この四国一周の旅が終わったら、本腰を入れて取り掛からないといけない。ネオンで彩られた神戸の街並みを、僕のスーパーカブが走る。フェリー乗り場までは、もう直ぐだ。




