その三、無になるために迷走する
先月末に、貸しスタジオで声の録音をしました。
自分のボイスのどうにもこうにもならなさに、何度も心が砕けながら、出来るだけの事はしようと言うわけで、数時間歌ってきたんですね。
比較的まともに録音できたかな、と思った声を、ミキシングして、書き出して、動画も作りました。
歌っているのは、自作ボカロ曲として一度発表した歌です。それならボカロの動画を使えばええやんと、言う意見もあると思います。
だけど、それを実行すると、おいどんがどれだけ音痴なのかが、分かるだけなのです。
ボカロソングとは別物だと思って聞いてほしいくらいです。だからこそ、改めて動画を作っているわけですが。
ボカロって歌上手いですよね。それは分かっているんだ。奴等は歌うアンドローイドなんだから。
でもって、おいどんは基本装備があれなもので、自分の歌唱力に自信はありません。
高い声を出す時に大声を出してしまうので、声斑も半端ないです。
だけど、歌うのは好き。何も考えずに、言葉を吐き出せるって言う行動が好き。
だからね、幾ら作詞の時に小難しく考えたって、歌う時は「歌詞」と「音程」と「発音」を失敗しないように注意を払うので精一杯です。
心を込めて歌ったりしません。心を込めて歌う事で、歌を表現できる人も居るけど、おいどんには無理です。むしろ、無になるために歌ってます。
おいどんの作る歌はお経なのか。そうなのか。
異国のありがたい呪文だと思って歌詞を吐き出しましょう。
ボカロの種類が増え始めて、歌い手と言う人達が存在すると知って、その人達の「えらい歌いこなしている声」を聞きながら、「ええなぁ。こんな風に歌えたら、とても良い気分になるだろうなぁ」と思って、まぁ、憧れを抱いて、実際自分で声を出してみたら、酸欠になった経験があるから書くのですが。
必要なのは、酸素。
空気を瞬間的に吸い込んで、肺で吸収して、頭がのぼせないように酸素を補給しながら、吐き出す二酸化炭素で、一定の律の声を発すると言う行動……それが歌うと言う事。
だと思うのです。息継ぎが大事。息継ぎは大事。
喉で音階を操るので、その音階によっては、声を強くしたり弱くしたりするんですが、あんまりその強弱が極端だと、唯の声斑にしか聞こえなかったりするし。
目下の目標は、安定した高い声を出せるように成る事。
ボカロを使ってて知った事は、「高い音域になると、発音は強くなる」と言う事。
何をどうしたら良いんだろう。