1-7.一人暮らし(※護衛付き)を勝ち取りました!
クラウディアへの急襲は大失敗。彼女を味方にできず落ち込んでいたエルシアだが、事態は思わぬ方向へ転がった。
「……それで? 貴様は一体何を考えている?」
超絶不機嫌顔を晒す夫――ヴィルヘルムの詰問に、エルシアは内心で小躍りする。
(よし! 迷惑行為の大勝利!)
褒められた手段ではなかったが、クラウディアへの接触は全くの無駄ではなかったようだ。
「愛する者への嫌がらせ行為」がヴィルヘルムの逆鱗に触れ、エルシアは彼からの呼び出しをくらっていた。
国王の執務室。執務机についた男は、苛立たしげに机を指先で叩く。机の前に立たされたエルシアは、少しだけ彼と距離をとった。いきなり切り捨てられることはないだろうが、今の彼はそれさえも怪しい。念のためもう一歩下がったエルシアは背後を確かめ、扉の横に立つスタンの姿に安心する。ヴィルヘルムが乱心した際には――エルシアではなく国王の立場を守るために――彼は主君を止めてくれるだろう。
「任せた」という視線を送ってから、エルシアはヴィルヘルムの問いに答える。
「何を考えているのかと聞かれたら、『離縁したい』としか答えられません」
ヴィルヘルムの眉間の皺が深くなる。エルシアは妥協案も提示した。
「……でなければ別居してください。それも駄目なら外出許可を。できれば妖精の森の庵へ立ち入り許可が欲しいです」
ここぞとばかりに自身の要求を列挙する。全て書面で申請し却下された内容だが、引き下がるわけにはいかない。エルシアの期待の眼差しに、ヴィルヘルムは嘆息で答えた。
「却下だ」
「なぜ?」
ヴィルヘルムは苛立ちも露わなため息をつく。
「理由など必要ない。私が認めぬと言っているのだ。貴様はそれに従っていればいい」
(うっわー……)
薄々――というか、バッチリ――気づいていたが、彼のエルシアの扱いは控えめに言ってクソ。現代日本の記憶など関係なく、誰であっても逃げ出したくなるだろう。
(ほんっと腹立つなぁ……っ!)
もうどうにでもなれ。
半ばやけっぱちな思いで、エルシアは日頃の不満を口にする。
「あのですね。貴方の言葉に従えって言うのなら、せめて『従ってもいいか』と思える程度の環境は用意してくれませんかね」
乱れた言葉遣いに、ヴィルヘルムは眉根を寄せた。エルシアは気にせず続ける。
「別に、そんな難しいことは要求してないでしょう? 『私を好きになれ』、『正妃として崇め奉れ』って言ってるわけじゃないんですよ」
鼻息荒く腕を組んだエルシアは胸を反らす。
「貴方の態度がそんなだから、城の人間は私を邪険にするし、蔑ろにする。みんなに疎まれてまで、どうして私が正妃を続けなくちゃいけないんですか?」
「この婚姻を望んだのは帝国だ。私は端から貴様など――」
「でっもっ! 承知しましたよね? 私との婚姻で国の安寧が得られたんでしょう?」
エルシアの煽りに、ヴィルヘルムの顔から表情が消えた。
(あ、やば……)
どうやら、触れてはならない部分に触れてしまったらしい。冷や水を浴びせられた気分で、エルシアの内に少しだけ冷静さが戻る。
「……すみません、言い過ぎました。言いたかったのは、婚姻に不満があるとしてもお互いに得られたものがある。なのに、その不満をいつまでも私に向けないでくださいってことです」
エルシアの訴えに、ヴィルヘルムは無表情のまま。徐に口を開いた。
「……政略による婚姻であると理解しているのなら分かるだろう。離縁はできん。今まで通り大人しく過ごせ」
「それって、私の生活環境を改善してくれるってことですか?」
そうでなく「ただ我慢しろ」なら、ただの堂々巡り。事態は全く好転していない。
ヴィルヘルムが片眉を上げて告げる。
「……私は今まで貴様の自由を許しすぎたのかもしれんな。これ以上騒ぎ立てるようなら、部屋から出ることも禁ずるが?」
エルシアの口から乾いた笑いが漏れる。
(ハハ。マジか。なんかもう、ね……)
話が通じる気が全くしない。多分、ヴィルヘルムにとってエルシアは「人」ですらないのだろう。意思があるとも、それを尊重する必要があるとも思われていない道具。
(……無理。もう無理)
エルシアはブチ切れた。
「分かりました。では、お父様に手紙を書きます。『貴方の娘はこんなに虐げられていますよ』と」
「書いてどうする? それを帝国へ届ける手段など持たんだろう」
嘲笑を浮かべる男に、エルシアは嘲笑で返した。
「届きますよ。帝国の魔法技術を甘く見ないでください」
言って、笑みを消す。
「今までは、陛下との関係が改善されると信じて耐えてきました。嫁いだ以上、私にも『王国のため』という思いがありましたので」
エルシアは「ですが」と続ける。
「陛下がいつまでも変わらぬというのなら、私が変わるしかありません」
宣言すると、ヴィルヘルムはじっとエルシアを見つめる。真偽を諮ろうとしているのか、沈黙する彼に、エルシアは言葉を重ねた。
「お父様がどう判断されるかは分かりません。親子としての関係は希薄ですから。ですが、身内を侮られたと知って黙っている方ではありません」
堂々と言い放つ。が、エルシアの言葉のほとんどはハッタリ、虚偽だ。帝国に連絡をとる手段など持たないし、万が一に通じたとしても、父皇帝が動くかは甚だ疑問だった。
それでも、エルシアのはったりは一応の効果があったらしい。ヴィルヘルムが、渋々といった体で口を開いた。
「……離縁はしない。それはどうあっても変わらん。だが、お前が城を出ることは許容しよう」
(うっし……っ!)
初めての勝利。一歩前進したことでエルシアは顔がニヤけそうになる。それを押し隠して「それでは」と要求を口にする。
「妖精の森の庵、あそこに住まわせてください!」
「……お前は、あそこが何か知っているのか?」
「昔の錬金工房、ではないんですか?」
それ以外の重要な施設なのかと、エルシアが首を捻る。その反応に、ヴィルヘルムは首を横に振った。
「知っているのならいい。だが、なぜそこまであの庵に拘る?」
「……何度も言ってますけど、私は錬金術を学びたいんです。ヴァーリック錬金術師長には断られてしまったので、後は独学でなんとかしようかと」
「錬金術。……そう言えば、ヴァーリックからもお前への苦情が来ていたな」
嘆息したヴィルヘルムは「まぁいい」と続ける。
「庵に住むことは認めてやる。ただし、条件がある」
言って、鋭い視線をエルシアに向けた。
「庵にはお前一人で住め。誰の助けも借りずにやれるというなら認めてやる」
(うーん。なるほど、一人で、か……)
案外あっさり認めたのは、提示した条件を達成できないと考えてのことらしい。
エルシアは少しだけ悩んで口を開いた。
「錬金の材料はどうすればいいですか? 勝手に町に出て調達しても?」
「……スタンを護衛につけてやる。外部とのやり取りは全てスタンを通せ」
提示された条件に、エルシアは「それなら」と頷く。
(スローライフは初めてだけど、まぁ、錬金が上手くいけばなんとかなるでしょう!)
とにもかくにも、錬金術に触れられるというなら問題ない。
「ありがとうございます! それでは早速、荷造りを始めますね!」
弾む気持ちで感謝を口にすると、ヴィルヘルムが再び「ただし」と告げる。
「お前の要求を呑むのはこれが最初で最後だ。庵から逃げ出すようなことがあれば、今後一生、城から出すことはない」
脅しのような言葉に、エルシアはヘラリと笑う。
「大丈夫、問題ありません! その代わり、そちらもこちらにはぜーったい干渉しないでくださいね!」
どちらにしろ、エルシアが錬金術を使えなければそれまで。
エルシアは辞去を告げて部屋の扉へ向かう。ヴィルヘルムがスタンを呼び止めた。
「スタン、お前は残れ。今後の話をする」
主君の言葉に頷いたスタンを残し、エルシアは執務室を後にした。