1-6.将を射んと欲すれば先ず馬を……馬、つよっ!?
「あー、今日も駄目じゃんかー!」
スタンが国王から持ち帰った返答。自身の要求に対する「否」の答えに、エルシアは不満を口にする。
「離縁も駄目、錬金術習うのも駄目、外出も駄目、ぜーんぶ駄目じゃない!」
大騒ぎしつつ自室を歩き回るエルシアに、スタンの冷たい視線が刺さる。「だから言っているだろう」という彼の忠告は受け付けない。
(だって、離縁は駄目でも、少しくらい歩み寄る姿勢を見せてくれてもいいじゃない!?)
今日のお願いなど、「ちょっと、ちょっとでいいからお話ししましょ!」だったのに、夫の回答はスタンが口頭で伝えた「否」のみだ。とうとう、書面で返すこともなくなった夫との距離感に、そろそろエルシアも我慢の限界を感じていた。
スタンに「離縁は無理だ」と忠告されてから一週間。
この間、彼がエルシアの前で発作を起こすことはなかった。だが、それが安心材料にはならない。何しろ、前世を思い出すまでの三年間、エルシアはスタンの呪いに一度も気付くことがなかったのだ。エルシアの関心の薄さが原因ではあるが、それでも、完璧に隠し切った彼が今も同じことをしていないとは言えない。
エルシアは足を止めてスタンを観察した。彼が、視線で「なにか?」と聞いてくる。
「えっと、一応、確認なんだけど」
そう前置きしてから尋ねる。
「スタンがこっそり連れ出してくれたりは……」
「……」
「うん、しないよね! そうだよね! おーけーおーけー」
視線の鋭さに直ちに自己解決する。
(仕方ない……)
エルシアはもう何度目か分からない妥協の末に、行動に出ることにした。
時刻は午後の早い時間。ちょどいい。今なら、目的の人物の居場所が分かる。
「スタン、図書館に行こう!」
エルシアは、彼が何かを感づく前に自室を出る。
(大丈夫大丈夫。図書館にも一応寄るつもりだし)
前回借りた錬金術に関する本は既に読破した。おかげで、この世界の錬金術の概念が『アルケミストライフ』とそう違いがないことは確認できた。
大雑把に言うと、錬金釜と呼ばれる魔道具に必要な材料を入れ、魔力を込めつつ適切な手順でかき混ぜれば錬金アイテムの出来上がり。ゲームと変わらぬお手軽さだが、後は実践で確かめるしかない。
(せめて、錬金術をしているところが見られたらなぁ)
初対面が悪すぎたのか、錬金術師長は錬金術師長でエルシアを完全拒否している。工房の見学さえ許してもらえず、そちらもお手上げだった。
(秘伝ってなによ、秘伝って。錬金術発展させたいなら、みんなで情報共有して裾野を広げるべきでしょー)
前世、分野全体の発展のために特許申請をしなかった各分野の先駆者たちを見習っていただきたい。
内心でグチグチと不満を垂れ流しつつ、エルシアは中庭へ足を向けた。チラリと背後を振り返ると、スタンがピタリと後をついてくる。が、引き留められはしない。
(……なんやかんやで、スタンは私の行動を制限しないんだよね)
恐らくそういう命令を受けているのだろうが、面倒に付き合わせているのは間違いない。
(おかげで、城内の情報はそこそこあるから助かる!)
引き篭もりがちだったとはいえ、伊達に三年暮らしたわけではない。この時間、目的の人物が中庭でお茶を楽しんでいるのを、エルシアは知っていた。
見えてきた人影に、スタンが反応するより早く、エルシアは大声で呼び掛ける。
「クラウディアさま~!」
中庭に置かれた真っ白なテーブルセット。目にも眩しい空間で優雅にお茶を楽しんでいたその人は、ギョッとした顔でエルシアを見つめる。彼女の護衛と侍女二人が警戒し、主人を守らんと彼女を背後に隠した。
そんな彼らに近づきつつ、エルシアは両手を挙げる。「敵意なし」のポーズだ。
「突然、ごめんなさい。クラウディア様、私と少しだけお話ししていただけないかしら?」
エルシアが話し掛けると、侍女の一人――恐らく、ケリーという名の女性――が噛みついてくる。
「お控えください! クラウディア様は私的な時間を過ごされております!」
「ええ、分かっているわ。……だから少しだけ、このままでいいから聞いてくださらない?」
前半は侍女、後半はクラウディアへの言葉だったが、反応したのは侍女だった。
「お断りいたします! どんな権利があって、クラウディア様への接触が許されると!?」
侍女の苛立ちに不穏を感じたのだろう、スタンがエルシアを庇うように前に出た。
「ありがとう。スタ――」
だが、肩越しに振り返ったスタンの眼差しはエルシアを責めるもの。無言の抗議に、エルシアは肩を竦めて答える。
「あら、権利ならあるはずよ」
スタンへの弁解に偽装して、側妃一派にチクりと棘を指す。
「中庭は個人の空間ではないでしょう? クラウディア様が共有の空間でお茶を楽しみたいのなら、まずは私に一言あって然るべきじゃない?」
側妃として、正妃を茶会に誘う、或いは許可を得るのは必須ではないが社交術の一つ。例え形式的であろうと、例え正妃がお飾りだろうと、「立派な側妃様」に求められる配慮だろう。
エルシアはスタンの背中越しにクラウディアを覗く。「間違ってないでしょ?」と煽りの視線を送ると、座ったままっだったクラウディアが立ち上がる。
「失礼しました、エルシア様」
そう言って彼女は頭を下げた。だがやはり、話をする気はないらしい。
「私はここで失礼いたします。エルシア様がお茶をお望みでしたらどうぞご自由に」
逃げようとする彼女を引き留めたいが、二人の間には二重の壁があった。スタンも、これ以上の接近は許してくれそうにない。仕方なく、最後の手段に出ることにする。
(これはもう、本当に仕方ないから!)
心は迷惑系配信者。或いは古のパパラッチの気分で、スタン越しに大声を上げる。
「クラウディア様! 私、陛下と離縁したいんですけど!」
「っ!?」
背中を向けていたクラウディアが、弾かれたように振り返る。日頃の彼女らしからぬ動作に、本気の驚きが見てとれた。しかし、すぐに状況を察したらしい彼女は、真っすぐにこちらへ近づいてくる。
「……エルシア様、今のお言葉は」
「はい、本気です。なので、あの、ちょっとだけ腹を割ってお話ししません?」
エルシアの言葉に、半信半疑、警戒する様子を見せたが、クラウディアは最終的に頷いた。
彼女も、こんなところで離縁を叫ぶ女を放置できなかったのだろう。懸命な判断だと思う。
彼女がお茶をしていたテーブルに招かれ、二人、向かい合って座った。
席に着いた後も、クラウディアの周囲はエルシアへの警戒を解かない。突き刺さる視線の中で、エルシアは出されたお茶をありがたくいただいた。
(ハァ。これでなんとか一歩前進)
だが、なぜだろう。背後から突き刺さる視線が一番痛いのは。
エルシアがソロリと背後を振り返ると、無表情な鬼がこちらを見下ろしていた。エルシアはゆっくりと前を向く。翡翠色の瞳が静かにエルシアを見つめていた。
「エルシア様、改めて、先ほどの言葉の真意をおきかせください」
至極真面目な顔で問うてくるクラウディアに、エルシアも気を引き締める。
「分かりました。……確認しておきたいのですが、クラウディア様は陛下から私の話をお聞きになったりは?」
「いいえ。私は何も」
首を横に振る彼女に、エルシアは頷いて返す。
(多分、嘘じゃない。本当に、私と陛下のバチバチを何も聞かされてないんだ)
彼女の驚きようからも、それは間違いないだろう。
ヴィルヘルムがなぜ彼女に伝えていないのかは、何となく想像がつく。彼にとっては、エルシアの願いなど些事。端から叶える気がないから、話題にすらしないのだ。
(けど、それは悪手だと思うな、私は!)
関係性を変える気がなくとも、妻が二人いる男ならもっと上手く立ち回らねば。特に片方を大事に思うのなら、その相手には全てを明かしておくべきだろう。意思の疎通は大事。
(でないと、ほら、こんな風につけこまれちゃうし)
自分の言葉を待つクラウディアに、エルシアはシメシメと思う。ここで彼女を味方につけることができれば、離縁への道が見えてくる。彼女にとってエルシアは目の上のたん瘤、あっても我慢するが、ないにこしたことはない。
「正直に言いますね。私は陛下と離縁したい。それが難しくても、せめて城を出て離れて暮らしたい」
「それは……」
「陛下の正妃には、クラウディア様が相応しいと考えています」
エルシアの宣言に、クラウディアは言葉に詰まる。何かを言おうとして迷う彼女の後ろから、侍女が口を挟んだ。
「何を今更都合の良いことを! 最初からこの国の王妃はクラウディア様でしたのに、それを阻んだのは貴女ではありませんか!」
「ケリー……」
クラウディアの窘める声にも、侍女――ケリーの勢いは止まらない。
「陛下への横恋慕で正妃の座を奪った貴女が、今頃現実を知ったからって、正妃の座を降りたい? 馬鹿にするのもいい加減にしてください!」
激怒する彼女の言葉を聞いて、エルシアは思った流れと違うことに戸惑う。
ケリーなど、クラウディアを正妃にしたい一派の筆頭のはずなのに。そんな彼女を怒らせてしまうとは。
(失敗したかも。なんか、前提条件からずれてる気がする)
初動の失敗で感情論が優先している。修正のため、エルシアは改めてクラウディアに向き合った。
「あの、一つだけ訂正させてください。私が陛下に横恋慕したという事実はありません」
彼女の代わりに、再びケリーが「嘘つき!」と非難の声を上げる。クラウディアは、最早、侍女の言葉遣を止める振りさえしない。
(なんだかなぁ……)
腹を割って話したいのは本心だが、どうにもクラウディアとの距離が遠い。今までの関係を思えば当然とはいえ、これでは前に進めない。エルシアはもう一度、「正直に言います」と繰り返した。
「私に選択肢はありませんでした」
「選択肢?」
「ええ。考えてみてください。帝国の皇女といっても、私は十六番目の娘。末子でもなく、父に目を掛けられていたわけでもない。そんな私がどうやって親の決めた縁談に逆らえると?」
エルシアの主張に、クラウディアは目を瞬かせて「では」と尋ねる。
「本当に、エルシア様は陛下を好いてはおられない。離縁を望んでいらっしゃるのですね?」
エルシアが力強く頷いて返すと、クラウディアは逡巡を始めた。黙り込んだ彼女の代わりに、ケリーが忌々しげに吐き捨てる。
「何もかも人のせいにして。『自分は悪くない』って言いたいだけでしょう」
その言葉には返答せず、エルシアはクラウディアの答えを待った。やがて、結論が出たらしい彼女が口を開いた。
「……仮にエルシア様のお言葉が真実なのだとしても、やはり私にできることは何もありません。陛下は、エルシア様との離縁をお望みではないのでしょう?」
「そう、ですけど。でも、クラウディア様はいいんですか? 今のままのお立場で」
「ええ。私は私の立場に満足しております。……私の心は陛下の元にありますから」
言って微笑を浮かべたクラウディアの自信に満ちた表情。愛し愛される関係の上に成り立つ信頼の強さに、エルシアは完敗のため息をつく。空を見上げた。
(これが愛されし者の余裕かぁ……)
正妃の立場などなくとも、クラウディアはビクともしない。作戦は失敗だった。
エルシアが落ち込んでいると、彼女が「あの」と話しかけてくる。
「そもそもの話ですが、エルシア様はなぜ離縁を望まれるのでしょう? 陛下への想いがないのでしたら、今の関係に何ら問題はないと思うのですが」
「……本気で言ってます?」
エルシアは思わず半眼になる。
(それってつまり、私はヴィルヘルムに蔑ろにされ続けろってことだよね?)
クラウディアは「何が悪いのか分からない」という顔で小首を傾げている。
エルシアは、彼女とその背後に立つかつての侍女――リンダを交互に見つめる。
「……私、お城に一人も味方がいないんですよ。周囲の当たりがきつすぎて、このままでは心を病んでしまうかもしれません」
クラウディアが困ったように眉尻を下げた。そんな彼女に問う。
「環境を変えるのは難しいから逃げようとしてるんです。これって、そんなに悪いことですかね?」
エルシアの恨み節に、クラウディアは何かを答えようとした。しかし、その答えを聞くことは叶わなかった。
「クラウディア!」
彼女を案じる声が中庭に響く。誰が呼んだのだろうか。正妃の嘆願に割く時間を持たない男は、側妃の危機には仕事を投げ出して駆け付ける。
立ち上がったクラウディアが笑みを見せ、走り寄る夫に歩み寄った。
「陛下」
「クラウディア! 無事か? 何か問題は?」
そう尋ねるヴィルヘルムの視線はエルシアに向けられている。鋭い眼差しは、愛する者を守らんとする意志に満ちていた。
「いいえ、陛下。何も問題ございません」
クラウディアが嫋やかに微笑む。ヴィルヘルムは安堵の笑みを見せ、彼女を伴って歩き出した。
振り返ることなく立ち去る二人の背中。エルシアは立ち上がれずに見送った。目の前、ティーカップの冷めた茶をグイと煽る。