5-7.闇は満ちて、どこにも光はなく
庵に、突然ドアを叩く音が響いた。
エルシアはスタンと顔を見合わせる。彼が小さく「大丈夫」と頷いたのを確かめ、そっと扉を開いた。
息を切らしたケリーが険しい顔で立っていた。
「クラウディア様がお呼びです。陛下が最近、貴女との接触に敏感でして。見咎められぬよう、一人で来てほしい、と」
「一人?」
(……嫌な予感しかしない)
背後のスタンを見ると、彼も眉を寄せてケリーを見ていた。
けれど、クラウディアが頼みの綱であることは確かだ。迷うエルシアに、スタンが歩み寄る。
「……私が伺いましょう。クラウディア様からお話をお聞きしてまいります」
「でも……」
一人は怖い。
かといって、スタンが危険な目に遭うのも嫌だ。
迷うエルシアをよそに、ケリーが焦った声を上げる。
「どちらでもいいので、早くしてください。私だって監視を誤魔化して来たんです。急いで戻らないと」
その言葉に、スタンが私の前へ出る。庵を出た彼が、振り返った。
「一歩も外に出ないでください。必ず戻りますので、絶対に扉を開けないよう、お願いします」
そう言い残し、スタンはケリーとともに王城へ向かった。
エルシアは言われた通り扉を閉める。窓から、彼の姿が見えなくなるまで見送った。
(すぐ、戻るよね? スタンだし、大丈夫よね?)
そう思いたいのに、不安は胸の奥にしつこく残った。
あまりにも急な展開。何の準備もなく、スタンを送り出してしまったことが、今さらながら怖くなる。
庵の中を行き来しながら、落ち着かない時間を過ごす
だが、どんなに待ってもスタンが帰ってこない。
やがて陽は傾き、夕暮れの赤が机に長い影を落とした。
(……どうして?)
胸のざわめきはもう隠せなかった。
その時、窓の外に人影が見えた。森から小走りで出てくる小柄な人影。スタンではない。近づくほどに、その姿がはっきりする。
「リンダ!」
彼女が庵の扉を叩くよりも早く、エルシアは扉を開いた。
息を弾ませたリンダが呼吸を整える。いつもより表情が硬い。
「エルシア様の護衛が国王に捕まりました。地下牢に囚われています」
「なっ……!」
「救出のため、クラウディア様が力を貸してほしいと」
「どうしてスタンが……!」
頭が真っ白になる。
「最悪の事態にはならない」と慢心していた。ヴィルヘルムの狙いは自分だと、勝手に思い込んでいた。
膝から崩れ落ちそうになる。扉に手をついたエルシアを、リンダが支えた。
見下ろす彼女の瞳には、いつもとは違う熱が宿る。どこか不穏で冷たい――
「……逃げましょう、エルシア様」
「え?」
「王城へ行けば捕まります。私なら、貴女をこの国から救い出せます」
「……どういうこと?」
リンダは迷わず告げる。
「フェルンの工作員と連絡が取れました。先日のボムの件で、貴女の錬金術が帝国に認められたのです。……祖国に帰れます」
「待って。帰るって何? どうして帝国がボムのことを――」
「私が報告しました」
「なっ!?」
エルシアが息を呑む。リンダは淡々と続けた。
「私はこの国での貴女の監視役であり、本国への連絡係です。貴女が死亡した場合、帝国へ伝えるのが役目でした」
「死亡を知らせるって、……まさか」
「ええ。開戦の理由になりますから。きっかけさえあれば、帝国はいつでも王国に攻め入るつもりです」
「そんな……」
全く知らなかった。
言葉を失ったエルシアに、リンダはさらに続ける。
「ですが、話が変わりました。貴女の力は帝国の力になる。二人で祖国へ戻りましょう」
平然とした言葉に、エルシアは首を横に振る。
「……スタンを置いていけない」
「護衛一人、どうなろうと構いません。所詮、王国の人間です」
嘲笑を浮かべたリンダは、まるで別人だった。
「魔法も使えぬ下等民族の集まり。……漸く出ていける。逃げるなら今しかありません」
「行かない」
エルシアがはっきり拒絶すると、リンダの表情に影が落ちた。
「……では、力ずくで」
次の瞬間、無詠唱でスリープが放たれた。
意識を奪う眠気が一気に押し寄せる。
咄嗟に、エルシアはポケットから布袋を取り出し、床へ叩きつけた。
白い煙が弾け、リンダが目を見開く。
「なっ!」
驚きの声、彼女はそのままその場へ崩れ落ちた。
深い寝息が静かな庵に響く。
(……準備しててよかった)
ヴィルヘルム対策で作った眠り爆弾。
エルシアは胸を撫で下ろす。しかし、スリープの影響が消えたわけではない。
(っ! 駄目だ……っ)
床に倒れる。
そのまま、エルシアは手と膝をついて食卓へ這い寄った。
薬瓶を掴み、なんとか蓋を開けて一気に飲み干す。
緑の苦味が喉を刺し、ようやく意識が戻ってきた。
「……これで、なんとか」
ふらつきながら立ち上がり、玄関へ向かう。
倒れたリンダを越え、外へ出た。
夕闇が迫る空を見上げ、ポケットの中身を確かめる。
(胡椒爆弾が三つ、眠り爆弾が五つ……、行くしかない)
エルシアは暗く沈む森の向こう、王城へ向かった。
***
王城の入口近く。
苛立ちを隠さず周囲を見回すケリーが、エルシアに気づいて駆け寄ってきた。
「遅い!」
腕を掴まれ、思わずよろめく。
「リンダは? 一緒じゃないの?」
「……後で話す」
ケリーは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに切り替えた。
「いいわ。ついてきて」
導かれたのは、地下へ続く階段。
牢へ向かうものと思っていたが、ケリーが止まったのは見覚えのある扉の前。
錬金室だった。
「ケリー? なんでここに――」
「クラウディア様がこちらにいらっしゃるの」
扉が開かれ、エルシアは息を呑んだ。
確かに、クラウディアがいた。静かに佇んでいる。
しかし、その横には――
「ヴァーリック術師長……?」
ゆっくりと振り返った男は満面の笑み。その瞳に、ボムの錬金に成功した時と同じ狂気が光る。
エルシアは否が応でも理解した。
嵌められた――
何かとんでもないことが起きようとしている。




