5-5.想いの行方
クラウディアとの会話から三日。エルシアは彼女からの返事を待ちつつ、錬金と畑仕事に精を出す。
ヴィルヘルムは視察でいない。エルシアは、自分のやりたいことだけをやる生活を満喫していた。ケリーという不安要素があるため外出には慎重だが、それも、スタンが力を貸してくれる。森での素材採集に始まり、街への買い出し。エルシアが錬金で困ることはなかった。
太陽が中天にある頃、スタンは買い出しに出かけていた。エルシアは庵の前庭でトマトを収穫し終え、うんと腰を伸ばす。手にしたカゴいっぱいのトマトを抱えて、庵へ戻る。
(今日もよく働いたー)
スタンが帰るまでにトマトを洗って、たまには錬金物以外の料理でも――
扉の前でエルシアが呑気に考えていた、その時だった。
「エルシア」
すぐ後ろ。気づかぬ内に近づいていた男の低い声。
エルシアが振り返ると同時、腕が横から伸び、背にした庵の扉をドンと叩く。
「ッ!」
エルシアの手から籠が落ちた。それを目で追うこともできない。
目の前に立つのはヴィルヘルム。怒りに染まった赤の瞳が、エルシアを見下ろす。
エルシアは本能的な恐怖を感じた。
「へ、いか……? 何してるんですか。離れてください」
両手で彼の身体を押し返すが、ビクともしない。
ヴィルヘルムが怒りに震える声を絞り出した。
「……報告を受けた。クラウディアを庵へ呼びつけ、俺との離縁を宣言したそうだな」
「っ!」
背中が冷える。クラウディアに接触するのに、彼の不在を狙ったのは確か。
だが、手紙で求めたのは彼女への訪問の許可だ。彼女が庵を訪れたのはこちらとしても想定外で、呼びつけたなどと言われる筋合いはない。
(離縁だって、もうずっと言ってることだし。なんで今更……!)
ヴィルヘルムがここまで激怒する理由が分からない。
エルシアは反発を覚えるが、彼の怒りを前に、言葉を選ぶ。
「……クラウディア様にお会いしたのは確かです。それがご不満だというなら――」
「スタンを使って、クラウディアを脅しているのか?」
「は? いえ、そんなことは――」
「ケリーの報告だ。お前がクラウディアを利用し、私から離れるつもりだとっ!」
ヴィルヘルムの顔が大きく歪む。怒りと焦燥。見たことのない表情で迫る。
エルシアは話についていけずに困惑した。
「利用って、そんなつもりは……」
ケリーはなぜヴィルヘルムにそんな報告をしたのか。
彼女にすれば、エルシアが彼から離れる――離縁は歓迎すべきこと。報告はその邪魔にしかならない。クラウディアにしても、以前よりずっと協力的な態度だったのに。
(……もしかして、本当は協力するつもりなんて最初からなかった?)
だとしてなぜ、こんな手の込んだ嫌がらせを――?
クラウディアらしくない。
訳が分からず、ただ恐怖だけが膨らんでいく。
ヴィルヘルムの目がスッと細まり、冷たい光を放つ。
「……やはり、スタンをお前の側に置くべきではなかった」
「え……」
「お前が頑なに離縁を望むのはアレのせいだろう? ……アレを引き離せば、お前は――」
「ちょっと待って!!」
エルシアの怒りと恐怖が同時に爆発した。
「スタンは関係ない! 私、最初から離縁したいって言ってるでしょう? スタンが専属騎士になる前から」
「……だが、アレはずっとお前の護衛を務めていた。お前を誑かし――」
「やめて! なんで、そんなこと言うの!? 私の錬金の腕がそんなに惜しい? それとも、私が楽しく生きてるのが気に食わない?」
「違う」
「ずっと閉じ込めて、虐げて、苦しませないと気がすまないの!?」
「違う!!」
理性を失った叫び。
燃える瞳に、エルシアは「言い過ぎた」と気づくが、最早手遅れ。
男の手が伸びる。エルシアは恐怖に身を縮めた。だが、その手は思いのほか優しくエルシアの頬へ触れる。恐怖とは違う悍ましさが背筋を走った。
「錬金の腕など関係ない」
ヴィルヘルムの吐息が落ちてくる。
エルシアは目を見開いた。
「エルシア、俺は――」
「やだっ!」
何をされるのか。
直感したエルシアは、ポケットから布袋を取り出す。顔を背け、目を閉じ、息を止めて、袋を渾身の力で叩きつけた。
「グッ!? ガッ! ゴホッ……!」
途端、ヴィルヘルムが激しく咳き込み出す。
その隙に、エルシアは庵へ駆け込み扉を閉めた。扉の向こう、見えない姿を凝視して青ざめる。
(……やっちゃった。ヴィルヘルムに胡椒爆弾……)
一国の王相手にやってはならぬこと。
今後の報復を恐れて、エルシアは身を震わす。
外では荒い咳が続いていた。
どれくらい経ったのだろうか。
ヴィルヘルムの咳が落ち着き出した頃、エルシアは外へ出るかどうかを悩んだ。外の様子が分からないのが辛い。
そこへ、外から聞き慣れた声が聞こえた。
「……陛下。こちらで何を?」
(スタン……!)
エルシアの膝から力が抜けた。ヘタリと床に座り込む。
見えない。が、もう安心だ。
外ではスタンがヴィルヘルムに声を掛けている。どうやら、彼はヴィルヘルムを王宮まで送るつもりのようだ。それを、ヴィルヘルムが咳き込みながら拒否する。
やがて、こちら――扉に向かって、ヴィルヘルムの声がした。
「……すまなかった、エルシア」
荒い声が言う。
「だが、私は……」
苦しげな声は、だが、それきり。静寂が続く。
暫くして――
「……王妃陛下?」
エルシアは震える足を叱咤して立ち上がる。扉を開けた。
スタンが立っている。エルシアを案じる瞳で。
その瞬間、張りつめていた恐怖が、胸の奥で一気に弾けた。
「スタン!」
気づけば、エルシアは目の前の長身に縋り付いていた。
背中に腕が伸びてくる。ギュッと強い力で抱きしめられ、エルシアは胸に顔を押しつけた。
堪えきれない嗚咽が溢れ出す。
「こ、怖かった。気持ち悪かった。すっごく嫌だった……!」
言葉が震え、しゃくり上げる。
「スタンと引き離すって、スタンを連れて行かれると思って、そしたら、私、また一人……!」
口にすると、涙が止まらなくなった。とめどなく流れる涙。顔をグシャグシャにして、エルシアは泣き続ける。
制御できない感情。口が勝手に思いを吐露する。
「スタンがいないとやだ。あの人は嫌、触られたくない。気持ち悪い……」
回された手が優しく背中を叩く。
「……スタンに触られるのは好き。安心する」
エルシアの感情が凪いでいく。満たされる思い。ここなら大丈夫。フワフワと、眠気のような心地よさを味わう。
(……そっか)
エルシアは自分の想いに気づき、フッと笑った。
「私、スタンが好き」
自然と転がり落ちた言葉。
瞬間、エルシアを抱きしめる身体がビクリと震えた。その反応に、エルシアの理性が覚醒する。
「あ……」
エルシアは青褪めた。
石像のように固まり、一拍、二拍。脳内で高速で言い訳を探し、パッと身を引く。スタンの腕の中から抜け出した。
スタンを見上げ、彼が何かを言う前に「ストップ!」と手を上げ制止する。
「今のはナシ!」
スタンの表情はいつも通り。落ち着き払っている。
エルシアは「ごめんなさい」と告げる。
「今のは最悪の告白だった! 私、既婚者だし! 今のはナシ、忘れてください!」
スタンは何も言わない。
「わ、私、絶対離縁する!」
エルシアは顔を赤くして彼を見上げる。
「離縁してから、もう一回ちゃんと伝える! なので、それまで返事は保留で! やり直しのチャンスをください!」
必死に言い募る彼女に、スタンは静かに答えた。
「……その言葉に甘えます」
「え?」
(甘える?)
エルシアが戸惑う内に、スタンが片膝をついた。
そっとエルシアの手を取る。その甲に柔らかく口づけた。
「え……」
これはなんだろう――
片手を取られたまま、エルシアの思考がグルグル回る。スタンの唐突な行動。これはもしや、無言の「返事」なのだろうか。
(え、だとしたら、どういう意味!?)
好意、或いは忠誠――つまり遠回しのお断り、それとも――?
エルシアは混乱を極める。先程の告白未遂の羞恥も相まって、頭はオーバーヒート気味。
跪いたままのスタンが、わずかに表情を緩めた。
上目遣い。小さな笑み。
エルシアは真っ赤にゆだって思考を放棄した。




