5-3.扉を開く
「スタンにお願いがあります!」
畝と畝の間に沈んでいたあの日から五日。エルシアは動いた。
突然の「お願い」に、スタンは「何を?」とも聞かず、「御意」と答える。
「……えっと、せめて、『なにするんですか?』くらい聞いてから返事してください。詐欺に遭いそうです」
苦言に、スタンは静かに首を傾げた。
その仕草が可愛かったため、エルシアは「まぁ、いいか」と気持ちを切り替える。
「ずっと、考えてたんだけど、平和的解決ができる方法が思いつかなくて、初心に帰ることにしました」
「初心、ですか?」
「そう! 前に一度断られたけれど、状況が変わったから、気持ちも変わってるかもしれないでしょう?」
何しろ、今のエルシアは有能な王妃だ。錬金分野に限るがお仕事をバンバンこなす。一部の人間には非常に目障り、目の上のたんこぶと言っていいだろう。
エルシアは胸を張り、スタンに封筒を差し出した。
「ということで、クラウディア様に渡してほしいの。『また、お茶しませんか』のお誘い」
「……分かりました。少々、お時間を頂くかもしれませんが」
「うん、よろしくね!」
スタンは封筒を受け取り、慎重にしまった。
それから三日後――
庵の戸を叩く軽い音が聞こえた。ちょうどお茶タイム。エルシアはハッとして、向かいの席に座るスタンを見た。彼が頷く。
立ち上がり、庵の戸を開けるスタン。それに続いたエルシアは、玄関先に立つ人物を見て――予想はしていたが――驚いた。
「……クラウディア様」
手紙は出したが、返事はなかった。読んでもらえたかも怪しく、期待半分、不安半分。そんなところに、本人が現れた。しかも、連れているのはケリーとリンダの二人だけ。護衛の姿は見当たらない。
「三人で来られたんですか?」
エルシアは驚き、三人を庵の中へ案内する。森の中、不審者はいなくても危険な生物はうろついている。
案じるエルシアに、クラウディアは涼しい顔で告げる。
「大勢で伺うと人目を引いてしまいますので」
相変わらずの気品。手狭な庵にあって、楚々とした風情で堂々と立ち振る舞う彼女は変わらなかった。彼女の背後に立つリンダも無表情のまま。ケリーだけが、いつも以上に顔をしかめて部屋の中を見回していた。
エルシアが着席を促す。しかし、クラウディアはテーブル――食卓を一瞥して、首を横に振った。
「あまり時間がありませんので、このまま」
「あ、そうなんですね。無理して来てくれてありがとうございます」
「いえ。……私も、エルシア様のお気持ちを直接確かめたかったので」
クラウディアがスッと姿勢を正す。背中にピンと一本芯が通った。戦闘体勢。そう理解して、エルシアは気を引き締める。
「……率直にお聞きします。エルシア様は今もまだ陛下との離縁を望まれるのですか?」
「はい、したいです!」
エルシアは即答する。迷いなど微塵もない。
クラウディアの眉が僅かに寄る。
「……陛下に、これだけ厚遇されていても?」
「厚遇っ!?」
エルシアは思わず、声を上げた。
(厚遇? 今の状況って厚遇なの? 『王妃の務めだ』って仕事押し付けられて、約束破って庵まで勝手に来られてるんだけど……、え? 厚遇……?)
エルシアが腑に落ちずにいると、クラウディアが続ける。
「最近の陛下は、エルシア様を大変気に掛けておいでです」
「気に掛けて……」
(まぁ、確かに。気に掛けてはいる? と思う、けど……)
先日のヴィルヘルムの言動が脳裏をよぎり、エルシアの背筋がゾワリとする。言葉に詰まっていると、ケリーの癇癪のような声が聞こえた。
「勘違いしないでください! 陛下が貴女を気にかけるのは、錬金術が使えるからです!」
エルシアは心中で「だね」と返して頷く。ケリーは眉間の皺を深くして叫んだ。
「陛下に真に愛されているのはクラウディア様! 貴女なんて、ただの道具に過ぎないんだから!」
(流石に言い過ぎでは?)
「お飾り」は事実なので構わないが、「道具」は嫌だ。
エルシアが抗議しようとするが、それより早く、クラウディアがケリーを制止する。
「ケリー、控えなさい」
「ですが、クラウディア様……!」
「いいから。……お願い」
仕える主にそこまで言われ、ケリーは押し黙る。悔しげに唇を噛んだ。
クラウディアが「申し訳ありません」とエルシアに頭を下げる。それから、ツイと顔を上げ、徐ろに口を開く。
「……正直なところ、陛下が何をお考えなのか、そのお気持ちは私にも分かりません」
顔は上げているが、その言葉に以前の輝かんばかりの自信は感じられない。
クラウディアが苦しげに告げる。
「ですが、陛下が貴女を必要としていること。それだけは確かです」
碧の瞳がエルシアを見つめる。真っ直ぐではあるが、どこか探るような眼差し。そこに一瞬だけ、揺れ動く頼りなさが見えた気がした。
エルシアは大きく一度息を吸う。そうして、はっきりと告げた。
「私の気持ちは変わりません。いえ、以前より強くなりました。陛下とは離縁します」
部屋に沈黙が落ちる。
クラウディアは数度瞬きし、それから静かに息をついた。
「……少し、時間をくださいませ。私がどうしたいか、どうするべきか、少し、考えたいのです」
「ええ、それは勿論!」
エルシアは大きく頷く。笑顔になりそうなのを必死に堪える。
クラウディアが「否」ではなく、「検討する」と口にした。前進。大きな一歩だ。
ワクワクする思いをひた隠し、エルシアはクラウディアを庵の外まで見送る。そこで不意に、クラウディアが振り向いた。
「スタン様、王城まで送っていただけますか?」
「え?」
思わず、エルシアの声が漏れた。
「申し訳ありません。エルシア様。やはり、王城までとは言え、護衛なしというのは少々不安なのです」
クラウディアの言い訳に、エルシアは「だったら最初から」としか思えない。
スタンを行かせたくない。一人残されるのも不安だが、それ以上に、彼がクラウディアと並ぶ姿を見たくなかった。
「エルシア様、どうか王城まで。スタンをお貸しくださいませ」
再度請われ、 エルシアは渋々スタンを見上げる。
「……スタン、クラウディア様を王城まで送ってくれる?」
「御意」
「うん。……じゃあ、気をつけて」
「……王妃陛下」
スタンが胸のポケットに手を入れ、何かをチラリと覗かせた。
片眼鏡だ。以前、彼に渡した「エルシアがどこに居ても分かる」道具。
スタンはそれをポケットに戻すと、軽くポンとポケットの上から叩く。「大丈夫だ」というように。
「直ぐに戻ってまいります」
「……うん」
スタンが颯爽と動き出す。クラウディアの前に立ち、先導を始めた。
森の中へ消えいく一行。一人残された静けさの中で、エルシアは溜息をついた。




