5-1.一人を救う力
翌朝。
昨夜の雨が嘘のように、快晴が広がっていた。
現金なもので、エルシアの気分はそれだけで上向く。身体が空腹を訴え始めた。
視察は今日で終わり。昼には離宮を発つため、晩餐の代わりに豪華な朝食の席が設けられた。
昨夜、エルシアが夕食を断ったため、「改めて」ということらしい。
執政官の招きで、ヴィルヘルムにクラウディア、ヴァーリックが並ぶ。そこに、エルシアも加わらねばならない。
(……胃が痛い)
できれば逃げ出したい。それが無理だと分かっているから、余計につらい。取り戻したはずの食欲は、あっという間に消え失せた。
「いやぁ、術師長のお力は本当に素晴らしい! 陛下もお心強いでしょう!」
執政官がヴァーリックを絶賛する。満更でもない様子のヴァーリックが頷いて答えた。
やがて、執政官が天然ダム破壊後の状況について報告を始めた。サジュールの被害はゼロ。川が氾濫することもなく、下流地域にも大きな被害は出ていないとのこと。
それで漸く、エルシアは自分の判断に折り合いをつけることができた。
「誰かの役に立てた」、それは純粋に嬉しい。だが、今回はたまたま上手くいっただけ。もう二度と、人の死を招くような危険は犯したくない。
エルシアが静かに考え込んでいると、上機嫌な執政官の声がする。
「陛下。領内の鉱山ですが、ボムというものにあれほどの破壊力があるのでしたら、採掘に利用できないでしょうか?」
エルシアは驚いて視線を向ける。
ボムの用途。展開として「あり得る」と考えていたが、エルシアはもう二度とボムを作る気はなかった。
ヴィルヘルムがエルシアを見る。エルシアは彼を睨み返した。「絶対にやらない」という意志を込めて。
ヴィルヘルムが口を開く。
「……量産はしない」
「ああ。なるほど、やはり、量産は難しいということですね?」
執政官が心得顔で頷く。
「それでしたら、陛下。サジュールにて、ボム専用の錬金工房の開発を――」
「ボムの錬金は、宮廷錬金術師の秘中の秘。そうだな、ヴァーリック?」
話を振られたヴァーリックが得意げに頷く。
「左様。知の結晶、知の頂にある錬金物。有象無象の木っ端錬金術師を寄せ集めたところで――」
「加えて、ボムの錬金には膨大な魔力が必要となる」
ヴィルヘルムが話を遮り、エルシアを見る。ヴァーリックが機嫌を損ねたのに気づく様子もなく、エルシアに問いかける。
「疲れているのか?」
突然の言葉に、エルシアは虚を衝かれた。
「え? それは……、はい、そうですね?」
「今回の件、お前の力は大いに役に立った。お前がおらねば、惨事は避けられなかっただろう。礼を言う」
「えっと……」
どう返せばいいのか、本気で分からない。
ヴィルヘルムの態度の急変。エルシアは戸惑うばかり。
ヴィルヘルムが思い詰めたように言う。
「ハイス川流域は国内有数の穀倉地帯だ。氾濫していたら、国の食糧生産は大きな打撃を受けていた。お前の力は国を救う」
「……はい」
「エルシア。国のため、今後も力を貸してほしい」
それに、エルシアは「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。顔を伏せ、ヴィルヘルムの視線から逃れる。
(私は王妃を止める。離婚する。できれば、この国も出たい)
なのに――
「国を救う」、「国のため」という言葉が、エルシアの心に楔を打つ。
エルシアは立ち上がった。無作法に辞去を告げ、食堂を後にする。
廊下を歩く。背後を、スタンがついてくる。黙々と歩く足が、向かう先を見失いそうになる。
不意に、スタンが隣に並んだ。ただ、隣に並んで歩くだけ。エルシアは、彼に思いを吐露する。
「……『私ならできること』をやらないのって、責任から逃げるみたいで後ろめたい。特に、人の命がかかってたら」
脈絡のない愚痴に、しかし、スタンは答える。
「確かに、陛下は国を救う力をお持ちです」
「……もしかして、聞こえてた?」
「多少」
エルシアが足を止めると、スタンも倣う。碧い瞳がエルシアを見下ろす。
「国を救う力。ですが同時に、誰か一人、陛下の目の前に立つ者を救うこともできます」
「うん。多分、私にはそれくらいがちょうどいいんだと思う」
それ以上は手に余る。心がしんどくなる。
「……私は陛下に命を救われましたが、それ以上に。好きに生きるという道を開いていただきました」
エルシアは、スタンをジッと見上げる。彼の目が僅かに弧を描く。
「私は、貴女にも、貴女の望む世界を生きてほしいと願っています」
「……うん」
頷いて、エルシアは笑った。
***
(スタンセラピーは滅茶苦茶効くね!)
王都への帰途。行きと同じメンツで乗り込んだ馬車の中、エルシアは微笑っていた。スタンの言葉を思い出し、口元が緩みっぱなし。「ちゃんと笑えている」という事実が嬉しくて、それがまた笑いを助長する。
そうやって、エルシアが一人ニヤけ切っていると、不意に、ピシャリとした言葉を投げつけられる。
「その顔、いい加減止めていただきたいのですけどっ!」
ケリーだ。
何が気に食わないのか知らないが、乗車した時から彼女の機嫌は悪かった。それが気にならないほど、エルシアは過去回想に忙しかったわけだが。どうやらそれが彼女の神経を逆撫でしてしまったらしい。
エルシアは目を閉じた。口元を引き締める。無の表情で狸寝入りに移行する。
「……信じられない。なんて無神経な女なのかしら」
こちらの狸寝入りを良いことに、ケリーが悪態をつく。
「神経が無いからこれだけ図太くいられるのね。陛下とクラウディア様の朝食に同席できるなんて、どれだけ厚顔無恥なの」
(ああ、そういう……)
要するに、「愛し合う二人」を邪魔する私のムーブが許せなかったらしい。彼女の目には執政官やヴァーリックの姿は映らないのだろうか。
「……大体、陛下も陛下よ。クラウディア様の前で、態々こんな女を持ち上げるなんて。陛下はよっぽど――」
(……?)
ケリーの言葉が不自然に途切れた。
エルシアは薄目を開けて正面を確かめる。
「え?」
先程もまであれだけ元気に罵っていた彼女が、健やかな寝息を立てて寝入っていた。
「え? え?」
エルシアは、戸惑う視線をケリーの隣――リンダに向ける。
リンダは淡々と答えた。
「少々、口が過ぎていましたので、眠らせました」
「あ、ああ、魔法? スリープか……」
久しぶりに目にした現象。母国ではそこそこの人間が使えるが――
「……リンダって魔法が使えたの? 私、知らなかったんだけど」
「『使える』と言えるほど、大したことはできません。精々が、魔力抵抗の弱い人間を眠らせる程度です」
「そ、そっか……」
それでも、ケリーは一瞬で眠りに落ちた。力はそこそこのもの。
(……口で注意とかしないでいきなり眠らせるって、恐いよね)
彼女の無表情も相まって、エルシアは若干の恐怖を覚えた。
リンダが口を開く。
「エルシア様は国に戻る意志はありますか?」
「は? あ、えっと、なんで?」
意図が読めずにそう返す。
リンダは臆することなく答えた。
「陛下と離縁を望まれるのは、帝国への帰国を望むからではないのですか?」
「あー。うん、いや、それはあんまり考えてないかな」
正直、離婚した後の明確なビジョンはない。とにかく、虐げられる生活は嫌。自分を嫌う人間ばかりの環境から逃げ出したい。それに加え、最近は、ヴィルヘルムとの婚姻関係そのものに忌避を感じるようになっていた。
「……とにかく、王宮を離れたいっていうのが、今は一番かな」
曖昧な答えに、リンダは「そうですか」と呟く。ガラスのような碧の瞳がエルシアを見つめる。その静けさが、むしろ不気味だった。
エルシアはその瞳から逃れるよう、再び、静かに目を閉じた。




