4-4.重くて苦しい
離宮へ戻ると、エルシアは与えられた部屋に逃げ込んだ。扉を閉めた瞬間、どっと疲れが押し寄せる。旅装のまま、ベッドに飛び込んだ。ふかふかの寝具。窓の外では雨音が徐々に激しくなっている。
(……作るしかない。分かってるけど……)
胸の奥が重い。決断が苦しい。いっそ、「やれ」と命じられた方がどんなに楽か。
誰かのせいにしたいという思いを、エルシアは頭を振って追い出す。
不意にノックが響いた。エルシアが返事をすると、扉からスタンが姿を見せる。
「王妃陛下。陛下がお呼びです」
(ああ、来ちゃったか……)
時間がないのは分かる。しかし、猶予のない決断は、余計に神経を削った。
自分の判断が間違っていないと、補強できる根拠がまだ足りない。
苦渋の決断の末、エルシアは立ち上がる。ノロノロと寝台を離れ、スタンの元へ向かう。
扉を開けたスタンが、静かに尋ねる。
「……王妃陛下が御心を悩ます理由はなんですか?」
誰も聞いてくれなかった質問。
エルシアはスタンを見上げて答える。
「……私のせいで誰かが傷つくのが嫌。私の作ったものが、いつかどこかで人を殺すのが怖い」
スタンは黙って話を聞く。エルシアが再び歩き出しても、止めることはなかった。ただ、そばに寄り添うように歩いた。
エルシアが案内されたのは離宮の地下だった。冷たい石の階段。最奥の錬金部屋の前で、護衛の騎士がスタンを止める。
「ここから先は王妃陛下お一人で」という言葉に、スタンは従う。
「……暫し、おそばを離れるお許しを」
頭を下げる彼に、エルシアは「大丈夫」と答えた。
スタンと別れ、扉を開く。
錬金釜の前でヴィルヘルムとヴァーリックが待ち構えていた。
黙りこくるエルシアに、ヴィルヘルムは薄っすらと不機嫌を示す。
「何をそんなに迷うことがある? 力持つ者の責務だろう。多少の苦労は――」
「ないよ」
「……なに?」
「私に力なんてない」
エルシアは、錬金釜を見つめて言う。今、ここで作られようとしている物に対して。
「力は、ちゃんと制御できて初めて『持ってる』って言えるんだよ。制御できない力を振り回すのも、振り回されるのも、ただの暴力。そんなの、使いたくない」
完全な弱音。
ヴィルヘルムは虚を衝かれたようだが、ヴァーリックは「フン」と鼻で笑って一蹴する。
そして、動き始めた彼の手が止まることはなかった。手順通りに材料を量り、釜に入れ、練り上げていく。
エルシアは黙って魔力を差し出した。
やがて、ボムが完成した。
完成したボムは一つ。
検証は行われず、すぐに実践に取り掛かる。エルシアは二人とともに川へ向かった。スタンが側にいないことが胸をざわつかせる。雨の冷たさより、心の中がよほど寒い。
***
高台の上。遠く下の川辺で、作業員たちが合図の旗を振った。
「陛下。点火の連絡、来ました!」
「いよいよだな」
ヴィルヘルムの声は低く、緊張を滲ませる。
エルシアは息を詰めた。鼓動が速い。両手を胸元で組んでギュッと握る。
本当は目を瞑りたい。瞑っている間に全てが終わればと思ってしまう。
だけど、目は開いたまま。エルシアは土石流のダムを見つめた。
(お願い、成功して……!)
次の瞬間、ドンッという激しい音。山が揺れた。
お腹に響く轟音が空気を裂く。ビリッとした衝撃が走り、全身の毛穴が粟立った。
エルシアの視界一面に、爆煙が立ち昇る。
空を覆う巨大な黒色の柱。周囲の木々が波打つように揺れる。
「やった! やったぞ……っ!」
ヴァーリックが狂ったように叫び、両手を天に突き上げた。
爆煙の向こうでは、崩れ落ちた土砂の裂け目から濁流が噴き出す。全てを呑み尽くす勢い。一瞬で川幅を増した奔流が、うねるように下っていく。
その先にあるものを思い、エルシアの指先がブルブルと震える。手が白くなるまで強く握り込んだ。
ヴィルヘルムは腕を組んで川を見下ろす。険しい面持ち、冷静な声で呟く。
「威力が強すぎるな。改良の余地がある」
エルシアは立ち尽くしたまま、濁流に目を奪われていた。
水の音は遠く離れた高台にまで響いてくる。怒り狂った巨大な生き物のようだ。
(こんなの……、使い方を間違えたら……)
高台を吹き抜ける冷たい風。叩きつける雨。
(何でも壊せる。いくらでも、人の命を奪えてしまう……)
背筋を走る恐怖に動けない。エルシアの指先は完全に熱を失っていた。
***
離宮に戻り、温かい湯に浸かっても、気分は冷え切ったまま。
スタンはまだ戻らない。
エルシアは食事を摂る気にもなれず、ずっと部屋にこもっていた。
日が落ち、夜の帳が下り始めても、スタンの姿がない。
エルシアは、抑えきれずに部屋を抜け出した。どうしても、今、スタンの顔を見たかった。
離宮を探し回り、使用人たちに尋ねて歩く。館中を巡った後、漸く離宮の裏手で目的の人物を見つけた。
雨に煙る庭。勝手口の外で、泥だらけの身体を拭うその人。
「スタン! どうしたの、その泥っ!?」
駆け寄ると、スタンは顔まで泥で汚れていた。
よく見ると、息が荒い。まるで、激しい運動をした後のような――
「馬を走らせたので……、川下の村に避難命令を伝えて参りました」
スタンは息を整えながら答える。
その言葉に、エルシアは驚きの声を上げた。
「スタンが行ったの!?」
「はい。私が行くのが一番速いですから」
「でも、そうかもしれないけど……、雨が降ってるのに、馬なんて危ないよ」
しかも、既に空は暗い。
心配のあまり、非難めいた言い方になってしまった。
エルシアはすぐに自身の言葉を後悔する。「ごめん」と謝りかけたが、スタンが静かに首を横に振った。
「ご心配をおかけしました。ですが、避難命令は確実に届けて参りました。ご安心ください」
「そんなの、スタンの仕事を疑ったりしないよ」
「はい」
言って、スタンは静かにエルシアを見下ろす。
いつの間にか弱まった雨脚。スタンの頬を汚れた水が流れ落ちた。
暗い夜に染まる瞳が、僅かに細められる。
「……少なくとも、川の氾濫で誰かが死ぬことはありません」
「っ!」
瞬間、彼の言葉を理解して、エルシアの緊張がほどけた。
喉の奥に熱い塊が込み上げる。
「わた、私のため? 私が、恐いって言ったから……?」
「……私は貴女の騎士です。貴女が貴女の望む道を行けるよう、全力でお支えします」
「っ! ありがとうっ……!」
エルシアは俯き、ボタボタと涙を落とす。
地面に落ちたそれは、雨でできたぬかるみに消えていく。
スタンが近づく。
エルシアの濡れた髪、頭の上に優しい温もりが触れた。
「……よく頑張りましたね、エルシア様」
雨音に消えそうな声。
エルシアは声を上げて泣いた。




