4-3.立ちすくむ
夕陽が地平に沈みかける頃。馬車は長い影を曳きながら、ようやくサジュールの離宮、その門前にたどり着いた。
馬車を降りたエルシアは、解放一番、大きく伸びをする。
(あー……、お尻がすっごく痛い!)
休憩を挟みつつとは言え、スプリングもない馬車で揺られっぱなし。大きなダメージを受けたお尻を今すぐ労りたかった。
(ポーション飲んで甘いもの食べて、ベッドでゴロゴロ……)
エルシアのやりたいアレコレを、しかし、ヴィルヘルムの一言が遮る。
「日のある内に川を確認しに行く。エルシア、ヴァーリック、こちらに乗れ」
「え……」
見ると、ヴィルヘルムとクラウディアは未だ馬車に乗ったまま。開いた扉からヴィルヘルムが「来い」と手招きしている。
(うへぇ……)
エルシアは不満を顕にしつつ周囲を見回す。すると、視界に入ったヴァーリックも同様の顰め面をしていた。二人の不満を見て取ったヴィルヘルムが「早くしろ」と命じる。
「川は近い。少しの間だ。我慢しろ」
急かされて、エルシアは渋々と馬車に乗り込んだ。後に続いたヴァーリックが隣に座る。王族専用の馬車。決して狭くはないのだが――
(い、息苦しい……っ!)
気まずいなんてものではない。
誰一人、気軽に声を掛けることのできない空間。エルシアにとっては三面楚歌。逃げ道は窓の外に見える馬上のスタンだけだった。
(助けてぇ……)
無言の救助要請で気を紛らわせつつ、エルシアは時をやり過ごす。
走り出して暫く、何やら書類を読み込んでいたヴィルヘルムが口を開いた。
「執政官からの伝言だ。本人は現地に出ているが、どうやら、川の状況が芳しくない」
(執政官、……王領のトップか)
そのトップが国王一行を出迎えない。それだけで異常事態のはずだが――
「そのような場所へ陛下自ら向かわれる必要があるのですか?」
奇しくもエルシアが抱いたのと同じ懸念を、クラウディアが口にした。
「もし、御身が危険に晒されるようなことがあれば……」
「案ずるな。直ちに被害が出るという状況ではない。ただ、堰き止められた水が危険水域にまで達している」
言って、ヴィルヘルムは窓の外、上空へ視線を向ける。
「……今後の天候次第では、川の氾濫が危ぶまれる」
「早急に対応せねばなりませんのね」
クラウディアの言葉に頷いたヴィルヘルムが、正面の席に座す男に視線を向ける。
「……やれるか、ヴァーリック?」
真剣な問いに、向けられた男はフンと鼻先で笑う。
「当然でしょう。なんのために、私自らこのような土地まで出向いたとお思いですか」
嘲りの笑みを浮かべた男が、エルシアに視線を寄越して胸を張る。
「方策は既に整っております。我が錬金の術を用いれば造作もないこと」
自信満々な態度に、エルシアは胸中で「へっ!」と毒を吐く。
(被害状況を見てもないのに、よくそんな大見栄がきれるね)
白けた眼差しでヴァーリックを見るも、彼が気づく様子はない。代わりに、クラウディアが問いを口にした。
「術師長。錬金を用いての方策とは、一体どのようなものなのでしょう?」
「説明するのは構いませんが、ご理解いただけるかどうか。まぁ、妃殿下はお気になさらず、私に任せておけば問題ありません」
なかなかに辛辣な言葉を吐いたヴァーリックに、しかし、クラウディアは微笑みで答える。
「心強いことですね。頼りにしています」
スマートな返しで老術師長の機嫌をとり、後は口を閉じた。
再び訪れた沈黙。ヴァーリックだけが上機嫌な車内で、エルシアは心を無にして窓の外を眺めた。
「……お待ちしておりました、陛下」
ハイス川を臨む小高い丘の上。馬車から降りたエルシアたちを迎えた執政官――ルッツ・ケルステンと名乗った壮年の男性は、深々と頭を下げた。ヴィルヘルムの許しで顔を上げた男の眼鏡の下には色濃い疲労が滲む。彼に導かれ、問題の流木の堆積箇所――天然ダムを見下ろした一行は、息を呑んだ。
「これは……」
幅数十メートルの川を堰き止める土砂と流木。崩落した岸壁、露出した土。堆積物の下流では水脈が細り、逆に、上流では今にも溢れ出さんばかりの水が滞っている。
(……怖い)
エルシアは思わず空を見上げた。厚く重い雲が上空を覆う。今にも泣き出しそうな空が、この地の未来を暗示していた。
「……領民を動員して撤去作業に当たらせているのですが、どうにも進捗が捗々しくなく」
ケルステンの言葉にエルシアはギョッとして視線を川へ向ける。よく見ると、確かに、対岸にいくつかの人影が見えた。
「あ、危なくないんですか? こんな状況で作業なんて……」
思わず口にしたエルシアに、男は力なく首を横に振る。
「他に手立てがありません。今のうちに少しでも水を排出しておかねば、大惨事に繋がりますから」
(それはそう、だけど……)
多くの人命が危機に晒される状況。自然の脅威を前に人にできることは限られる。その中で、リスクをとってもより良い結果を導かねばならない。その「導く」側に自分がいることに、エルシアはゾッとした。視線をヴィルヘルムへ向ける。
「……ヴァーリック」
視線の先の男は川を睨みつけたまま、傍らに立つ錬金術師長の名を呼んだ。
「お前の見立てはどうだ? どうにかなるか?」
「無論」
間髪を容れずに答えた男の自身に満ちた態度。エルシアはそれに、安堵ではなく不安を覚えた。
(この状況を錬金術でどうにかするって、……一体どうやって?)
記憶を探るが、『アルケミストライフ』に類似のイベントは存在しない。ゲーム知識の及ばぬ問題に対し、エルシアは無力だった。それが歯痒く恐ろしい。
ヴァーリックが滔々と語る
「どれだけ量が多くとも、たかが土塊。そんなもの、吹き飛ばしてしまえばいい!」
(え?)
不穏な単語に、エルシアの脳裏に一つの錬金物が思い浮かぶ。だが、それは――
「錬金術なら、私ならそれができる。人力など遥かに凌駕する力をお見せしよう!」
嬉々として告げたヴァーリックが、エルシアを振り返る。
「妃殿下。貴女の力も必要だ。早速、工房へ移動して――」
「ま、待って! ちょっと待ってください、ヴァーリック術師長。貴方、一体、何を錬金するつもりで……」
「フン。ここまで言っても分からんか」
ボソリと言って、ヴァーリックは口の端を吊り上げた。
「やはり、魔力が多いだけの門外漢。錬金術の深淵に至る者ではないな」
満足そうに頷いて、その目をキラリと光らせた。
「『ボム』を作る」
「っ!?」
的中した予感に、エルシアは息を呑む。その反応に、ヴァーリックが意外そうに「おや?」と首を傾げた。
「その反応、ボムが如何なるものかは理解しているようだな。……錬金の術を知っているのか?」
エルシアは咄嗟に首を横に振る。質問した男は、再び満足そうに頷いた。
「で、あろうな。ボムの錬金は秘中の秘。その術は代々の術師長のみに受け継がれる」
胸を張ってそう告げた男は、「だが」と眉間に軽くシワを寄せた。
「嘆かわしいことに、最近の王宮錬金術師たちは誰も彼も軟弱者ばかり。彼奴らの魔力ではいくら寄せ集めたところでボムの錬金には足らない」
忌々しげに、「何度、失敗の煮え湯を飲まされたか」と吐き捨てたヴァーリック。一転、好奇と興奮に満ちた瞳をエルシアに向ける。
「そこで貴女の出番だ、妃殿下。貴女の魔力は他を凌駕すると聞いた。大聖堂の鐘を錬金してみせたそうだな?」
「……私に、ボムの錬金を手伝えと?」
「いや、手助けではない。錬金を行うのはあくまで私一人。貴女は、その魔力を釜に注ぐだけで良い」
つまり、便利な動力源。釜の起動係をこなせということ。
エルシアは、きっぱりと首を横に振る。
「できません」
「……できぬできないの話ではない。貴方は魔力を提供するだけ」
「いいえ。魔力の提供もできない。したくありません」
拒絶したエルシアは、ヴィルヘルムに視線を向ける。
「陛下。貴方はボムが何かご存知なんですか?」
「ああ。ヴァーリックより説明は受けた。……爆発物、土砂を爆破するにはうってつけの道具だと」
「それは、確かにそうですが……」
大前提としてボムは兵器――ゲームにおいては対魔物戦の武器だ。使い方一つで、多くの人を傷つける可能性がある。
ヴァーリック相手には否定したが、実際、エルシアはボムのレシピを知っていた。材料さえ揃えば、一人でも錬金は可能だろう。恐ろしいことに、ボムの錬金難易度は然程高くない。
(作れる。けど、後先考えずに作っていいものじゃない)
今この瞬間に必要なものであることは間違いなくとも、この先、ボムの用途が土木作業に限られる保証はない。一度でも錬金に成功すれば、きっと次も求められる。
(……作りたくない)
忌避感を覚えるエルシアに、ヴァーリックが声を荒げる。
「我儘も大概にしろ! 貴女にはこの国の王妃としての自覚がないのか! 民を救わずして何が為政者か!」
男の指先が、ハイスの堰を指し示す。
「見よ! 今、この瞬間にも命の危機に晒される民がいる! 何の手も打たねば、更に多くの命や土地が失われる! 貴女の目にはそれが見えぬのか!?」
正論。それが例え魔力提供のための説得に過ぎずとも、エルシア自身の胸に正しく響いた。
葛藤するエルシアの心が傾き始める。
「……土砂の爆破というのは、具体的にどのように進めるつもりですか?」
堰の一部に穴を開け、そこから上流の水を排出するのか。
人口ダムの事前放流を想像するエルシアに、ヴァーリックが嬉々として告げる。
「無論、全てを破壊する! 憂いは全て取り払わねば」
「待って、待ってください!」
エルシアはヴァーリックとヴィルヘルムの顔を交互に見る。
「ボムの威力、どの程度の爆発規模になるか分かっていませんよね?」
「フン! そんなもの、実際に使ってみれば分かる。確実に破壊するために、錬金できる限りの数を用いれば良い」
「良いわけないじゃない!」
ヴァーリックの暴言に、エルシアはヴィルヘルムの反応を窺う。
「下流は? いきなり土砂がなくなってこれだけの水が放流されても、下流の町や村は大丈夫なんですか?」
「……事前に退避の指示を出すことはできる」
「まだ指示が出ていないんですね」
情報の伝達手段は早馬。今からの指示で果たして間に合うのか。更に言えば、一度氾濫が起きてしまえば、例え人命は守れても土地は大きな被害を受ける。
(どうしよう、どうしたら……)
エルシアにとっては何もかもが不十分で不完全だった。安全が保証されないことの恐ろしさ。自身の決断が惨事の引き金となる恐怖から逃れられない。
(……あ)
不意に、頬に小さな水滴が当たる。見上げた空。広がる曇天に焦燥を駆り立てられる。
「……ひとまず離宮へ移動する」
ヴィルヘルムの言葉に、エルシアは彼へ視線を向けた。真っ直ぐな赤い瞳と目が合う。
「錬金工房があるのは離宮だ。……あちらに着くまでに、どうするか決めておけ」
静かな声が選択の余地を告げる。有無を言わさぬ命令ではない。委ねられた判断に、しかし、エルシアは唇を噛んだ。




