4-1.王領へ
「え、王領へ避暑に? ……私も行くんですか?」
長閑な昼下がり。庵に現れた招かれざる客に、エルシアの眉間に深い溝が刻まれる。
対峙する男――ヴィルヘルムは意に介す様子もなく、「そうだ」と答えた。遠くに大聖堂の鐘の音が聞こえる。
「毎年この時期に訪れている。馬車で一日の距離にあるサジュールという避暑地だ」
「……一応知ってますけど。それ、毎年、クラウディア様と行かれてますよね?」
なのになぜ自分が。
エルシアの不審に、ヴィルヘルムが頷いて返す。
「無論、クラウディアも連れていく。貴様を同行させるのは……」
「?」
一瞬の躊躇。しかし、表情を崩すことなく男は続ける。
「サジュールには彼の地を縦断するハイスという川が流れている。そこが先の嵐で被害を受け、流木が堰となっているとの報告を受けた」
「……それで?」
「流木の除去に関する助力要請だ。貴様の力を貸せ」
エルシアは思わず「えー?」と返し、首を横に振る。
「無理ですよ、土木工事なんて。錬金術でどうにかなるものじゃないです。他を当たってください」
「フン。私も貴様一人でどうにかできる問題だとは思っていない。だが、貴様の持つ錬金の知識、魔力量には期待が持てる」
「過分な評価です。私はここで大人しくしていますので、避暑にはクラウディア様と行かれて下さい」
言って、エルシアは庵の扉を静かに閉じようとした。ヴィルヘルムの「待て」という制止が掛かる。
「此度の要請、貴様が十分にその役目を果たせば褒美を与えよう」
「褒美ぃ?」
怪しい誘いに、エルシアの語尾と片眉が上がる。疑心満々な反応に、ヴィルヘルムが静かに返す。
「この庵を正式に『ハバスト国王妃の所有物』と認めよう」
「っ! それって!?」
「ああ。貴様がこの国の王妃……、私の妃である限り、ここは貴様のものだ。そうだな、周囲の土地、森と王宮の境界まで所有を認めよう」
エルシアが期待に顔を輝かせる。
「じゃあ、今後は相互不干渉! 陛下が我が物顔でここに来ることはなくなるんですね! 私を庵から追い出すこともできない!」
「……追い出すことはしない。訪問については善処しよう」
「えー、善処って……」
結局、今後も彼と顔を合わせることになるのか。
エルシアの不満顔に、ヴィルヘルムは「ならば」と続ける。まるで、最初から用意していた答えを口にするように。
「王都内に限り、外出の許可も出す」
「えっ!?」
エルシアは思わず食いついた。
うまい話には罠がある。けれど、外出許可はおいしすぎる。
自然と隣に立つスタンの横顔を見上げた。
(トマトを売りに行くのはスタンにお願いできるけど、錬金素材選びはその場で色々吟味したい)
悩んで悩んで、エルシアはグギギと歯を食いしばって返事をする。
「……分かりました。外出許可をくださるのであれば、サジュールへ同行いたします」
不承不承の返答に、ヴィルヘルムは満足気に頷く。
「交渉成立だな。出発は一週間後、それまでに準備を整えておけ」
「……同行はしますけど、本当にお役に立てるか分かりませんよ?」
エルシアの悪あがきに、ヴィルヘルムは「問題ない」と答える。
「その判断を下すのは私だ。貴様は黙って従えばいい」
横柄に言って、エルシアの返事を待たずに立ち去ろうとする。
去り際、「今、思い出した」という風に振り返った男が告げる。
「外出許可は出すが、護衛の騎士は都度こちらでつける」
「護衛ならスタンが――」
「ハッ! 一国の王妃が何を言っている。王城ではないんだ。騎士一人で護衛が成り立つわけがないだろう」
言うだけ言ってさっさと歩き出す男に、エルシアは何とも言えない敗北感を感じる。
(外出許可、『認めさせた』っていうより……)
餌にして上手く操られた。
ヴィルヘルムの良いようにされたという苦い思い。素直に喜べないモヤモヤに、エルシアは地面を見つめる。
「……王妃陛下?」
案じるスタンの声に顔を上げた。静かに見下ろす黒曜に、一拍置いてエルシアはニヘラと笑う。
「まぁ、今からあれこれ考えても仕方ないよね。先ずは、王領の問題、なんとかしなきゃだし」
「……そうですね」
頷いて返すスタンが「ですが」と続ける。
「もしも、王妃陛下が私以外の護衛を不要と判断された場合は……」
「ん? 判断した場合は?」
「撒きましょう」
「え?」
淡々と告げられた言葉に、エルシアはスタンの顔を凝視する。
(撒く? 護衛騎士を置いてくってこと? いや、置いてってもいいけど……)
職務に忠実な彼が、他の騎士の職務を無下にする発言に違和感を覚えた。
(冗談かな? 私を笑わせようとする小粋なジョーク?)
エルシアの戸惑いに、スタンは「問題ありません」と答える。
「私の忠誠は王妃陛下に。貴女の望みは全てに優先されます」
「うっ」
(なんという破壊力……!)
至極真面目に告げられた言葉に、エルシアは胸を打たれる。前世は勿論、皇女として生まれた今世でさえ、エルシア個人に対して忠誠を口にする者などいなかった。
(しかも、相手はイケメン! 本物の騎士!)
うっかり、本当にうっかり心が傾いてしまいそうになる。
だが、自分は既婚者。政略結婚とはいえ夫がいる。愛人が許容される文化であろうと、そこは夫婦間の問題。ヴィルヘルムのあの様子では絶対に認められないだろう。
(って、いやいや、そもそも愛人とか、なに勝手に暴走してるの!?)
スタンの忠誠を恋愛と結びつけるなんて失礼だ。
エルシアは、彼の誠実さに勝手に落ちそうになる自分を戒める。そうして、こんな場合にとても便利な言葉を見つけ出した。
(スタンは私の推し! 推せる! よし、今日から推してく!)
危うい感情にラベルを貼って彼との距離をとる。それから、スタンに向かって笑ってみせた。
「それじゃあ、まぁ、旅行の準備、しよっか?」
**********
王領へ向かう日。早朝の朝靄の中、エルシアは感情を失った顔で立ち尽くした。
(なにがどうしてこうなる……)
王領に向かうメンバー。クラウディアがいるのは聞いていた。多少ギクシャクした空気が流れるが問題ない。だが、もう一人。一歩引いた場所からこちらを睨みつける錬金術師長ヴァーリック。
(彼の同行は今初めて知りましたけど?)
エルシアの当惑をよそに、空気を読まないヴィルヘルムが「錬金術師は錬金術師同士。話も合うだろう」と同じ馬車に放り込もうとする。
エルシアはヴィルヘルムの袖を引いた。
「……陛下、少々、お耳を拝借したいのですが」
「今は時間がない。到着したら聞いてやる。さっさと――」
「いいから! ちょっと!」
傲岸不遜な男の腕を引き、声を落とす。
「どうしてヴァーリック術師長がいるんですか!?」
「ハイス川復興の主力だ。現地では貴様はヴィルヘルムの指示に従うことになる」
「っ! 聞いてません!」
エルシアの抗議に、ヴァーリックは鼻先で笑った。
「助力要請だと言ったろう。それともなにか? 貴様一人の力で問題を解決できるのか?」
「それは……」
正直、自身がない。責任を追う覚悟はなかった。
ヴィルヘルムが「ならば」と告げる。
「私の指示に従え。さっさと馬車に――」
「それだけは断固拒否します!」
既にヴァーリックが乗り込んだ馬車を一瞥し、エルシアはヴィルヘルムを睨む。
「術師長と同乗させられるくらいなら馬で行きます!」
「ハッ! 馬での長距離移動に耐えられるのか? やれるものならやって――」
「スタンに乗せてもらいます! 大丈夫、彼ならなんとかしてくれます!」
エルシアのスタンに対する絶対的な盲信。視線の先には、既に騎乗して待機する彼の姿がある。
ヴィルヘルムは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……馬鹿を言うな。一国の王妃が護衛の馬で移動だと?」
「さきほど、『やれるものならやってみろ』と――」
「チッ!」
ヴィルヘルムが盛大な舌打ちで話を遮る。それから、忌々しそうに呟いた。
「……別の馬車を用意してやる。これ以上の譲歩はせん。さっさと乗れ」
言い捨てると、エルシアの返事を聞かずにその場を立ち去る。
代わりに、彼の指示を受けた従者の一人が慌てて駆け出した。それから直ぐに、エルシアは新たな馬車へ案内された。




