3-5.鐘の錬金術師
案内された職人ギルドの裏手。手入れがされた広場のような空間に、ソレはあった。
「……確かに、これで錬金は大変かも」
成人男性一人が優に横になれるサイズの大釜。高さも――土台に敷かれた水晶のような石を含めると、エルシアの背丈より高い。錬金用の足場であろう三段ステップが四方に置かれているが、とてもではないが釜全体に手が届きそうになかった。
渡された錬金用レードルもエルシアの背丈ほどあり、木製だが重さはなかなかのもの。長時間の錬金には向かない。全身の筋肉を犠牲にする覚悟が必要だった。
エルシアが大釜を前に密かに尻込みする横で、工房長がせせら笑いを浮かべる。
「準備が整いましたぜ、王妃様」
エルシアの指示で大釜の中に放り込まれた鐘の残骸。どれだけ丁寧に破片を拾い集めても元の総量には足りず、土汚れなどの不純物が混じる。錬金の「材料」とするには不向きだが、エルシアには考えがあった。
(『修復錬金』。……やって損はない)
『アルケミストライフ』にて、使用回数の限られるアイテムは「修復錬金」を行うことで回数を全回復できる。同じく、「壊れた〇〇」という名称のアイテムは「修復錬金」にて「壊れた」を取り除けた。
であれば――
(『壊れた大聖堂の鐘』も修復できる……!)
方法は通常の錬金と変わらない。魔力を消費して錬金釜を掻き混ぜるだけ。違いは、他に素材を必要としないことと、通常より消費される魔力が少ないこと。それもまた、エルシアにとって勝算の一つだった。
(消費魔力を節約できれば大釜でも……。いざ!)
意を決し、エルシアはステップを上がる。腰の高さまでになった錬金釜にレードルを差し込み、意識を集中した。重なるゲーム画面。いつもより広い作業範囲に戸惑いつつも、両手でレードルを握って掻き混ぜる。
一回、二回――
いつもよりレードルを回す速度が遅く、動きが拙い。空を切る円が十を超えたあたりで、工房長の嘲笑が聞こえた。
「ハッ! 大口叩くからどんなもんかと思えば。そんなへっぴり腰で何ができるってんだ」
ここまで鐘を運んだ男たちの間から、密やかな追従の笑い声が上がる。
エルシアの口元がへの字に曲がった。
(『一人でやる』って言ったし、別に手伝わなくてもいいけど……)
見ているだけ、邪魔するだけならさっさと仕事に戻ってほしい。
鬱陶しい視線に、エルシアの集中が途切れる。慣れ親しんだ錬金のイメージが遠ざかり、眼の前にあるのがただの鉄の塊に見える。これが「どうにかなる」場面が想像できない。
(……マズいなぁ。失敗するかも)
思った瞬間、エルシアは背後に人の気配を感じた。
(え?)
狭いステップの上、振り返る間もなく、背後から覆いかぶさるようにして伸びてきた手がレードルを握る。
「手伝います」
「スタン……?」
「私が持ちますので、王妃陛下は魔力を」
頭上から降る静かな声。長い腕の中に閉じ込められた格好のエルシアは戸惑う。
(これは近い! 流石に近いよね!)
体温の伝わる距離。ここまで接近するのは初めて――
(いや、城壁落下未遂事故で助けられて以来!)
あの時の吊り橋効果的ドキドキは、将来の展望に気を取られてすぐに忘れた。やましいところはない。
だが今は、ヴィルヘルムに「男女の仲」を疑われる状況。不用意な接触は避けるべき、だと思うが――
(……なんだろう、この安心感)
既にレードルの重さは感じない。手は添えているだけ。自分より頭二つは大きな身体に守られ、周囲の雑音が遠ざかる。見たくないものは視界の外。目にしているのは錬金釜。いつもと同じ――
(なんか、イケるかも……)
エルシアの肩からフッと力が抜ける。
「……ありがとう、スタン。撹拌、よろしくね」
「御意」
答えとともにレードルが動き出す。宙空を掻き混ぜるその先に、エルシアは意識を集中させた。次第にいつもと同じ感覚に没頭していく。
(……あ)
遂に釜の底が光った。
いつもの勢いはないものの釜の底から光が湧き出す。鐘の残骸をじわりじわりと飲み込む光の液体は、やがて青銅の塊をすべて沈め、釜の縁から溢れ出した。
エルシアの耳に、背後のざわめきが届く。
「う、そだろ……」
「信じらんねぇ! なんだよ、あの魔力の量!?」
驚愕する男たちの声に、エルシアはニヤリと口角を吊り上げた。しかし、気が逸れた途端、光が弱まる。エルシアは慌てて釜に意識を戻した。
(えーっと、鐘は建築素材じゃなくて装飾品カテゴリだから、『D』の字か)
ゲーム知識を持ち出し、手を添えたレードルを軽く押す。
エルシアの恣意的な動きに、スタンは即座に反応した。口にせずとも、エルシアの望む通りにレードルを動かし始める。手の届く範囲でできるだけ大きなDの字を描いた。素早い動きではないものの、光の中に生まれる気泡を確実に潰していく。
(うーん。流石に釜全体を掻き混ぜるのは無理か。でも、時間をかければ……)
無心で「Dの字」を描く内、エルシアは時を忘れた。生まれる気泡を潰す。潰し終えたと思った瞬間再び現れる気泡をまた一から。延々と、思考を停止させて――
「ぅわっ!?」
それは一瞬だった。
目を灼くほどの眩い光。錬金の成功を現す光が、いつもの何倍もの面積で輝く。
エルシアは反射で目を閉じた。前後して瞼の上に感じる大きな手。頭上から声が降る。
「王妃陛下。ご無事ですか? 目に障りは……?」
「ないよ。大丈夫。ありがとう」
返答に、目を覆っていた温もりが離れる。エルシアはソロリと薄目を開けた。収束し始めた光は未だ眩しさを残しており、釜の底は見えない。
エルシアは背後を振り仰いだ。
「ごめん、完全に油断してた。スタンこそ、目は大丈夫?」
「問題ありません」
言葉通り、背後に立つ彼は平然とした顔でエルシアを見下ろす。エルシアはまだ光の残滓に顔を歪めたままだというのに。
「……スタンって光に強い系? そう言えば、朝も強いもんね」
「光にどうということはありませんが、不測の事態に備える訓練はしております」
言って、彼は光の残る釜の中に視線を移す。そして、そっと息をついた。
「……どうやら成功のようですね」
「ごめん。見えない」
スタンの確信めいた言葉を疑うつもりはない。が、半眼のエルシアには光の渦とその中にぼんやりと浮かぶ黒い影が見えるのみ。徐々に消えゆく光をジッと見つめる。
やがて、光の中から鐘が姿を現した。その姿に、エルシアは「よし!」と小さくガッツポーズする。スタンの言葉通り。傷一つない鐘が新品の輝きを放っていた。
満足いく結果を得たエルシアは、スタンに手を取られてステップを降りる。怫然とした表情で待ち受ける男に歩み寄り、笑顔を見せた。
「見て下さい、陛下! できましたよ!」
促され、ヴィルヘルムが段を上がる。釜の中を覗き込み、僅かに目を見張った。釜の内をジッと注視した後、唇を固く引き結ぶ。振り返ると、硬い表情のままステップを降りた。
入れ替わるように、周囲で見守っていた男たちが釜に群がる。四方から釜を覗き込む男たち。工房長の唸るような声が聞こえた。
「……信じられん。こんな……」
エルシアの成した成果を、ある者は戸惑い、ある者は驚嘆を以て眺める。
騒然とする男たちにチラリと視線を遣ったヴィルヘルムは、エルシアに近づく。苦虫を噛み潰した顔で何かを言いかけるが、言葉にならない。
だんまりを決めこもうとする彼に、エルシアは胸をそびやかして告げた。
「約束ですからね! 本日只今をもって、スタンを解雇していただきます!」
満面の笑み。達成感が、エルシアの口元を自然と緩める。
ヴィルヘルムは、ギリと噛んだ歯の隙間から絞り出すような声で答えた。
「……許す」
「やった!」
諸手を上げ、エルシアはパッと隣を振り仰いだ。
「これでスタンは無職だね! ということで、私が直接雇用してもいいかな? 給与と福利厚生は最大限希望に添います!」
弾む声に、スタンは胸に手を当て静かに頭を下げた。
「御心のままに。……感謝いたします」
「うん! 今日からスタンは私の騎士かつスローライフ仲間。護衛のほうも引き続きよろしくお願いします!」
この人は自分を裏切らない。
そう信じられる人がいる頼もしさ。エルシアは心から笑って、表情を殺した夫を見上げる。
(また一歩、自立に近づいた。いつか絶対、王宮を出てみせるからね!)
笑顔の下で野望の爪を研ぐ。高揚する胸の鼓動。エルシアは自由となった自分の姿を思い描く。しかし、その夢にふと小さな影が差した。
エルシアは、もう一度スタンを振り仰ぐ。
(私が王妃じゃなくなったら……)
彼はどういう未来を選ぶだろうか。王妃でない自分に、スタンの忠誠はもったいない。きっと、彼は彼の道を歩み始めるだろう。
想像すると胸を冷やしめる感情があることに気づき、エルシアはスタンから視線を外す。
(……これは駄目だ。マズい方向)
寂しい――
冷たさの正体から目を逸らして、エルシアは笑い続けた。




