3-4.睡魔と息苦しさと面倒くささと
ゴトゴトと一定のリズムで揺れる馬車の中、エルシアは襲いくる睡魔と戦っていた。
(マズい、寝る。これは寝る。もう寝る)
落ちる瞼との戦いは熾烈を極め、油断すると直ぐに頭がカクンと落ちる。それで自身の寝落ちに気づき、また慌てて目をかっ広げる。実際には半開きの白目で、必死に前を向いた。
「……なんて顔をしている」
ぼやけた視界の向こう、対面の席から不機嫌な声がする。エルシアは両頬をパシリと掌で叩いた。一瞬の痛みが一瞬の覚醒をもたらすが、本質的な目覚めには至らない。続けざまに二、三発と叩いて漸く両目が開いた。頬が熱い。
開いた視界に、呆れ顔のヴィルヘルムの顔が映る。
「眠いなら寝ておけ。……見苦しい」
余計な一言を吐く夫に、エルシアはフイと顔を背けた。
(二人きりの空間で寝るとか、嫌だ)
夫とはいえほぼ他人。「何かされる」とまでは思わないが、無防備な姿を晒すのに抵抗がある。
エルシアは窓の外に視線を向けた。車窓からでは嵐による被害は確認できない。見えるのは馬車に並走して馬を走らせる護衛の騎士たち。その中にスタンの姿を認め、ホッと息をつく。
ヴィルヘルムの不機嫌な声がした。
「なぜ、そこまでスタンに固執する」
エルシアはヴィルヘルムに視線を戻した。
「固執というか、他に選択肢がないだけです」
そう答えてから「それだけじゃない」と気づき、言葉を継ぎ足す。
「大前提として、スタンを尊敬していますし、頼りにしています」
「つまり、アレに好意を抱いているということだろう?」
険のある声。
エルシアは内心で「しつこい」と辟易しつつ答える。
「人としての好意は当然あります。でも、男女の色恋じゃなくてアレですよ、アレ」
上手い説明はないかと考えを巡らす。が、睡眠不足で鈍った頭に妙案など浮かぶはずもなく、エルシアは浮かんだままを口にした。
「癒やしですよ、癒やし。スタンは私の癒やし」
まとまらない思考。
ヴィルヘルムが「癒やし?」と訝しむ。「ですです」と頷くエルシアの瞼が再び重力に負け始めた。
「格好いいし優しいし、色々助けてくれるし。スタンがいてくれるから、『今日も頑張るかぁ』って思えるんです」
「それが男女の情でなくなんだというのだ」
不満げな声に、エルシアは何とか目を開く。眼の前の男を見つめた。
「陛下だって、国民にとっては『癒やし枠』みたいなもんですよ」
「なんだと?」
「君主として国政頑張ってますし、こうやって視察とかして国民のこと気にかけてますし、みんなに慕われてるんじゃないですか? そういう意味で、陛下は国民の癒やしです」
ヴィルヘルムが虚を衝かれたような表情を浮かべる。
エルシアはその意味を深く考えずに、自身の言葉に「あれ?」と首を捻る。
(この人の場合、癒やしというより推し? 癒やしにするには圧が強いもんなぁ……)
埒のあかないことを考えつつ、「だいたい」と言葉を重ねた。
「私たちの仲を疑うのなら、彼を庵の護衛に付けなければ良かったのに」
住み込み勤務まで命じておいて今更だ。結果、エルシアが非常に助けられていることには触れないでおく。
指摘に、ヴィルヘルムが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「アレの忠誠に疑いなどない。いや、なかったが……」
(スタンが私の専属護衛を言い出したせいで疑わしくなった、と)
エルシアは「ハァ」と溜息をついた。
「お疑いが晴れないのでしたら、教会なり王宮医なりに命じてこの身をお調べください。逃げも隠れもいたしません」
そう答えて、再び窓の外に視線を向ける。話はこれで終わり。グダグダと繰り返される言いがかりに嫌気がさして、エルシアは目を瞑った。
それから暫く、車内に小さな寝息が聞こえ始める。
(……結局、爆睡してしまった)
時間にすると十分、十五分だろうか。完全に意識がなかった。
ヴィルヘルムに揺すり起こされたエルシアは、一瞬混乱した。眼の前に嫌いな男のアップ。寝起きの頭では置かれた状況が把握できなかった。馬車を降りるよう促され、外にスタンの姿を見つけて状況を理解する。
「王妃陛下、お手を」
スタンが降車の手助けをしてくれる。
「ありがとう」
エルシアは差し出された手を取った。
いつもと変わらぬ軽装。軽い動きでタンタンとステップを降りる。地に足をつけてから周囲を見回した。大聖堂の敷地内。どうやら、壊れた鐘はこの場にあるようだ。
(寝るつもりはなかったけど、おかげで頭が回るようになってる。良かった)
「鐘はどこか」と巡らす視界に、先に馬車を降りたヴィルヘルムが映る。
(おー、流石は『王様』)
視線の先の彼は、既に大勢の人たちに囲まれている。突然の視察にも関わらず、これだけの数の人間が集まり、尚且つ直答が許されている。彼の慕われ具合が分かるというもの。
集団の代表らしき壮年の男二人が、ヴィルヘルムに必死に訴えかけていた。エルシアの耳には話の内容までは届かない。不意に、ヴィルヘルムが振り向き手招いた。エルシアが近づくと、いくつもの好奇の視線が集まり、値踏みする。
エルシアは涼しい顔で横切って、ヴィルヘルムの隣に並んだ。彼が男二人を紹介する。
「職人ギルドの長ゼペスと、ヒロガネ錬金工房の長マーロだ」
補足で、ヒロガネ錬金工房が王都最大の錬金工房であり、街の復興の先陣を切っていると説明される。
エルシアは鷹揚に頷いて応えた。男二人の視線が「これは誰だ?」と訝しげに問うのに対し、ヴィルヘルムが答える。
「正妃エルシアだ。復興の手伝いをさせる」
「よろしくお願いしますね」
ニコリと笑ったエルシアに、男二人が軽く瞠目する。周囲から「あれが王妃?」、「帝国の……」というささやき声が聞こえた。敵対とまではいかないが、歓迎されない雰囲気を感じる。
紹介された男の一人、筋骨隆々といった風情の工房長が口を開いた。
「陛下。復興の助けっていうのはどういう意味で? まさか、あっしらの仕事に口出しするってんじゃ……」
言外に「迷惑だ」と告げる。榛色の目がエルシアをジロリと見下ろした。
エルシアは微笑みを絶やさずに答える。
「口出しではなく、手出しするつもりです」
「……お遊びじゃないんだ。余計な真似はしないでいただきたい」
「ええ。私も、自分の手に余ることに手出ししたくありません。だから、現状を見せてほしいの」
工房長の眉間に皺が寄る。彼の視線がヴィルヘルムに向き、「どういうことだ?」と問いかける。ヴィルヘルムは頷いて答えた。
「エルシアに鐘の修復をやらせる」
「は? いや、しかし……」
工房長の目が「無理だろう」とエルシアを見る。
エルシアは胸を張った。
「ご安心下さい。わたくし、錬金術には多少の自信がありますので!」
自信満々に答えるが、男の目から不審の色は消えない。ヴィルヘルムが「ひとまず」と告げた。
「鐘を見せてくれ。現状、どうなっている?」
「……落ちた時のまま、移動せずに保管してありますが」
工房長が渋々といった体で案内を始める。後に続くヴィルヘルムに促され、エルシアも歩き出した。周りを取り囲むように護衛の騎士たちが動き出す。スタンがエルシアの背後にピタリと従った。
一行は大聖堂をグルリと周り、裏手へ進んでいく。目にする限り、本堂は粗方修繕が済んでいる。敷地を囲う石塀の一部が崩れ落ちているが、そちらは今まさに修復作業中であった。
鐘楼の真下、表通りからは見えない場所にたどり着くと、鐘の残骸が姿を現す。大きく二つに割れた金属の塊。一つ一つが、大人が両手を広げて抱えられるかどうかといったサイズだ。素材を考えると、数人がかりで持ち上げられるかどうか。
近寄って、エルシアは唸った。
「うーん、これまた見事に壊れましたね」
割れた二つの断面は、継ぎ合わせてもピタリと重なりそうにない。足元を確かめると、広範囲に大小の破片が散らばっていた。
工房長が渋い顔で告げる。
「ここまで壊れていては、修復ではどうにもならない。新たに錬金するしかないだろうが……」
「できないんですか?」
エルシアの純粋な問いに、工房長がムッとして答えた。
「こんなデカブツ、どうやって錬金するってんだ。釜もなけりゃ、人手も足りない」
「人手は問題ありません。私一人で錬金します。でも、釜がないのは困るな」
王都内の錬金工房であれば或いはと考えていたエルシアの思惑が外れる。どうしたものかと悩んでいると、横からギルド長が口を挟んだ。
「……釜は、ないことはないんです」
「ん? それは、あるってこと?」
エルシアが尋ねると、ギルド長は躊躇いがちに「はい」と首肯する。
「職人ギルドの裏に、祭祀用の錬金釜が――」
「ゼペス! 冗談じゃねぇ、あれを動かすのにどんだけの魔力が必要になると思ってる! うちの連中だけじゃねぇ、王都中の錬金術師かき集めることになんだぞ!」
怒り出した工房長に、エルシアが疑問を口にする。
「あの、祭祀用というのは?」
「はぁ? 年に一度、建国祭でサランのスープが振る舞われんだろ。アレを作るのに祭祀の大釜を使うんだ。あんたも王妃ならそれくらいって、……ああ」
工房長の口元に嫌味な笑みが浮かぶ。
「帝国の人間にゃ関係ない話か。建国祭も、ご臨席くださるのはクラウディア様だけだしな」
「えーっと、私もお招きがあれば、出席することもやぶさかではないのですが」
如何せん、案内をもらったことがない。
エルシアがヴィルヘルムを見上げると、不機嫌そうな顔でそっぽを向いている。
(……まぁ、いいけど)
建国祭の招待うんぬんは工房長には関係のない話。大事なのは、「祭祀用」という特別な響きの釜が使えるかどうかだ。
エルシアはギルド長に向き直る。
「その大釜、一度使わせてください」
魔力に自信はあるが、動かせるかどうかやってみなくては分からない。
エルシアの提案に、ギルド長の視線がヴィルヘルムを窺う。頷いて返した彼に、ギルド長はホッとしたように「では」と歩き始めた。背後から、野太い声の野次が飛ぶ。
「無駄だ無駄。何十人って錬金術師が魔力を注いでやっとこさスープができる程度。古代技術で造られた金属製品の再現なんざ、どうやっても叶わねぇ」
エルシアは振り向いた。
「古代技術の再現は確かに難しいですけど、その点はまぁ、考えがあるので」
言って、チラリと鐘の残骸に視線を遣る。視線を戻すと、腕を組んだ工房長の不満げな瞳と目が合った。
エルシアは首を傾げる。
「あの、さっきから気になってたんですが、私の話、というか、私がレンガを錬金した話は聞いてますか?」
先程から「お遊び」だとか「魔力が足りない」だとか繰り返され、いい加減、腹が立ってきた。地獄の十四日間をやり抜いた功績を無視されるのはいただけない。
エルシアの問いに、工房長は「あ?」と声を発し、考え込む。
「レンガ……、宮廷錬金術師から提供のあったアレか? アレの作製にあんたも関わってたってことか?」
その答えに、エルシアはグルンと勢いよくヴィルヘルムを振り向く。「どういうことだ?」という怒りを込めた視線を、向けられた男は軽く受け流した。
エルシアはギリと奥歯を噛んで工房長へ言い放つ。
「関わった、ではなく、私が錬金しました! レンガ二万枚! 技術はともかく、それだけの魔力が私にはあります!」
「あんたが? 二万って、ほとんど全部じゃねぇか。そんな出鱈目――」
「出鱈目かどうかはその目で確かめて!」
エルシアは鐘の残骸をピシリと指差す。
「アレを大釜まで運んでください」
「は? なんで――」
「再錬金します。欠片も、できるだけ拾い集めてきてくださいね」
エルシアの命令に、工房長は怒りの表情を見せる。返事はない。
エルシアの背後から声がした。
「マーロ、エルシアの言葉に従え。鐘を大釜に運ぶんだ」
ヴィルヘルムの命に、工房長は一拍置いて頭を下げる。
「……承知しました」
顔を上げ、眼前のエルシアに舌打ちしてから背後を振り返った。
「おい! 王妃様の命令だ、作業の手を止めろ!」
声を張り上げ、鐘に向かって歩き出す男。周囲で修繕作業をしていた男たちが顔を上げ、「なにごとか」と視線を向ける。
エルシアの口から小さく溜息が漏れた。




