3-2.終わらんなら回せぇ。回せ回せ回せぇ
材料の赤土が届くまでまだ時間がある。
エルシアは庵に戻り、部屋の整理を始めた。錬金したレンガを一時保管する場所を確保するため、スタンの手を借りて空きスペースを作る。作業台を二人で持ち上げ、錬金釜の真横ピッチリに横付けした。
作業台の拭き上げ作業をしつつ、エルシアは先程の疑問を口にする。
「陛下、最後に何を言おうとしてたんだろうね?」
スタンが、躊躇いがちに口を開く。
「……愚考ながら」
「うん」
「王妃陛下が交換条件を持ち出さなかったことを不審に思われたのでは?」
「うん? 交換条件?」
「……例えば、ですが」
「うん」
「『レンガの作製を果たした暁には、離縁を成立させる』など、条件付きで錬金を引き受けることも可能だったかと」
「!」
エルシアの手がピタリと動きを止めた。一拍後、その身体が静かに床に崩れ落ちる。
「王妃陛下!」
「その手があったーっ!」
エルシアは床に両手をついて叫んだ。脳裏に浮かぶのは、ヴィルヘルムの驚きと不審の顔。
「だからあんな顔……」
口を噤んだのは藪蛇を恐れてのことだったのだろう。
気付けなかった口惜しさに、エルシアはガクリと項垂れた。
「ああ、なんで私、安請け合いしちゃったの。折角のチャンスを」
「……崇高なお志だと思います。民のためとは言え、一方的な押し付けを受け入れるなど、なかなかできることではありません」
「違ーう! スタンも分かってるでしょ?」
決して「崇高」と言えるようなそんな格好いいものではない。
(単純に気づかなかった……っ!)
直前に「城へ来い」と呼び出されたことも忘れていた。せめて、「今後の相互不干渉」を条件にすべきだったのに――
「……ううん。でも、まだよ」
エルシアはフフッと笑って立ち上がる。
まだ、挽回――交渉の余地はある。
「レンガ二万枚。耳揃えてきっちり納品してやろうじゃないの! それでその時、改めて交渉する!」
決意と共に、エルシアは再び作業に戻る。作業台を拭き上げる手の動きが、心做しか先程より速くなった。
数刻後。約束通り、二人の荷運びが荷車を引いてやってきた。彼らは十個の赤土入りの土嚢袋を玄関先に下ろすと、「また明日の同じ時間に」と庵を後にした。
「さて……」
十キロの米袋サイズの土嚢袋を一つ。錬金釜の隣に運び込み、エルシアは検証を始める。
(まずは、スコップ一杯分から)
ご丁寧についてきた移植ゴテサイズのスコップで、赤土を一掬い錬金釜に入れた。そこに水を少しずつ加えつつ、レードルで掻き混ぜる。やがて、魔力で釜が光りだしたところで水を加えるのを止め、代わりに三分計測の砂時計をひっくり返した。
(えーっと、資材系の錬金も『M』の字でいいから……)
エルシアは、トマト料理で培った技術で鍋をスイスイ掻き混ぜる。抵抗なくレードルを動かし続けること一分半――ちょうど、砂時計が半分落ちたところで、光が眩さを増し、やがて収束する。鍋の底に、ホームセンターでよく見る焼成のレンガが一枚出来上がっていた。
「……スコップ一杯でレンガ一枚。掛かる時間は一分半、ね」
直ぐに忘れてしまいそうなため、エルシアは作業台に置いた紙にメモを残す。それから、本番――やりたかった検証に着手する。今度は、スコップ二杯分の赤土を釜に入れた。
(複数錬成。……これで、どれだけ時間短縮できるか)
二週間で二万枚作製するのに、一枚一枚錬成している暇はない。エルシアは、ゲームにあった「一度作ったアイテムは複数錬金可能」というシステムを使うつもりだった。獲得経験値は下がるが、今は二の次三の次。
「……よし!」
エルシアは気合と共に錬金を再開した。
スコップ二杯分の赤土からはレンガ二枚が無事にでき、錬成時間も二分と短縮される。そうして何度かの試行ののち、どうやら今のエルシアが複数錬金できるレンガの数は五枚が限度ということが分かった。それ以上になると、レードルの動きが鈍り、作製時間が倍以上掛かる。一枚ずつ錬金した方がまだ速いという有り様だった。
「五枚、三分で五枚が限度か……」
時間短縮にはなっているが、それでもまだ、二万枚に到達する気がしない。
(三分で五枚。一時間ノンストップでやってもマックス百枚。一日八時間労働プラス残業で千枚弱、九百くらいいけたとして……)
暗算で出た結果が受け入れがたく、エルシアはメモ用紙の片隅で再計算する。結果は同じ。
エルシアは顔を上げ、部屋の隅で見守るスタンに尋ねた。
「スタン、二週間って何日あるんだっけ? ひょっとして、二十日間くらい――」
「十四日間、ですね」
「……ですね」
歴然たる事実を前に神妙に頷く。
エルシアは「やってはいけない」という予感を抱きつつ、メモ用紙の片隅に計算を書き加えた。
(十四日で二万。つまり、一日に千四百強。……まぁ、まぁ、一日十五時間労働すればなんとか?)
恐らく、漆黒のブラック企業には及ばない労働時間。二週間なら何とか乗り切れないこともない気がしなくもない。
拭い去れない不安を感じながらも、エルシアはスタンに視線を向ける。
「スタンにお願いがあります」
「なんなりと」
「私、今から『一時間で何枚できる? 爆速レンガ作り』に挑戦したいと思います。錬金だけに集中したいので、赤土とお水の用意と、あと、出来たレンガを運び出す作業をお任せしたいんだけど……」
「仰せのままに」
近寄ってきたスタンの心強い返答に、エルシアは「ありがとう」と礼を言う。大変な作業に巻き込むことに申し訳無さを感じつつ、釜へ向き直った。
(……やるしかないね)
気合を入れ直し、壁の時計を見上げる。秒針が十二を差したタイミングで、スコップに手を伸ばした。
夜。夕飯を終えた席。スタンの「皿は自分が洗う」という言葉に甘え、満腹のエルシアは食卓に突っ伏した。
「あー、ヤバい。ヤバいかもしんない」
目標、一時間で百枚。少なくとも九十は超したかったレンガ錬成だが、なかなか思うような結果を得られなかった。釜に材料を入れる時間や釜からレンガを取り出す時間。更に疲労回復のためにポーションを飲む時間。合間合間に挟まる作業に地味に時間を取られる。
それに加え――
(最初の一時間はともかく、あとの四時間くらいは集中力が足りてなかった)
単調作業の繰り返し。飽きと疲労で動きが鈍る。レードルの動きが悪ければ、錬成自体にも余計な時間がかかり、最速での錬金が叶わない。
(えーっと、結局、レンガどれくらい出来たんだっけ?)
エルシアは食卓に頬をつけたまま、置かれたメモに手を伸ばした。
(最初の一時間が九十二、後は八十五、七十五、七十八、……六十八?)
平均して八十程度。
エルシアの胸に焦燥が募る。
(え、え、一時間八十って、十五時間やっても千二百?)
思わず上体を起こし、姿勢を正す。
日次目標に二百も足らない。
エルシアは胸の内で「ヤバいヤバい」と繰り返した。
不意に、目の前の食卓にカップがスッと置かれる。中身は、ポーションとは違う甘い湯気の立つ茶色の液体。エルシアは顔を上げ、見下ろす黒の瞳に問いかけた。
「……ココア?」
「はい。疲労回復にいいかと」
答えた彼自身はもう一つのカップを手にしている。湯気は立っていない。代わりに、嗅ぎなれた緑の匂いが微かに漂う。エルシアの口にフッと微かな笑みが浮かんだ。
「ありがとう、スタン」
言って、エルシアは彼を見つめる。作業中、ずっと優秀な助手を務めてくれた彼もまた、エルシア同様に疲弊しているはず。だが、それをおくびに出さず、こうしてエルシアを労ってくれる。
エルシアは温かなカップに口をつけた。優しい甘さが心を潤す。
(……態々、買ってきてくれたのかな?)
エルシアの引っ越し道具にココアは含まれていない。だから、コレはスタンが自分のために用意してくれたもの。ホコホコと温まる胸に、エルシアは笑った。
「うん。ヤバいとか言ってる場合じゃなかった。私やるよ、やるしかないよね」
「ほどほどになさいませんと、王妃陛下のお身体が。……最初から無茶な要求です」
「うん。でも、一応、約束したからね。『全力を尽くす』って」
スタンの案じる瞳に、エルシアは胸を張った。
「大丈夫! 私、まだ本気だしてないだけ。明日からの私に期待してて!」
エルシアの吐く気炎に、スタンは静かに目を細めた。
******
後に、エルシアは語る。エンドレスフォーティーンと名付けたあの地獄の二週間を、二度と繰り返したくない。有事に備え、自分はもっと強くなる。レンガなど百枚単位で複数錬成する力を身に付けてみせるのだと。
「お、終わったー……」
二週間後。最後の錬金を終えたエルシアは錬金釜の前でへたり込んだ。床にペタリとお尻をつき、身体の前にダラリと両手を投げ出す。非常にだらしない格好のエルシアに、スタンが「お疲れ様です」と声をかけた。そうして、自分は錬成された最後のレンガを黙々と庵の外に運び出す。
「スタンもお疲れー。筋肉痛とか大丈夫?」
だらしない格好のままのエルシアの呼びかけに、庵の外から「問題ありません」と答えが返る。
(うーん。流石、騎士。私一人じゃ体力的に潰れてただろうなぁ)
魔力の枯渇を心配することはなかったが、ポーション頼みでは体力に限界がある。レードルを回すだけで両腕はパンパン。レンガ運びまで自力でこなしていたら、腕と言わず、腰と言わず大変なことになっていただろう。
「ありがとうねー、スタン」
エルシアは改めて礼を口にする。開きっぱなしの庵の扉から、スタンが顔をのぞかせる。
「……王妃陛下、外に」
「ん? あー、もう、レンガ回収の人たち来たの?」
だったら最後の挨拶に顔を出すかと、エルシアは重い腰を上げる。スタンが硬い声で告げた。
「いえ。……荷運び以外に人の気配がします。恐らく、陛下がお見えになったのではないかと」
「えー、また?」
エルシアはスタンに歩み寄り、玄関扉から森を眺める。
(あー、本当だ)
スタンの言葉通り、木々の合間に派手な色彩が見え隠れする。やがて、ヴィルヘルムを中心にした一団が姿を現した。




