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2-5.忠誠の行方(Side S)

――……どうやら、怖いようです。

 自身の口から出た言葉の意味を、スタンは未だ測りかねていた。

 真実ではある。色を失うエルシアを想像して、浮かんだのがその感情だったからだ。だが、「ではなぜ」と突き詰めると、自身でも言葉にできない「何か」があった。

 その正体が何か。スタンは自問を繰り返しつつ、王宮の廊下を歩く。眠ったエルシアを置いて、国王の執務室へ報告を上げに行く途中だった。自然と、右手が首筋に伸びる。つい先程まで、痺れのような不快感を感じていたそこに、今は何の障りもない。一撫でし、更に廊下を進んだ。

 見えてきた国王執務室の扉。扉前に立つ衛士がスタンを認識し、頭を下げる。頷き返したスタンは扉を叩いた。名乗りを上げると、直ぐに入室の許可が降りる。

「……失礼します」

 スタンは扉を開け、簡易な礼と共に部屋へ踏み入る。執務中のヴィルヘルムを認め、扉近くで足を止めた。片手を上げたヴィルヘルムが「ちょっと待て」と命じる言葉に従う。

 時計の長針が一周を終える頃、ヴィルヘルムが手にしたペンを机の上に放り出した。椅子の上で伸びをし、スタンへ顔を向ける。

「待たせたな」

「いえ」

「報告か? 来い。こちらで聞く」

 呼ばれて、スタンはヴィルヘルムへ歩み寄った。椅子の背に背中を預けた男が鷹揚に頷く。

「それで? 今日はなんだ? アレがまた何か問題を起こしたか?」

「……いえ」

 スタンは短く答え、自身の騎士服の襟を押し下げた。

「王妃陛下に、死の呪いを解呪していただきました」

「なんだとっ!?」

 椅子の上で跳ねるように身体を起こしたヴィルヘルムが立ち上がる。机越しに身を乗り出し、スタンの首筋に鋭い目を向ける。その目が、大きく見開かれた。

「……信じられん。国中、あれだけ手を尽くして解呪の方法を求めたというのに。こうもあっさり……」

 後退したヴィルヘルムが、倒れ込むようにして椅子に腰を下ろした。もう一度、「信じられん」と繰り返す。額に右手を当てた彼は、そのまま白金の前髪を掻き上げる。右手越しに、赤の瞳がギロリとスタンの首筋を睨めつけた。

「……方法は? 以前に言っていた、聖水か」

「はい。前回より品質の良いものを作っていただきました」

「なるほど、錬金の腕を上げたというわけか。……いや、だが、それにしても……」

 ヴィルヘルムは宙を睨んで考え込む。

「短期間で習得した技術などたかが知れている。ヴァーリックに比べれば児戯に等しい。それでなぜ……」

 赤の瞳が、答えを求めるようにスタンを見つめる。だが、答えを持たないスタンは首を横に振るしかなかった。

「……やはり、帝国の血。アレの持つ魔力が何か関わっているのか?」

 庵の封印さえ容易く解いてしまったエルシア。それが彼女の血筋所以と言われれば、スタンに否定するだけの材料はない。だが、それだけではなかった。

(アレをあの方の『特性』とするには、あまりにも困った話だが……)

 こと、錬金に限り、エルシアの集中力は凄まじいものがある。スタンはそれを身を以て知った。

 一度や二度、扉を叩いたくらいでは気づきもしない。食事は作業をする片手間――なのに、礼と感想はきっちり伝えてくる。夜通し錬金釜を掻き混ぜ続け、「疲れた」と両手を振るくせに、どれだけ止めても休もうとしない。代わりに、自身で作ったポーションを煽る。「まずい」と顔にデカデカと書いたまま、再び釜と睨めっこを始めるのだ。

 恐らく、スタンの声など聞こえていない。その内、存在そのものを忘れてしまう。そうなるともう、スタンにできることは何もなかった。彼女の集中を邪魔せぬよう、息を潜めるのが関の山。青褪めた横顔を前に、成す術なく見守るしか――

「スタン。アレを王宮に戻すぞ」

「……陛下、今なんと?」

 夢想を割く声に、スタンは我に帰って眉根を寄せた。

「戻すというのはどういうことです? 王妃陛下は、今後、庵で生活なさると――」

「形だけでも王妃としての生活を整えさせる。であれば、アレも文句は言えんだろう。帝国に付け入る隙を与えなければ、それで良い」

 言って、ヴィルヘルムは渋い顔をする。

「そもそも、錬金は秘術。ポーションや聖水程度であればまだ、どこぞで身につけることも可能だが、死の呪いを解呪する聖水だと? そんなものが作れ得る人間を野放しにできるか」

 苦々しげな主君の表情。スタンの心が冷える。

(あの方を王宮に? あれほど懸命に願って、漸く抜け出すことができたのに……?)

 それも、エルシアがスタンのために行った錬金のせいで、だ。

 スタンの命を救った聖水が、今、彼女自身を追い詰めていた。

 スタンは小さく息を吸った。

「……お断り申し上げます」

「なに……?」

 ヴィルヘルムが怪訝な表情を浮かべる。スタンは表情を変えず、もう一度繰り返した。

「『お断りする』と申し上げました。王妃陛下を王宮へはお連れしません」

「なっ! 私の命が聞けぬだとっ!? なぜっ……!」

 スタンの拒絶に、ヴィルヘルムは狼狽して声を荒げた。スタンは主君を見つめて静かに告げる。

「王妃陛下の意志を妨げる命は聞けませぬ」

「お前は私の騎士だ! 私の命に背くのであれば――」

「では、今この時より私の忠誠は王妃陛下に。彼の方の専属騎士となりましょう」

「馬鹿な! そんな勝手が許されるかっ!」

 予期せぬ裏切りだったのだろう、ヴィルヘルムの顔がどす黒い赤に染まる。

「貴様、アレに絆されたか!? よもや、惚れたなどと吐かすなよ!」

「いいえ」

 スタンの否定の言葉も、ヴィルヘルムの耳には届かない。怒りの炎を燃え上がらせ、聞くに耐えない言葉を喚き散らす。

「アレを落とせとはいったが、お前が落ちてどうするっ!? 不義を咎めはせんが、アレはお前のものにはならん! 北の塔に幽閉して――」

「陛下。どうぞ、そこまでに」

 スタンは静かに首を横に振る。凪いだ瞳を主君へ向けた。

「……騎士として、私は、王妃陛下は仕えるに値する御方だと感じております」

 冷静な声。ヴィルヘルムは盛大に顔を顰めるが、幾分か落ち着きを取り戻した声で吐き捨てた。

「それは、俺には仕える価値がないと言っているのか?」

「いえ……」

 一度否定を口にして、スタンはピタリと口を閉じた。

(……陛下に仕える価値、意味か)

 先程は、王命に逆らうため、咄嗟にエルシアの騎士となることを宣言した。しかし、それを抜きにして「主君であるヴィルヘルムに仕える意志を持てるか、仕えたいと望むか」を己に問う。

 結果、スタンは首を横に振った。

「そうですね。かつての陛下……、国のために己を滅し、王妃陛下を娶られることを決めたあの頃の陛下であれば、心からお仕えできたでしょう」

 実際、スタンがヴィルヘルムを庇い、死の呪を受けたのも、彼が命を賭すに値する人間だと信じていたからだ。故に、スタンは後悔なく死を受け入れることができた。

 だが、今は――

「……王妃陛下の尊厳を奪い、心を殺した上で成り立つ国の安寧を『当然』となさる陛下にはお仕えできません」

「なにを今更! なぜ、貴様がそこまでアレを気にかける必要がある?」

「仰る通り。安寧を享受し続けた私もまた同罪です。ですが……」

 知ってしまった。エルシアの望み、渇望。見てしまった。心からの笑顔、涙。だから――

「間違った行いを正そうと思います。王妃陛下がこれ以上、犠牲を強いられることのないよう」

「犠牲だと? そもそも、アレが婚姻の横槍を入れなければ――」

「結果もお認めにならないと仰るのですか? 今、陛下の御身の安全が保証されるのは、帝国の後ろ盾あってこそ――」

「うるさいっ!」

 真実を突かれ、ヴィルヘルムが再び声を荒げた。

 彼とて分かっているのだ。周辺国との関係、王位を狙う傍系の血筋。エルシアが嫁いでくるまで、ヴィルヘルムの命は幾度となく脅かされてきた。それは、スタンが一番よく知っている。呪を受けたその時まで、ずっとヴィルヘルムの側にいたのだから。

ヴィルヘルムが、憎々しげに吐き捨てた。

「私を裏切るつもりか? お前をここまで引きたてたのは誰だ。忘れたとは言わさんぞ」

 赤の瞳に、怒りだけではない痛みが映る。

(ヴィルヘルム様……)

 スタンの胸の内に去来する思いがあった。

 確かに、スタンが騎士となれたのは彼のおかげだ。二親を喪い爵位を持たないスタンにあったのは剣の腕のみ。実力だけで伸し上がることの叶わぬ世界で、スタンは従騎士で終わるはずだった。その身を「面白い」と拾い上げてくれたのが、当時王太子であったヴィルヘルムだ。

 スタンは黙って頭を下げ、「もし」と口を開く。

「陛下が私情を捨て、王としてのお立場を第一とするのであれば、私はまだ陛下の騎士であり続けました」

「私は、王たる者の責任を忘れたことなどない」

「であれば、エルシア様はただ一人の妃として正しく遇され、幽閉などという言葉が出てくることはなかったでしょう」

 冷徹な声の響きに、ヴィルヘルムが沈黙する。スタンは頭を下げたまま、決別を口にした。

「この身に呪を受けた時点で陛下への忠義は尽くしました。……どうか、お側を離れる自由をお許しください」

「っ!」

 スタンの願いにグッと言葉を呑み込んだヴィルヘルム。次の瞬間、部屋の外に響く大声を上げた。

「誰かっ! こいつを捕らえろ!」

 緊急を告げる国王の求めに、部屋の扉が音を立てて開かれる。飛び込んできた衛士二人が、部屋の状況――国王の前で頭を下げるスタンに困惑を示した。

 顔を上げたスタンが、ヴィルヘルムを正面に捉える。

「陛下……」

 声に滲む失望を抑えきれなかった。

 諦め、見切りをつけ、そして、決意を口にする。

「陛下。どうぞ、撤回を。御前で血を流す真似はしたくありません」

 おめおめと捕まるつもりはない。己を排し、エルシアを閉じ込めるというのなら、連れて逃げるまで。

 スタンの言葉に、ヴィルヘルムが「クソッ」と悪態をついた。

「なぜだ! なぜ、アレのためにそこまで!」

 奇しくも、スタンがエルシアに抱くのと同じ疑問。「なぜ、他人のためにそこまで」という問いに対し、スタンの胸の内に漠然とした答えが浮かぶ。

「ただ、守りたいだけです。彼の方が彼の方のままでいられる生活をお守りしたい」

 無欲とも違う。それが自分にとって大切で、失われるのが耐え難いものだから、守る。

「陛下、王妃陛下は王宮からの干渉を嫌がります。陛下が手出しなさらなければ、王妃陛下が陛下の御心を煩わすことはないでしょう」

 まして、国に仇なすなど、決してあり得ない。

 スタンの揺るぎない言葉に、ヴィルヘルムの口から重い溜息が落ちた。

「……もういい、行け」

 それを許諾の言葉と受け取って、スタンは頭を下げた。

「ありがとうございます」

 礼を言い、そのまま辞去を告げる。ヴィルヘルムに背を向けて、未だ戸惑った様子の衛士二人の間をすり抜ける。扉を開けて振り返る。退室のための一礼をしたスタンの耳に、どこか寂寥とした声が届いた。

「……勘違いするな。お前は私の騎士だ。今はアレに付けてやるだけのこと」

 スタンは静かに扉を閉じた。


 庵の前庭。その端で、スタンは火を起こし、串に刺した鹿肉を焼いていた。時刻は既に昼過ぎ、未だ目覚める気配のないエルシアを待って、ぼんやりと火を眺める。そうしていると、次々に新たな疑問が湧いてきた。

――ただ、守りたいだけです。

 自身が口にした言葉。あの時はそれが正解で、それ以上を思考することがなかった。だが、これも先の疑問と同じ。突き詰めると「なぜ守りたいのか」という疑問に突き当たる。

 思考の渦にハマりつつ、スタンは鹿肉をひっくり返す。焼けた表面がこちらを向いた。

 不意に、庵の中から慌ただしい音が聞こえた。どうやら、エルシアが目覚めたらしい。階段を駆け下りる気配、近づく足音が勢いそのままに庵の扉を開け放った。

 周囲をキョロキョロと見回したエルシアが、スタンを見つける。途端、不安げだった表情がパッと笑みに変わった。

(っ……!)

 スタンの胸に正体不明の衝撃が走る。が、そんなことを知るよしもないエルシアは、笑顔のままこちらへ駆け寄る。

「わー! なになに? なに焼いてるの? BBQ? BBQ?」

 串に刺さった肉を見つけた彼女が、 嬉しげな声を上げた。

「トマト! トマトも焼こうよ! こんなこともあろうかと、ミニトマトも生産済みだから!」

 言って駆け出したエルシアは、直ぐに小さな籠を片手に戻ってくる。零れ落ちそうになる赤い山を抑え、火の傍にしゃがみ込んだ。

「これ? この棒に刺せばいい?」

 スタンが削って尖らせた木の枝を持ち上げて尋ねる。スタンが頷き返すと、彼女は楽しそうに、一本の串に十個ほどのトマトを次々と刺していった。

「……王妃陛下、それでは全体に火が通りません」

「いいの、いいの。生で問題ないし、雰囲気だよ、雰囲気」

 言って、串の持ち手を地面に突き立てるエルシア。一番下のトマトが地面に触れそうになるのを、四苦八苦して立たせようとしている。そんな彼女を見守りつつ、スタンは「申し訳ありません」と口にする。

「もっとまともな食事を用意したかったのですが……」

 如何せん、庵に入れず、調理道具も手元になかった。まさしく、騎士団で行う野営料理。焼くだけの昼食に、エルシアは「えー?」と楽しげに笑う。

「美味しそうだよ、いいじゃん! 錬金で作った料理は良くも悪くも味が画一だから、ずっとだと飽きちゃうんだよね」

 エルシアは、手にした串を――立てることを諦め――火で炙り出した。

「やっぱり、誰かの手料理って美味しいよね。あったかい」

「……これは、私が作ったことになるのでしょうか?」

「なるよ! スタンが火を起こして、お肉切って、串に刺してくれたでしょ?」

 なんともハードルの低い手料理だ。

 スタンはエルシアをジッと見つめる。表面が温まっただけであろうトマトに齧り付く姿。スタンの視線に、彼女の首が右に傾いだ。

「スタンも食べる?」

 トマトが五つ残った串を「はい」と差し出された。スタンは首を横に振り、代わりに問いを口にする。

「……王妃陛下はこれからもずっと、ここでお過ごしになるつもりですか?」

「ん? 『ここ』って庵のこと? ずっとっていうか『離婚が成立するまでは』って考えてるよ」

 トマトを齧りつつつ、エルシアは至極真面目な顔で答えた。それから「あっ!」と声を上げる。

「え、今のってもしかして、『いつか逃げ出すつもりか?』みたいなそういう牽制とか駆け引き的なアレだった?」

 なんとも答えづらい問いに、スタンは押し黙る。それを勝手に解釈したエルシアがブンブンと首を横に振った。

「ちょっと、止めてよ、スタン。私、そういう空気を読むのすごく下手なんだから」

「申し訳ありません」

 そんな意図はなかったものの、自然と謝罪が口をつく。エルシアが「安心して」と笑顔を浮かべた。

「これでも一応、王国と帝国の友好の架け橋っていう自覚はあるからね。勝手に逃げたりしないよ」

「……もし、陛下が約定を破り、王妃陛下の自由を奪わんとされたら? それでも、お逃げにはならないと?」

「うん! 逃げずに精一杯抵抗する!」

 答えたエルシアの笑顔が苦笑に変わる。

「って言っても、本当は、逃げるのが怖いんだよね。国同士のいざこざになったら責任とれないし。正直、庵に籠城するくらいしかできないかなぁ」

 力のない笑みに、スタンの胸が軋んだ。

 いずれスタンはエルシアから引き離されるだろう。今日のヴィルヘルムの様子からして、少なくとも、そう図られることは間違いない。そうなる前に、彼女の自由を保証するため自ら王の元へ下る。それが、恐らくスタンがとれる――逃げ出せないエルシアを守る――唯一の方法だった。

 だが――

(……嫌、なのか、俺は)

 胸の内で揺らぐ思い。「嫌だ」という意志が、スタンの口を動かす。

「……もし、王妃陛下の護衛に私以外の者が付くとしたら――」

「えっ、スタン、辞めちゃうの!?」

 エルシアが手にしていた焼串をポトリと落とした。幸いなことに、トマトは一つも残っていない。エルシアは串を落としたことにも気づかぬ様子で、勢いこんで尋ねる。

「どうしてっ!? って、やっぱり、それはそうか。『職場、城』と『職場、庵』じゃ全然待遇違うよね」

 自己完結して勢いを失う彼女に、スタンは「いいえ」と答える。

「辞めるつもりはありません。ただ――」

「そうなの!? ってことは、あ! ひょっとして交代要員の話? 確かに、王城から遠いし、スタン一人じゃ何かと大変だよね」

 エルシアは「そっかそっか」と嬉しそうに頷く。しかし、直ぐに、表情を変えて下を向く。目に入ったのか、串を拾い上げ、その先で地面にグルグルと丸を描きだした。

「……王妃陛下?」

「交代要員ねぇ。まぁ、正直、歓迎はできないけど、我慢はするよ」

「我慢、ですか……?」

 エルシアの口からため息が零れる。

「スタンはさ、なんだかんだ、一年以上わたしの傍にいてくれたし、嫌なことしたり言ったりしなかったじゃない?」

「それは……」

 「当然のことでは?」という言葉を、スタンは飲み込む。エルシアが、聞えよがしに「あーあ」と呟いた。

「他の人はみんな、私を嫌って邪険にしてたからなぁ。正直、好きにはなれないよ」

「そう、ですか……」

 それ以上、どう答えればいいのか分からない。どんな顔をしたらいいのかも。

 沈黙したスタンに、エルシアが「ん?」と首を捻る。

「あ、ごめん、ひょっとして、今の気にしちゃった? 大丈夫だよ。言ったでしょ、我慢するって」

「いえ……」

「いやいや。その『いえ……』は何かある、『いえ』だよ。何の含み? え、もしかして、交代要員と言いつつ、本当はフェードアウトする気じゃないよね? 私のお守りが嫌になってとか……」

 エルシアが「ヤバい」と呟く。

「身に覚えがありすぎる。薪割らせてるし、お遣い行かせたし、あ、鹿も」

「私の意志で辞めるつもりはありません」

 彼女の疑心暗鬼を断ち切る。スタンは「むしろ」と続けた。

「陛下に、王妃陛下の専属騎士となれるよう願い出ました」

「えっ!?」

 紫の瞳が大きく見開かれ、陽光に煌めく。アメジストの輝きが、キュッと細く弧を描いた。エルシアの口から喜びの声が上がる。

「本当? スタンもここでの生活気に入ってくれてたんだ?」

「……そう、ですね」

 見当外れのエルシアの問い。専属騎士はあくまで彼女の護衛のため。自身の生活のためではなかった。だが、無意識に肯定してから気付く。

(確かに、ここでの生活も嫌ではない、か……)

 自覚して、スタンの口元が緩んだ。途端、エルシアが「ヒャッ」と悲鳴のような声を上げ、顔を両手で覆う。

「王妃陛下?」

「寡黙真面目系騎士の不意打ち笑顔。ゴチです」

 手で隠せていない両の耳が赤い。指の隙間から、思案げな瞳がスタンを覗く。

「気に入ってるのに、『他の人を護衛に』ってことは、陛下に専属騎士は駄目だって言われたの?」

 不意に本筋を捉えるエルシアの問いに、スタンは思わず答えに詰まる。その一瞬の迷いを、彼女は見逃さない。

「もう、ここまで言ったなら全部言ってよ。私とスタンの仲じゃない。どうしたらいいか一緒に考えよう!」

 顔を覆う両手を外し、力強く頷くエルシア。釣られて、スタンの口が開いた。

「……私は、それなりに剣の腕がたちます」

「だよね、そんな気はしてた! ああ。だから、陛下が手放したがらないんだ?」

「裏切りを警戒されているのでしょう。脅威には成り得ますので」

「強いってのも大変なんだねぇ」

 エルシアが「うん、うん」と頷く。それから、「分かった!」と笑顔を見せた。

「私が陛下に直談判するよ!」

「直談判……、王妃陛下がですか?」

「うん! 今のとこ、『二度とその面見せるな』同士だけどさ、スタンを護衛にもらうためなら、もう一回くらい乗り込みかけるよ!」

 そんな事態になれば、エルシアは容易く捕らえられるだろう。今度こそ、王宮から出ることは叶わなくなる。ならばやはり――

「……お気持ちだけいただいておきます」

 答えたスタンに、エルシアが「駄目!」と否定を口にする。

「諦めるのは駄目! スタン、今、諦めようとしてるでしょ? それは駄目!」

「……そのようなつもりは――」

「やりたいことがあるなら、ちゃんとやろう! でないと、絶対、後悔する」

 エルシアが、睨むような目でスタンを見上げる。

「折角、呪いがなくなったんだから。今なら、『あれをしておけばよかった、これをしておけばよかった』じゃなくて、『あれもできる、これもできる』なんだよ?」

「それは……」

「あと、私が個人的にスタンに諦めてほしくない。手助けくらいはできる。……いや、ごめん、具体策はないんだけど」

 言って、エルシアは焦ったように「ちょっと待って」と片手を上げて制す。

「だ、大丈夫! 時間くれれば思いつく、はずだから! ほら、急にはね? さっきまでBBQのことしか考えてなかった脳内だから!」

 絞まらない言葉だが、スタンは自身の緊張が溶けていくのを感じた。

「……ありがとうございます」

「わー! 止めて、止めて! ここでお礼を言われると、罪悪感が。プレッシャーが……!」

 更なる焦りを見せるエルシアに、スタンの肩から完全に力が抜けた。解決策の糸口さえ掴めていないのに、なぜか、「なんとかなるだろう」という漠とした思いが湧いてくる。

(……良くない影響だな)

 エルシアの――故意か自然か――気の抜けた言動を受け入れてしまっている。もっと言うなら、それに救われ、心地よいとさえ感じている。そんな自分に気づき、スタンは初めて見る目でエルシアを見た。

 巫山戯た言動の裏で、自らの手で自由を掴み、スタンの命を救った女性。

 不意に、ヴィルヘルムの叱責が蘇る。

――よもや、惚れたなどと吐かすなよ!

 あの時の見当違いの責めに、今この瞬間、己は「否」と答えられるか。

 スタンの胸に、甘く苦い予兆が蠢いた。


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