プロローグ
「お待たせいたしました、王妃様。ロング産フォアグラのテリーヌ、妖精さんの悪戯仕立てでございます」
「……え?」
王宮の食堂。自分一人がポツンと座る長机の一角で、エルシアの世界が弾けた。
「『妖精さんの悪戯』……?」
ふざけた言葉。澄ました顔で給仕する男の目に底意地の悪い光が見える。自身に対する侮蔑だと理解するが、それはいつものこと。それよりも、エルシアは正体不明の既視感に気を取られた。
給仕の男が、料理を覆うクロッシュを徐に持ち上げる。
「ええ。こちらが、妖精さんの悪戯仕立でございます」
「なっ!?」
エルシアは息を呑む。中から現れたのは、白磁の皿に載せられた黒い塊。焼け焦げて炭化したそれは、元がフォアグラであるかどうかも怪しい代物だった。
皿の上を凝視するエルシアに、周囲の人間――給仕係の間から忍び笑いが漏れる。エルシアは震える指先で唇を押さえた。そうしなければ、叫んでしまいそうだったから。
(お、思い出したー!!)
明らかな失敗作につけられる、「妖精さんの悪戯」というアホなネーミング。それをどこで知ったか。
(ゲームだ! ゲーム、ゲーム、錬金ゲーム!)
そこでハタと気付く。
(ゲームってなんだ!? そんなのこの世界にない! 錬金だって……)
「あっ!」
菫色の目を見開いてエルシアは勢いよく立ち上がる。弾みで椅子が倒れ、ガンと大きな音を立てた。
「お、王妃様……?」
予期せぬエルシアの反応に、給仕が焦った様子で声を掛ける。が、エルシアの意識に男は映らない。
(ある! この世界には錬金術がある。それに、この国の名前……!)
記号でしかなかった国名に、たった今、新たな意味が生まれた。
自身の予感を確かめるため、エルシアは食堂をグルリと見回す。目の前の男以外にも二人の女性と三人の男性が壁際に立ち、様子を窺っていた。いつもの無表情や嘲笑ではなく、焦ったような気まずげな顔でエルシア――ハバスト王国王妃を見ている。
だが、そこにエルシアを案じる気配はなく、ただただ困惑しているだけ。
(うん。無理だね)
この場にエルシアの味方は一人もいない。彼らに答えを求める気にはならなかった。
再び室内を見回したエルシアは、背後を振り返る。大きなガラス扉は中庭に面しており、陽の光が降り注いでいた。中庭の向こうに物見塔を見つけ、天啓が下りる。
(アレだ!)
閃くと同時、エルシアは駆け出す。その一瞬は、礼儀作法のことなど完全に頭から飛んでいた。「王妃様!」と呼ぶ声が聞こえたが、足は止まらない。
中庭を駆け抜けて辿り着いた物見塔を、勢いのままに駆け上る。何十段とある石の階段を、重いドレスを引きずって上へ上へと進んだ。
(くー、運動不足……!)
呼吸が荒くなり、肺と心臓、おまけに頭が痛くなる。それでもエルシアは足を止めなかった。「もしかしたら」という期待が、疲れと痛みを鈍らせる。
「……あ!」
階段の先、光が見えた。塔の天辺を確信して、ラストスパートをかける。
「っ! うっわー!!」
最後の一歩を踏み出したエルシアは、思わず歓声を上げた。
ビルの四階ほどの高さ、十畳ほどの広さから見下ろす景色。それはまさにエルシアが思い描いたものだった。城から続く道の先に広がる王都は、記憶にある配色通りに特徴的な建物が並んでいる。
もっとよく見ようと、エルシアは四辺を囲う石壁の一つに近づいた。不意に横風が吹き、下ろしたままの髪が攫われる。癖のない空色の流れを手で押さえ、エルシアは背後を振り返った。そこには、王城の背を守るようにして青々とした森が広がっている。緑の中にポツンと一つ交ざる異色を見つけ、エルシアは確信した。
「やっぱりそうだ……!」
もう間違いない。自分は今、アプリゲーム『アルケミストライフ』の中にいる。
背後で、大聖堂の鐘が鳴った。エルシアの口から抑えきれない哄笑が溢れ出す。