迷鬼 1
屋敷での日々が戻って来た。
黒埜は再び離れに籠って姿を見せず、銀狐は嬉々としてきぬの飯を食べ、百花は美しく着飾っては離れのそばを行ったり来たり、ひなは相も変わらず掃除に水やりにと忙しない。
加賀屋の事件が終わって、十日ばかりたったある日。
ひなが門前で打ち水をしていると、与吉と六助がそろって出てきた。
いつかと同じ場面である。
もちろん、もう誰も固まったりはしない。
「お出かけですか」
同じように声をかけると、珍しく与吉が前に出て「ああ」と答えた。
「黒埜様のお遣いですか?」
「そうなんです」
今度は六助がちょっと前に出て言った。すると、与吉はむっとした顔になる。
「きっとおひなさんのお役に立ちますよ」
「……私の、ですか?」
「ええ」
「どんな……?」
「まだ秘密です」
六助はにこりと笑った。元々目の細い、やわらかい顔つきの男だ。笑うとさらにやさしげである。
「な、与吉」
「…………」
「おい、与吉?」
「ええい、とっとと行くぞ!」
与吉が急に怒鳴るので、ひなも六助も吃驚してしまう。
与吉はふんと鼻を鳴らすと、こちらに背を向けてずんずん先へ行ってしまった。「え、な、なんだよ」六助が慌てて後を追いかける。「なんでぃお前。この前は口もきけなかった癖に……」「うううるさい!」ぎゃあぎゃあ言い合いながら遠ざかる二人の背中を、ひなは首をかしげながら見送る。
──私の役に……立つ?
黒埜の用事ではなかったのか。
気になるが、二人を追いかけるわけにいかないし、黒埜に聞いて答えてくれるとも思えない。
ひなはあっさりと追及をあきらめた。
次は草むしりでもしようかと思って庭に入ると、
「おひなちゃーーーーん」
弾けるような明るい声。
見れば、銀狐と百花が縁側に座っている。
銀狐は十かそこらの子供の姿で、短い足をぱたぱたさせていた。もはやその変わり身に驚くことはない。
「お団子買って来たから一緒に食べよっ!」
「はあ……またですか」
苦笑する。
加賀屋を訪れる前に寄った団子屋がずいぶん気に入ったらしい。二日に一度はそこの団子を買ってくる。「甘いものばっかり食べるんじゃありません」と、つい昨日きぬに叱られたばかりだと思ったが。
「あたいは団子より羊羹がいいって言ったのに……」
「百花のために買ってんじゃないやい。うわ、とか言いつつもう三つも食べてらぁ」
「何よ。狐の分際で細かいわね」
百花は不機嫌そうにつんと顔を逸らす。
というより、拗ねているようだ。
「また夜一郎に邪魔だとか何とか言われたんだろ。それでおいらに八つ当たりしてんだ」
「そ、そんなことないよ」
「今、図星って顔したじゃないか!」
「違うって言ってるだろ。夜一郎様のお体の具合が悪いの。あたいはそれが心配で心配で……。あんたがついておきながら、夜一郎様に怪我させるなんて」
「怪我って、たかが打ち身じゃないか。おいらなんか血ィ吐いたんだぜ? おひなちゃんがかばってくれなきゃ今頃は……」
「夜一郎様は繊細な御方なのよ。あんたみたいな化けもンと一緒にしないどくれ」
「ひどいっ。百花がひどいよぅ、おひなちゃん!」
銀狐がわぁっと庭に飛び出してひなに泣きつく。
「あんた、そうやって抱きつきたいだけでしょ……?」
百花があきれているところに、
「これ、銀坊!」
茶を運んできたきぬがびしっと叱りつける。
「裸足で庭に出るんじゃありません。あと、おひなさんにちょっかい出すのはおよし!」
「わぁぁん、みんな冷たいよぅぅぅ!」
泣き喚く銀狐をひながよしよしと慰め、ひとまず落ち着いたところで、四人そろって茶を飲むことになった。
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WEBTOONコミック版→https://www.cmoa.jp/title/270928/