首は躍る 12
一瞬のことであった。
黒埜が右手を左手の傷口に差し込んだかと思うと、そこからずるりと刀を引き出した。
黒い炎をまとった漆黒の刀。
腕の中から引き出したそれを、素振りでもするように軽く振る。
トン──
そんな軽い音と共に。
にぃと笑った夕の首が、飛んだ。
「わぁぁぁあ!」
宗右衛門が悲鳴を上げ、ひなもまた息を呑む。
女の白い首がくるくると宙を舞った。
──その首が。
みるみる、大きくなる。
あっという間に身の丈ほどの大きさになると、巨大な首はカッと目を見開いた。恐ろしく大きな目に、耳まで裂けた口からは鋭い牙をむき出し、眉間にこぶをつくって憤怒の形相を浮かべている。
宗右衛門も善三もこの世の終わりを見たように絶叫し、腰を抜かして畳のうえをのたくった。
大首はぐるりと全員をねめつけると、黒埜に向かって毒々しい色の煙を吐き出した。黒埜は着物の袖で顔を覆って部屋の隅まで後退する。
その隙に首は別の方向へ飛んだ。
巨大な毬の如く跳ね、縁側に続く襖へ向かう。
「逃がすかよッ」
叫んだのは銀狐だ。
それに呼応するように、襖からぐにゃりと紋様が浮き上がった。襖だけではない。床の間の墨絵からは大波が、飾り扇子からは桔梗が、壁際の屏風からは大虎がそれぞれ浮き上がり、首を取り囲む。
「天紋羈束!」
銀狐の掛け声を合図に、浮き上がったものたちが一斉に化け物に貼りついた。紋様がひとつなぎになり、ギュッと輪を狭めて絞り上げる。巨大な首は縛られながらぶるぶる震え、もがくように床を跳ね回った。
そこへ黒埜が飛び出す。
漆黒の刀を薙ぎ払い、巨大な顔面を斜めに裂く。大きな目からどろりと血がこぼれ、さらに振り下ろす刀で耳を半ばまでそぎ落とした。
「ギィイアァァァァアアァァ!!」
途端、すさまじい絶叫が轟いた。
部屋全体が軋む。耳を突き抜け頭を揺さぶる。
黒埜を除く全員がくらりとしたようにのけ反り、黒埜もまた動きを止めた。
首はなおも絶叫しながら──
跳ぶ。
「……いっ!?」
銀狐は目を見張った。
何か唱えようとするも間に合わない。抱えていたひなを突き飛ばすと同時、巨大な首と激突する。
水袋を叩くような鈍い音がして、吹き飛んだ銀狐の体は襖を突き破って外へ飛び出した。
「銀狐さん!」
反射的に、ひなは庭へ走り出る。
転がる首に黒埜が猛然と切りかかった。
貼りついた紋様を振り払った首は、牙を剥きながら振り返る。
黒埜が刀を振りかぶった瞬間にぐんと距離を詰め、一気に土壁と己の間で押しつぶした。間を置かず何度も何度も、執拗に叩きつぶす。黒埜の手から刀がこぼれ──
「あぁぁぁあぁぁ」
そんな光景を目の当たりにしながら、宗右衛門は頭を抱えて喚いた。
これは真に現実なのかと、錯乱する頭の隅で問いかける。
こんな、こんな、こんな、こんな──
こんなものが。本当に。まさか──
すでに隣の善三は泡を吹いて気を失っている。
「やめてくれ、お夕ぅぅッ」
うわ言のように叫んだ、そのとき。
首がぴたりと動きを止めた。
ゆっくり宗右衛門を振り返る。
「あ」
口を押さえて固まった。
己は一体──何を。
こんなものが妻であるはずがない。
それなのに、何を呼んでしまったのか──
「宗右衛門様……」
声は元のやさしいままだった。
恐怖を通り越し、宗右衛門の口はひくひくと歪に笑った。
──ああ。殺される。
「宗右衛門様……」
だが。
「銀狐さん!」
甲高い女の叫びに、巨大な目がぐいと逸れる。
「銀狐さん……!」
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