首は躍る 11
「お、お待ちください」
夕は胸の前で両手を抱き合わせ、激しくかぶりを振った。
「このような者の言葉を信じるのですか……? そのうえ私を、ば、化け物と?」
「お夕……」
「あん、あんまりで、ございます……!」
怯えて取り乱す妻を見て、宗右衛門は我に返ったように目を剥いた。
「そ、そうだ。あんまりですよ。そんな話をどうやって信じろと言うんです」
「……我々が信用できないと」
「と、とてもじゃないが信じられん。私の弟だかが、妖怪を倒そうとして死んだだと? ゆきは私の娘ではないだと? しまいに、妻が化け物だと云うのかッ」
「そうです。そいつは人の悲しみにつけ込む妖魔です。誠二郎殿は、最愛の妻を失った悲しみにつけ込まれた。そして宗右衛門殿は」
「いい加減にしてくれ!」
宗右衛門が顔を赤くして怒鳴った。
そこへ──
「旦那様!」
背後の襖が開き、一人の男が駆けこんできた。
番頭の善三である。
「……お前、なぜ」
「旦那様! 今の話はすべて真実でございます!」
「な……何を」
「すべて、私がこの方々に申し上げたのです。一から十まで、すべて……! あの火事があった場所に、私もおりました。あのとき私は旦那様にお供していたんです。どうしてあんなことを忘れていたのか、あんな、酷いことを……!」
「やめろ! でたらめを言うな!」
「でたらめではございません! 私は十の年よりここのお世話になっております。三十年、加賀屋と共に生きてまいりました。先代様は実の親のように、旦那様は実の兄のように、私に接してくださった……!」
畳のうえで両の拳を力いっぱい握りしめながら、善三は涙を流していた。
「私は、今も……家族のように思っております。そんな私の言葉でも、信じてはいただけませぬか!」
「…………」
「どうか、目をお覚ましください! このままでは加賀屋が駄目になってしまう!」
宗右衛門は言葉を失って、泣き崩れる善三を見た。
それから落ち着いた目をした黒埜を。
眉間にしわを寄せた銀狐を。
唇を噛みしめたひなを。
そして──
夕を。
「宗右衛門様……」
妻が怯えた顔で呟いた。
妻の顔。
その顔は。
母の若かりし頃に、よく似ている──
「あ、あ、あ」
宗右衛門は口を開けたり閉じたりしながら、尻もちをつくように夕から遠ざかった。
黒埜がすくりと立ち上がる。
「全員、今すぐ部屋を出ろ」
善三が泣きながら腰を抜かした主人を引きずった。ひなもまた立ち上がる力を失っており、銀狐に後ろから抱えられる。
これから何が起きるのか──
ひなにはわからなかった。
「おい、お前」
黒埜は低く言って、握っていた左手を開いた。
そこに炎が──暗い炎が揺らめいている。
取り残された夕は、正座したままぴくりとも動かなかった。
いつの間にか怯えた表情が消えている。
その顔は、のっぺりとした無表情。
肌は能の面のように白い。真っ白である。
「覚悟はできているな」
黒埜の言葉に、能面の口はたちまち裂け──
笑った。
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