首は躍る 10
そう言って、黒埜は静かに口をつぐんだ。
しばらくの間、誰ひとりとして口を開かなかった。
ひなは圧倒されて息すらできなかった。
脳裏にあの光景──燃え盛る炎、女の悲痛な声、血に濡れた刃、炎の向こうで叫んでいた男──そのひとつひとつがはっきりと浮かんだ。
「……おわかりかと思いますが」
長い沈黙の末。
黒埜は宗右衛門をまっすぐに見据えて言った。
「兄は宗右衛門殿、弟は誠二郎殿でございます」
宗右衛門の顔にはびっしりと汗が浮いている。
ぽたり、とその汗が一粒、着物の膝に落ちた。
「どうです。思い出されましたか」
「…………」
「その後、宗右衛門殿は誠二郎殿の娘を引き取られました。娘、おゆきさんは宗右衛門殿にとって……弟に託された忘れ形見」
「…………何を」
何を──言っている──
宗右衛門は震える声で呻いた。
「ゆきは……私の娘だ」
「いいえ。誠二郎と美代の娘です」
「違う………わ、私と」
「私と?」
「前の……妻の……」
「宗右衛門殿」
黒埜は厳しい声を放った。
「あなたに前の妻などおりません」
どん、と拳で畳を突く。
宗右衛門は大きな体をびくりと震わせた。
「あなたはつい二月前まで、ずっと独り身だった。そうでしょう」
「そんな──そんなはずは」
あの奥の間に、と宗右衛門は口走る。両目があわただしく揺れ動いた。
「そうだ、あの奥の間で、前の妻が──」
裁縫を。
行燈を持ち込んで。
その後ろ姿を。
今も──
「あれは…………」
ぽたりと、その頬を涙のように汗が流れ落ちる。
「…………母、か」
呆然と呟く。
宗右衛門はわななく手で顔を覆った。
酷い──
ひなは唇を噛む。
あやかしによって消された誠二郎の記憶。そのうえ、嘘の記憶を塗り重ねられたのだ。
これが──こんなことが──あっていいのか。
あやかしに人生を奪われたも同然ではないか。
「こうなると、答えはもうおわかりでしょう」
黒埜の言葉に、宗右衛門はふらつく目を上げた。
「何を……」
「あやかしの正体です」
「正体……?」
「ええ。誠二郎殿と同じです。この怪異は、一体いつから始まりましたか?」
「いつから………」
ふらふらと。
隣を見る。
お夕。
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