首は躍る 8
「相手は幼馴染の美代という女でした。なんでも弟が酒浸りになっているところに美代が訪ねてきて、大声で活を入れたのがきっかけらしい。ずいぶん勝気な女だったようですが、弟はそこに惚れ込んだ」
「おいらもそういう女、嫌いじゃねぇなぁ」
「すっぱり酒をやめる、博打も何もかもみんなやめる、だから添い遂げてくれと頼みに頼み込んで、弟はついに美代と夫婦になった。それ以来、人が変わったようにまじめになったそうです。
その姿を見て安心したのか、染物屋の主人がまもなくぽっくり逝って、弟は店を継ぐことになりました。このとき、やはり商いの大変さを味わったんでしょう。自分はなんと甘っちょろい人間だったのかと。
それで弟は兄の店へ飛んで行って、自分の借りていた金をそっくり返した。そのうえ床に額をこすりながら、兄に謝り倒したんです。元より縁を切ると喚いていたのは弟で、兄にそんなつもりは微塵もありませんでしたので、こうして兄弟の仲は元通りになったというわけです」
「これでめでたしめでたし……と。こうなればよかったんだけどねぇ」
そこで一旦間が置かれた。
すっかり聞き入っていたひなは、目をぱちぱちさせて黒埜を見る。
顔つきはいつもの通り涼しげだが──
まさかこんなに饒舌な男だったとは。まるで役者のようだ。
「そ……それで?」
早く続きが聞きたくて、ひなは思わず促していた。
黒埜は一瞬あきれたように目を細めたが、すぐ表情を戻し、滑らかな口調で語り出す。
「それで万事めでたしというわけにはまいりませんでした。
まず、呉服問屋の両親が続けて死んでしまいます。兄弟は大いに悲しみましたが、それだけでは終わらず、今度は弟が何よりも大切にしていた妻──あの美代が、娘を産んで一年ほどであっけなく死んでしまったのです。
弟はあまりのことに、抜け殻のようになってしまった。兄がどんなに励ましても泣くばかり。美代の忘れ形見である幼い娘を抱くときだけは、やさしく笑うんですが、それ以外はもう死人と変わらぬ様子だったとか」
「そのくらい惚れていたんだねぇ」
「染物屋の母は大層心配して、あれこれ新しい縁談を持っていったりもしたんですが、そんなものには目もくれない。お美代お美代と仏壇の前で泣くばかり。どうしたものかと店の者も困り果てているところに……女が現れた」
「それがお美代にそっくりの」
「そう、死んだ妻にそっくりの女だったんです」
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