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首は躍る 3




 善三はひどく酔っていた。

 仕事終わりに寄る、馴染みの居酒屋である。すでに銚子を三つは空けていた。

酒は強いほうではない。以前なら銚子一本も飲めば満足して帰った。それがこのところ、四五本飲まねば気が済まない。もうよしたらどうだいと、店の亭主に心配される始末である。



「いいからもう一本くれ」



 善三は唸った。

 亭主は困り顔で新しい銚子を持ってくる。それを奪うようにして、御猪口にあふれるほどそそいで一気にあおる。そして。

 まだ思い出さんか──と自分に問う。

 まだ──



「何を思い出したいんだい?」



 急に女の声がして、善三はぎゅうと閉じていた目を開けた。

 いつの間にやら──

 向かいに女が座っている。

 それが。

 なんとも艶っぽい女ではないか。

 猫のような大きな目に、涙黒子。華々しく結った髪と、それに負けぬほど艶めいた顔立ち。襟をちょいと緩めた着物は──善三の好きな藍色だ。こんな垢ぬけた別嬪が、小汚い居酒屋の卓に片肘つき、小さな頭をかしげて善三を見つめている。

 善三はごくりと唾を飲んだ。

 天女のような、という言葉があるが。

 目の前の女はそれとまったく違う。

 男の根本的な欲望をくすぐる──

 魔性である。



「な、何だ。あんたは……」



 ようやく開いた口から、酒でかすれた声が漏れた。

 何でもないよぅ、と女は返す。ぞっとするほど色っぽい声である。



「でも、一人で飲んでもつまらないじゃないか」



 一緒に飲んでもいいかい、と聞いてくる。

 耳を疑った。

 こんなことがあるだろうか。

 目の前にいるのは、花魁もかくやというほど上玉の、とびきり色っぽい女なのだ。それが自分のような風采の上がらない男を誘うだろうか。

 善三はそれほど色に通じた男ではない。だが、わかる。

 この女に誘われて──断れる男はいない。



「黙っているってことはさ、構わないってことだよね」



 女は悪戯っぽく笑う。

 善三はただうなずいた。



「それで」



 何を思い出したいの──

 ため息つくように再び問われた。

 そうだ、自分は。



「何かを……」



 ぼんやりした頭で考える。

 何かを思い出さねばならない。



「なんだい。すっかり忘れちまったの?」


「ああ……そうなんだ」



 それで酒を飲んでいるのだ。

 毎日、毎日。

 強くもないのに。

 女はクスクスと、小さな鈴を弄ぶような声で笑った。



「なんだい、それ。酒を飲んだら、思い出すんじゃなくて忘れちまうんだよぅ」


「そうかもなぁ……」



 だが。

 そうではない。

 時折、飲んでいる最中にはっとすることがあるのだ。記憶のかけらがカツンと引っかかる。が、すぐに流れていってしまう。

 それが気になって気になって──

 だから酒を飲む。



「そんなに大事なことなの?」


「ああ……たぶん」


「ふぅん。あたいもね、大事な人を探しているのさ」


「人?」


「そう。生き別れの弟でね……」



 誠二郎っていうんだよ。




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