誰そ彼 7
この家は狂っている。
いや、狂わされている。
逃げるように縁側へ転げ出た宗右衛門のもとに夕が駆けつけるのを待ってから、ひなは奥の間へ飛んで行った。悔しさとも憤りともつかぬ感情がぐるぐると身の内を渦巻いていた。
「誠二郎様!」
部屋に飛び込み、叫ぶ。
誠二郎様。
なぜ、何故。家を狂わせるのですか。
あなたは宗右衛門様の──
ご家族ではありませんか。
何度も何度も、声が枯れるほど呼び続けた。
誠二郎は応えない。
やがて日は暮れ、奥の間を闇が飲み込んでいく。いつしかひなは呆然と坐していた。行燈に火を灯す気力すらない。
──私に、何ができましょう……。
あやかしの伽などと言われても。こんなにも無力ではないか。
いや。
自分にも何かできると──思ったのか。
「すみません……」
顔を覆い、誰にともなく呟いた。
ああ。また謝っている。それで楽になろうとしている。
百花に叱られたとき、ひなはどこかうれしかった。きっと自分自身、卑屈な己に飽いていたのだ。弱い者は嫌いだと、はっきり言ってのける姿は美しかった。
誰に何を言われようとも。
花婿は、私が殺したんじゃない──
そう言って凛と、強くいられたらどんなによかったか。
「ひな」
声がした。
「ひな、おひな」
誠二郎ではない。
稚い童の声。
なぜ、ここに。
「おひな」
廊下からだ。
──なぜ。
考える間もなく、滑るように奥の間を出ていた。
「おひな」
遠ざかる声を追って、縁側を小走りに駆ける。外は雨が降り出していた。薄暗い庭は湿った草の匂いで満ち、しとしと寂しい音がこだましている。
「あっ」
着物の裾に足を取られた。突っ伏すように転がり、したたかに肘を打つ。じぃんと痺れる腕を抱えながら、あえぐように息を吸う。
待って。
顔を上げると、曲がり角が見えた。きっとそこを曲がれば、いる。
よろよろ起き上がると、
「おひなさん……」
背後から声がした。
今度は女の声だ。
──お夕さん。
振り返ると、廊下は闇に沈んでいた。その暗がりの奥に、夕の白い顔が浮かんで見えるような。いや、やっぱり何も見えないような。
「おひなさん、ちょっとこちらへ」
闇の中から声がする。
宗右衛門に何かあったのだろうか。
行かなくては──
頭ではそう思うのに、体は曲がり角の先へ向かおうとする。
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