誰そ彼 2
だが、結局──
その夜は何も起こらなかった。
暗闇に向かって「出てきてください」と呼んでみたものの、今度はうんともすんともない。
真夜中を過ぎても状況は変わらず、前日の疲れもあってか、いつの間にか眠りこんでいた。次に目を開けたときにはすっかり朝だ。
隣室を覗くと、ひっくり返って眠りこける銀狐。そして座禅を組んで目の下を真っ黒にした黒埜の姿があった。
「…………出なかったな」
「はい」
申し訳ない気持ちになる。
前の晩に決着がついていれば、こんなことにはならなかったのだ。
「別の方法を考えるしかない」
うつろな目をこすりながら、黒埜は苦々しく言った。
「これだから……霊に情けをかけるとろくなことにならないんだ。お前のような伽は特にな。下手をすれば執着されて、一生まとわりつかれるぞ」
「……はい」
「一度やってしまったものは取り返しがつかん。依頼人の娘が今日明日に死ぬようなことがあれば、お前にも責任がある。……わかっているな」
ズキンと胸が痛んだ。
生気の抜けたゆきの顔を思い出す。自分は取り返しのつかない愚を犯したのだ。
──ああ。
ひなはその場にへたり込みそうになった。
そんなつもりはなかった、では済まされない。なぜあんなことをしたのだろう。悔やんでも悔やみきれない。
どうすれば。
「私に……できることはありませんか」
床に手をつき、黒埜の顔を覗き込む。
何もせずにはいられなかった。
「なくはない」
「どんなことでもします」
「……言ったな?」
黒埜の口にわずかな笑みが浮かんだ。
ひなは少しだけ怯んだが、すぐにきっぱりとうなずく。
黒埜は「わかった」と言って、それからそばの銀狐を拳で小突いた。
「いでっ」
「早く起きろ」
「………ん? うぅん。なんだ、もう朝か」
「もう朝か?」
「うぅ、ごめんよぅ、夜一郎。おいら反省してるよ」
「お前の反省ほど信用ならんものはないな」
「でも、何も出なかっただろう? 気配を感じたらすぐ飛び起きたって」
「どうだろうな」
「で、今日はどうするんだい?」
「一度屋敷に戻る。調べたいことがあるからな」
ふわぁぁと大あくびする銀狐の顔は、昨夜よりも若々しい。またもや風貌が変わっているようだ。きぬに引きずられていったときほどの変化ではないが。
黒埜は再びひなを見た。
「お前はここに残れ」
「え」
立ち上がろうとしていたひなは、中途半端な姿勢で固まる。
「ここに……ですか。でも、あの、何をすれば」
「お前にできることはひとつしかないだろう」
「私に」
それは──
「一度情けをかけたんだ」
黒埜は冷たい声で呟く。
「もう取り返しがつかない。ならば、逆に利用するべきだ。少なくともあの晩、霊は娘ではなくお前のところへ来ただろう」
あやかしの伽に──惹きつけられた。
「だから今度もその次も、お前のほうを選ばせろ」
「選ばせる……?」
「ああ」
「どのように?」
「たぶらかせ」
「た、たぶ……?」
「思いつく限りのことをしてみろ」
ひなは困惑した。
人ではないものをたぶらかすなど想像もつかない。そもそも、普通の男にだってそんな経験はないというのに。
「夜一郎、いくらなんでもさぁ」
代わりに抗議しようとした銀狐は、しかしきょとんとした。
その口に小さな指が当てられている。
「大丈夫です、銀狐さん」
そっと指を離し、ひなは言う。
やれるかどうかわからない。
けれど──
やるしかない。
「黒埜様。それがうまくいけば……おゆきさんは」
「助かる」
黒埜はいともあっさりうなずいた。
「そのときは娘ではなく──」
黒い眼がひなを射抜いた。
「お前に憑いているはずだからな」
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