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誰そ彼 1




「誠二郎ぅ?」



 ひなが見たものを語ると、銀狐は素っ頓狂な声を上げた。

 女の叫び声。燃え盛る炎。赤く濡れた刃。揺らめく男の顔。

 無論、すべては幻である。

 尋常ならざる存在を前にして恐怖のあまり、ありもしない妄想にとらわれた。そう言われても仕方がない。

 ただひとつ。



「宗右衛門殿……か」



 気になるのは、炎の向こうに見えた顔が加賀屋の主人たる宗右衛門であったことだ。



「誠二郎ってェのは、あの青白いお兄さんの名前かい?」


「わかりません。ただ、女の人がそう叫んでおりました。それから炎の向こうの宗右衛門様も……誠二郎、と」


「うーん。なんだろうねぇ。仮にあの幽霊が誠二郎としてだよ。そいつと宗右衛門はどういう間柄なのさ?」


「そ、それは……」



 わからない。

 幻自体は鮮明だったが、肝心の内容が断片的なのだ。



「過去視という可能性はあるな」



 ぽつりと呟いたのは黒埜だ。



「過去視……?」


「お前は霊に触れられた。そのとき、霊の持つ強い思念や記憶が流れ込んだのかもしれない。口寄せ屋は自らそうしたものを取りこみ、霊の言葉を語るらしいからな。お前に口寄せの素質があったとして、霊の記憶──過去を垣間見た可能性はある」



 そいつはすげぇ、と銀狐は目を輝かせる。



「ってことはだよ、やっぱりあの男は誠二郎だ。死してなお宗右衛門殿に深い恨みがあんのさ。だが本人を祟ったくらいじゃおさまらねぇ。可愛い娘に取り憑いて、それで復讐を成し遂げようと」


「決めつけるにはまだ早い」


「だけどさ」


「あの」



 ひながおずおずと呟く。



「ご本人に聞いてみるのが、一番早いのではないでしょうか……?」


「そりゃそうだ」



 銀狐はぽんと膝を打った。

 それで翌朝、宗右衛門に直接尋ねたのだが。



「誠二郎……知りませんな」



 なんとも当てが外れた。

 聞き覚えすらないという。

 ついでに火事についても尋ねたが、それも記憶になかった。小火程度ならあったかもしれないが、幸い大きな火災とはこれまで無縁である、と。



「ただの幻だったのでしょうか……」



 こうなると自信がなくなってくる。



「いいや、恨みってのはどこで買うか知れたもんじゃない。知らず知らずのうちに恨まれているほうが多いくらいだよ。あの主人も祟られるような覚えがありゃぁ、真っ先においらたちに話していたはずだろ。要するに、必ずしも宗右衛門が誠二郎を知っている必要はないってことさ」


「ですが」



 そうなると、ひなの見たものは過去視とは言えなくなってしまう。

 宗右衛門は炎の向こうではっきりと誠二郎の名を叫んでいたのだ。

 あるいは、あの男は宗右衛門ではなかったのか──

 いいやすべては幻か。

 二人を混乱させているだけなのかもしれないと、そればかりが心配だった。



「とにかく……今夜も同じ手を使う」



 懐から煙管を取り出しながら黒埜は言った。雁首を左手で覆い、火をつける。以前もその仕草を見たことがあったが、そのときはまさか手のひらで火を灯しているなど知る由もなかった。

 左手をのけると、ふわりと紫煙が上がる。



「あいつがひなに引き寄せられたのは確かだ。もう一度引っかかるかは五分五分だが……今のところこれ以外に方法が思いつかん」



 次は邪魔してくれるなよ。

 釘を刺され、ひなは「はい」とうなだれた。




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