奥の間の怪異 13
「ひなッ!」
何が起こったかわからない。
いや、これから何かが起きるのだろうか──
体が重い。
泥のように崩れる。視界が転がる。
青白い顔が。すぐ目の前に。
ふっと。
それも見えなくなる。
重い。
重い、重くて。
沈んでいく。
かと思えばふわりと浮き上がる。
綿毛のように。
意識のみ空へと舞い上がり。
飛んで、飛んで。
「おやめくださいませ! おやめくださいませ、誠二郎様!」
突然、耳をつんざくような女の声──
視界が変じた。
そこに見えるは。
赤い色。
ただひたすら。
揺らめく。赤。赤ばかり。
燃えている。
我が手を見下ろす。
濡れた刃物の光が目を射る。
燃える。
燃える。
「誠二郎―――!!」
叫んだ。誰か。誰かが。
誰だ。
炎の向こうに影がちらつく。
顔だ。男の。
あれは。
あれは。
あれは──
「宗右衛門様?」
呟いたときにはもう解き放たれていた。
赤い色も男の顔も嘘のように消える。代わりに映るのは、二つの黒い眼。
元の部屋に戻っていた。
気を失って倒れたのかと思ったが、きちんと畳に正座していた。そんな自分を、黒埜と銀狐がそれぞれ訝しげな目で見ている。
あれは──何だったのだ。
確かに誰かの叫び声を聞き、燃え盛る炎を間近に見たような気がしたのだが。
幻だったのか──
心臓が大きく脈打っている。幻にしてはすべてが異様に鮮やかだった。ヒリヒリと焦げつく熱さが、まだ肌に残っている気さえする。
しかし一瞬で消え去った。
すべて元通りになっている。
そう思ったが、違っていることがひとつあった。
青白い男がいないのだ。
「銀狐」
黒埜が低く呟いた。
「……なぜ逃がした?」
「ち、違うよ、夜一郎。おいらは確かに縛ったんだ。逃げられるはずない……!」
「それならどうして消えたんだ」
「わかんないよ。でも、誓っておいらのせいじゃない! 出口は塞いだままなんだ。絶対逃げられるはずなんかないのに」
「すると、なんだ。勝手に成仏したとでも?」
「可愛いおひなちゃんに会えたから……満足したとか?」
「そんなわけあるか。阿呆はお前だ」
「なな、なんだよ! 夜一郎だって祓う寸前で逃がしちゃったくせに!」
「あれはこいつがどかないからだ」
「なんだい、そうやって人のせいにばっかり──」
「お前こそ袋の鼠だと大見得を切っておきながら──」
ふいに蝋燭の火が部屋を照らした。
まぶしさに目がくらむ。長いこと暗闇の中にいたので、わずかな明かりが痛いほどだ。目を細めながら見やると、そこに立っていたのは宗右衛門だった。後ろにはお夕もいる。
「何やら……大きな音がしましたが」
黒埜たちが襖を突き破った音で目を覚ましたらしい。
「お祓いは済んだのですか……?」
夕が中を覗き込みながら言う。
その言葉に、三人は顔を見合わせた。
どう答えたものか。
ひなは祓うのを邪魔してしまって、気まずい。
銀狐は逃したのが信じられず、悔しい。
ただ一人表情を変えない黒埜は小さくため息をついて、
「もう少し、時間を」
と呟いた。
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