奥の間の怪異 8
思えばひなのこの気質は、母から受け継いだものかもしれない。
母がそうと言ったわけではない。話してくれたのは父だった。
「かかぁにはな、ちっとばかり不思議なところがあったのよ」
なんでも、ひなが生まれる前のこと。
夕餉を囲んでいると、コツコツという音がする。はてなんだろうと父は思ったが、気にするほどのことではない。ところが少しすると、またコツコツ鳴る。
「鼠かねぇ」
呟くと、母は驚いたように「何ですか」と言う。
「さっきから音がするじゃねぇか」
「どんなです」
「コツコツってさ」
すると母はまた驚いたように目を開いて、「あんたにも聞こえるの」と。
「あたしは、ずうっと昔からあの音が聞こえるんですよ」
そのときは冗談でも言っているのだと思った。「鼠は昔っからいるわなぁ」と父は笑った。
それから毎晩、音は聞こえた。
夕餉を囲んでいるときに鳴りだし、布団を敷く頃には消える。父は「コツコツさん」と呼んでおもしろがったが、母の顔は浮かなかった。「どうせ鼠かいたちだろう、怖がることがあるかい」そう笑ってやっても、黙って眉根を寄せるだけだった。
音は次第に大きくなった。さすがにおもしろさを通り越して不快になる。梁を齧られているとすればなおさら癪だ。
ところが、いざ探してみると鼠はどこにもいない。どこか齧られたような跡もない。おかしいなと思いつつ、また夕餉の時刻になるとコツコツ、と鳴る。
それもどんどん、どんどん大きくなる。
動物の立てる音とは思えぬ。
こいつは一体何の仕業だろう。
「それで、どうなったの? どうなったの、おっとう」
幼いひなが続きをせがむと、父はうぅむと無精ひげをさすりながら、
「それがなぁ」
ある日突然消えたのよ。
いつ消えたか定かではない。気がつけば、音はしなくなっていた。
「そういやあのコツコツさん、このところ聞かないなぁ」
何気なしにそう言うと、母は澄ました顔で、
「もう来なくて大丈夫と言ったんです」
と答えたそうな。それから、少しさびしそうな顔をしたのだという。
「昔っから、かかぁには似たようなことがあったみてぇでなぁ。けんど、おめぇを産んでからぱたりとなくなったらしい。考えると不思議な話よな。あの音は結局何だったんか……。もしかすっとジンタが──」
カタカタカタカタ
唐突に、ひなは回想から引き戻された。
暗い。
ひたすら暗い部屋である。
夜分に暗いのは当然のことなのだが、それにしても、黒いと言ったほうがよいくらいだ。ここにはかすかな月明かりすら入らない。
この、奥の間には。
布団を掻き寄せ、できるだけ身を縮める。こんな場所で夜を明かすことになろうとは。
目的が目的であるだけに、なお一層気分は沈む。
『ここに泊って棲霊をおびき寄せろ』
黒埜がそう言ったのだ。
頼みというより命令である。
『引きずり出しさえすれば……祓える』
つまり、ひなの役割は──
囮であり、餌。
このような場所に寝泊まりするなど、考えただけで恐ろしかった。そればかりか霊を呼び寄せろというのだ。いくらなんでも無茶である。
『ねぇ、おひなちゃん』
助けを求めて見つめた銀狐はしかし、ひなを憐れむどころか快活に笑った。
『聞いたかい? 頼む、だってさ。天下の夜一郎様がそんな言葉を口にするとは恐れ入ったね。こいつはすごいことだよ。おいら、自分の耳がどうかしちまったのかと思った』
無邪気に言ったかと思えば急にしん、とまじめな顔になる。
『考えてごらん。あの子は……おゆきちゃんはもう長くない。すぐにでも霊を祓ってやらなきゃ危ないんだ。そのために、夜一郎はいつもなら決して言わないことを口にしたんだよ。言い方はぶっきらぼうだけどさ。どうだい、おひなちゃん。あいつの気持ち、おひなちゃんならきっと汲んでくれるだろ?』
そんなふうに言われて──断れるひなではない。
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