奥の間の怪異 3
支度を済ませ、黒い駕籠に乗りこんで出発する。
こめかみのあたりに触れ、ひなはかすかに顔をしかめた。髪を結うのは慣れていない。村の女たちは垂れないように簡単に結うか、ざっと束ねるかのどちらかだった。ひなも祝言の支度で一度結ったことがあるきりだ。そのときも窮屈な感じがしたのを覚えている。
もちろん、きれいな着物を着せてもらえるのはうれしいし、ありがたい。
「旦那様も昔は喜んでくだすったんですけどねぇ」
あれやこれや着物と帯を合わせながら、きぬは泣き笑いのような顔をしていた。
この男にもそんな頃があったのだ──
着物の胸に手を当て、ちらと正面を盗み見る。
黒埜はいつもと同じ、紅に黒を重ねた着流し姿で、朱色の煙管を吹かしながら小窓の外を眺めている。まるでひながいることなど忘れているかのように。
──この人は、いつ見ても。
老人のような遠い目をして、一人で何事かを考えている。
口数が少なく無表情。与吉や六助のように人見知りをするわけでもない。おそらくは単純に、あまり他人に興味がないのだ。着飾ったひなを見て一言の感想すらなかった。自分ですら少し残念に思うのだから、百花の苦労はいかばかりか。
無言の二人を乗せた駕籠は、やがて賑やかな四つ辻の角に止まった。
降りてみると、ずいぶん活気のある場所である。さまざまな商店が軒を連ね、信じられないほど大勢の人が行き交っている。ひなが目を丸くしてそれらを眺めていると、
「おひなちゃーーーーん!」
底抜けに明るい声。
「えっ」
そして、後ろからギュッと抱きしめられた。
「えぇぇぇ!?」
「会いたかったよぉぉ。おいら、おひなちゃんが恋しくて死んじゃうところだったぁ」
さらと揺れる真白な切り髪。銀狐である。
きぬに連れ去られてから見かけていなかったが。
「あれ……?」
また──背丈が。
うれしそうに笑うその顔は、ひなより頭ひとつ高いところにある。
童ではなく、初めに見た若者の姿に戻っている。
「相変わらず可愛いなぁ、おひなちゃんは。その格好はどうしたの? あ、わかった、おきぬちゃんだろ。柄よし、帯よし、色あわせよし。いい趣味してんなぁ。何より中身が器量よしときた! おいら、おひなちゃんが可愛くって可愛くってもう死んじゃいそう!」
──どちらにしても死んでしまうのかしら……。
ひなは冷静にそんなことを思う。
袖にうっとり頬ずりをする銀狐を、今度は黒埜が引きはがした。
「その辺にしておけ」
「なんだよ、夜一郎! お前なんかいっつも百花とベタベタしてる癖にっ」
「向こうが勝手にくっついてくるだけだろう。それより、仕事の話だ」
「へっ、真面目でやんの。まあいいか。立ち話もなんだし、どっか入ろうよ。あ、そこの団子屋なんかどう? おひなちゃん、甘い物好きだろ」
「え、ええ……」
銀狐がひなの手を引き、黒埜がむすっとした顔で後に続く。なんとも正反対の二人だ。間に挟まれると戸惑ってしまう。
さて──
団子屋で一服しながら本題に入る。
「依頼主は……加賀屋といったか」
「うん、そぉ。そこの主人の宗右衛門ってのが、前においらが世話した男の知り合いでね。そンときは違う祓い屋と組んでいたんで、そいつと一緒に相談を受けたんだけどさ」
「それで、失敗したと」
「……よくわかったね」
「それ以外にないだろう」
「うん。まあそういうこと。だからさ、手を借りたいんだ」
銀狐は眉根を寄せてへらへら笑った。
「調子のいい話だな」
「冷たいこと言うなよぉ。頼りは夜一郎の兄貴しかいないってのに」
「………。それで?」
黒埜は呆れたようにため息をつき、番茶をすする。
けろりとした顔で団子を頬張りながら、銀狐は次のようなことを語った。
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