表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/64

呪われた花嫁 1




「ひな、おひな」



 ヒュウヒュウと冷たい風が吹く中に、自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 ひなは野草の茎を折っていた手を止め、立ち上がって辺りを見た。痩せた木々がまばらに生えた小高い丘の斜面。見渡す限り人どころか、小さな動物や鳥の影さえも見えない。気のせいだったろうかと再び腰を下ろす。

 もうすぐ夏に差し掛かろうという時節だが、風は驚くほど冷たく、今年はろくな山菜が見当たらない。それでも赤くかじかんだ手をせっせと動かし、食べられそうな草はなんでも摘んで籠に入れる。


 ――私にできるのは、これくらいしかないもの。


 貧しい家で両親が待っている。今年、畑にはろくな実りがない。気が遠くなるほど長い冬はたくさんの雪と氷ばかり残し、ようやく訪れた春もいつになく涼しい。父は十日ほど前から風邪をこじらせ、母はその看病をしている。なんとか滋養になるものを食べさせなければならない。しかし、家にはもう食べるものが一つもない。

 大きな畑を持つ村人なら、ある程度の蓄えもあるだろう。そこへ出向いて頭を下げ、無理を承知で施しを求める。そんなことさえできないのは、ひとえに自分のせいだ。

 ひなは深くため息をついた。

 それを思えば、冷たい風に体を震わせながら丘から丘へ、野草を摘んで回るのを苦しいなどとは思わない。いや、思えない。


 ──私さえいなければ。


 今まで何度思ったかわからない言葉だった。下を向いていると涙がこぼれそうになり、慌てて立ち上がる。頭を軽く左右に振って息を吐く。泣いている場合ではない。少しでもいい、食べられるものを探さなければ。



「おひな」



 また声がした。

 はっとして振り返る。だが、そこには誰もいない。

うんと小さい童の声。ひなは幾度となくその声を聞いたことがあった。聞くたび、すぐに声の主を探してみるのは癖のようなものだ。けれど、ついぞ姿を見たことはない。

 怖い、とは思わなかった。

 物心ついたときから聞こえる、ひなにとっては慣れ親しんだものだ。今のように十七を数える年になって初めて聞いたのなら、それは不気味にも思っただろうが。聞き親しんだ童の声は、もはやひなの一部と言ってよい。一度は救われたことさえある。

 まだ幼い頃、丘の向こうの森に迷い込んだことがあった。

 夢中で遊んでいるうちに日が暮れて、木立が濃い影を落とし、ひなは急に怖くなって立ち尽くした。来た道を戻ろうにも、どうやって来たのかわからない。おろおろ惑い歩くうちにすっぽりと暗闇に覆われ、幼いひなはその場にしゃがんで大泣きした。「おっとう、おっかあ!」と叫んで呼んだけれども、自分の声が森に反響するばかりで、村まで届くとは到底思われない。

 そんなときだった。



「ひな、おひな」



 稚い童の声。

 ひなはぱっと顔を上げた。



「おひな」



 確かに聞こえる。

 童の声は、自分を呼んでいた。



「ひな、おひな」



 声のする方向へ、半ば憑かれたように歩いた。

 声は近づいたかと思うと遠ざかり、遠ざかったかと思うと励ますように近づいた。

 そうして声に導かれ、いつの間にか、村に戻っていたのである。幼い娘を死に物狂いで探していた両親は、村の端っこにぽつんと立ったひなを見つけると、髪を振り乱して駆け寄ってきて、ぎゅうっと強く抱きしめてくれた。


 ――あのときのおっかあの胸、あったかかったなぁ。


 懐かしく思い出し、また涙がこぼれそうになる。

 ひなは何度もかぶりを振った。もう幼い子供ではないのだ。

 わかっていても、悲しい。

 あの頃は戻ってこない、決して戻ってはこないのだと思うと、胸が締めつけられるように苦しかった。




評価の☆で応援いただけるとうれしいです!

よろしくお願いします!

WEBTOONコミック版→https://www.cmoa.jp/title/270928/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ