新たな殺人
公園で保守党議員の演説が始まると、拍手が巻き起こった。
保守党の支持団体としてはサクラ教団があった。まるで保守党とサクラ教団が同一に見えるために、政教分離を謳った憲法に違反するのではないかと、よく議論になる政党だった。
保守党とサクラ教団の関係を示すかのように、この公園の中にサクラ教団の施設が食い込んでいた。
演説はこのサクラ教団の施設に近い位置で行われている。
「連立与党の立場から、世界平和を実現するため、憲法改正には断固として……」
演説を聞いている人々の周りで、サクラ教団のボランティアたちがチラシを配っている。
チラシには『角田有義 平和の主張』と書いてある。
「現在の保守党では労働党の言いなりです。現在の保守党は、主張が無さすぎる。平和を守るために憲法改正が果たして必要でしょうか? 否。国民の多くは憲法の改正を望んでいません。強い保守党に戻るためにも、まずは憲法改正に反対する。ここから始めていくべきなのです」
再び大きな拍手が湧き、全くこの演説と関係のない人々も気になって振り返る。
振り返った先には、真っ黒い髪を後ろに撫で付けた、上質なスーツを着た男がマイクを握っている。
それが角田で、議員としては若く、肌のハリも、声も力強い。
カリスマ性があるというべきなのだろうか。
サクラ教団に支持者とは別の『ファンクラブ』があるとも言われる人気ぶりで、マスコミも、まだ党の幹部になったばかりの角田を、次期党首と持ち上げるほどだった。
演説が終わると、サクラ教団のボランティアが公園の掃除を始めた。
陽が傾き涼しい風が吹き始め、公園を歩く人々もまばらになっていた。
値段に比較して、アルコール度数の高い『安酒』を持って、男は公園に入ってきた。
着ているカーキ色の上着は、左肩が擦れて毛羽立っており、長年着たままのようにマダラに変色している。
男は右手にその『安酒』、左手にアテを持って、フラフラと歩いていた。公園のどこかに座って、外呑みをしようというのだろうか。
男は歩きながら正面からくる上質なスーツの男を見て、避けるどころか当たりに行くかのように足を動かした。
スーツの男はスマフォを見ているせいで、避ける様子もない。
程なくして二人は衝突した。
酒のカンが鈍い音を立てて変形した。
尻餅をついたカーキ色の上着の男が、叫ぶ。
「何すんじゃコラ」
「……」
「痛い、痛いぞ、こら、慰謝料よこせ、コラ」
スーツの男は周囲を見回した。
誰もいないことを確認すると、言った。
「そうですか、酔っ払って公園をフラフラ歩いていると危険ですよ」
「ほら、見てみろ。この酒、まだ開いてないんじゃ。だから酔っ払ってもいない。お前がスマフォ見て歩いているからぶつかったんじゃ。財布出せ、財布」
男は酒とアテを並べて置くと、素早く立ち上がってスーツの男の胸ぐらを掴みにきた。
「!」
スーツの男はまるで武術の達人のような足捌きで、難なくそれを避けた。
避けるどころか、突き出した足で男を転ばせてしまう。
「痛い、痛いぞ。キサマ、なめとんのか」
「随分威勢がいいですが、威勢がいいのは寿命を縮めますよ」
「こっちを脅かすんかい。こっちはバックに……」
スーツの男が睨むと、続きの言葉を飲み込んだ。
「バックに何がいるんです?」
一歩、進むと、カーキ色の上着を着た男は二歩下がった。
「何もいないでしょう?」
それは低く、威圧感のある声だった。
カーキ色の上着を着た男は、震え始めていた。
「では、私のバックについて説明しましょうか?」
スーツの男は、自らの背後を指さした。
「……」
男の瞳に、黒い影のようなものが映った。
それは巨大で、全く光を通さない。
生き物のように蠢く影。いや、闇というべきか。
男は何かの襲撃を受けていた。
見えない拳に殴られている。
踊っているかのように首を捻り、腕を上下し、右に左にステップを踏んだ。
肌は打撃で変色していく。
見えない何かは、激しさを増していく。
瞼が腫れ、鼻が曲がり、口は切れて血を噴いた。
その血はスーツの男には届かない。
カーキ色の上着の男は、ボロ切れが捨てられるように、床に倒れた。
「目撃者は」
北上は地元の制服警官に、そう訊ねた。
「今のところ遺体の第一発見者しかいないです。殺人そのものについての目撃者はまだ」
北上は公園内に立っているポールを見て、監視カメラに気づいた。
「あれの映像は?」
「……映ってます。映ってますが」
北上は嫌な予感がしつつも、訊くしかなかった。
「映ってますが、どうしたんだ」
「大変言いにくいのですが」
沓沢刑事が大声を出しながら、二人に近づいてきた。
「北上、また『カオナシ』だ。しかも、今回は、殺害経過までしっかり映りこんでやがる」
「……」
沓沢に返す言葉が見つからなかった。
つまりまた顔だけが歪んで何の役にも立たない映像が残っているのだ。
「おい、どこに行く!」
沓沢の声を無視して、北上は現場の公園を歩き始めた。
常に堂島を横に置いておけるわけではない。だが、堂島の能力がないと誰がこの事件の犯人かが分からない。何しろ普通の犯罪ではない。堂々と防犯カメラに映りながら、犯人に至る手がかりがゼロなのだ。
そこらへんに、何かヒントが落ちていないだろうか。決定的な証拠になるような手がかりが……
公園の縁に着くと、どこかで見たような建物が立っていた。
「サクラ教団……」
円錐形をした屋根が複数重なるようなデザイン。どこの教団の建物も似たり寄ったりの形をしていて、それが大きいか小さいかが異なっていた。教祖の実家がこのデザインだったと言われている。
やっぱりこの教団を調べないと犯人に近づけない気がしていた。
堂島が入らないというなら、あの黄色いジャージの男も加えたらどうだろうか。
北島は教団の建物を見ながら、スマフォで連絡をとっていた。
「もしもし、丸山さん。あの二人と連絡を取りたいんだけど」
『堂島くんと梁巣くんの事…… ですよね』
梁巣? と思って北上は首を捻った。
「あの黄色いジャージの男、梁巣っていうのか」
『えっ? 黄色いジャージ。あ、ああ。あの時は黄色いジャージだったみたいですが、そうですよ。あの子が梁巣くんです』
「急いでくれ」
丸山が急に黙り込んだ。
『急ぐ場合は、料金が』
「丸山さん。あんた、あんまりがめついと、こっちの情報を流すのをやめるぞ」
報道側に警察の捜査情報を流して、犯人を揺さぶったりすることもある。マスコミとの情報のやり取りは、持ちつ持たれつの関係なのだ。
『わ、わかりましたけど、実費は請求しますよ』
「早くしてくれ」
一方的に通話を切った。
気がつくと北上の横には沓沢が立っていた。
「サクラ教団か」
「何か、中に入る理由ないですかね」
沓沢はタバコに火をつけた。
「そんなもんあれだ。目撃者を探してる、ってことでいいだろう。こんなに現場と近いんだからな。断るなら匿っていると言っているようなもんだ」
「そうですね」
「不思議な力の小僧たちは呼んだか?」
北上はスマフォを持ち上げて、言った。
「ええ。また金を払うことになりますが」
「ちゃんと請求しとけよ」
「そう言っても、通った試しないですけどね」
煙を吐くと、沓沢は財布から高額紙幣を二枚取り出すと、北上に渡した。
「……とっとけ」
北上は拝むようにして紙幣を受け取った。