ケジメ
藤井が近づくと、腹の出た男が立ち上がった。
もし堂島にナイフをさしたのなら、その返り血を浴びているはずだが、体のどこにも血がついていない。
「やられに来たか」
バットスイングのように、男がテイクバックすると、藤井はその瞬間に手刀を撃つ。
手刀の打撃が、先に届き、男の霊体は次々に消えていく。
男は、高めに浮いた球を空振りしたように明後日の方向に振っている。
「動作の意味が理解できれば、対策も簡単なんです」
藤井は足払いをするように体を動かすと、腹の出た男は体が震え始めた。
「寒い……」
「憑いていたものが落ちる時、そう思う方もおられるようですわ」
男は身を縮めるようにしながら、前のめりに倒れて動かなくなった。
「堂島さん!」
丸山が仰向けに倒れている堂島に駆け寄る。
血がついても分からないような赤黒のネルシャツだが、どう見ても血は出ていない。それに、腹に刺さっているものも何もない。
堂島は『痛みに耐えている』表情をしている。
「堂島さん?」
藤井が近づいてきて、見下ろす。
「透さん、平気ですよね」
堂島は藤井を見上げると、言う。
「ごめん…… もう僕は死ぬ」
「堂島くん? ナイフは刺さってないですよ。しっかりしてください」
丸山は確認するかのように堂島のお腹をさすった。
藤井は膝をついて身を屈めると、堂島の手を取って見る。
「手の平から少し出血しているようですが、死ぬほどの出血とは思えません」
藤井は梁巣のうめき声に反応して立ち上がった。
「向こうの方が大変そうです。丸山さん、倒れている二人の手足を、これで縛ってください。気がつかれたらまた厄介なので」
藤井はポケットから取り出した、いくつかの紐をパラパラと堂島の体に落とすと、丸山は頷いた。
「わかった」
黒いサングラスの男の力は、角田議員によって引き上げられていた。
体力が削られていない状態なら、対等に戦えただろう。だが、もう一人の黒スーツとの肉体での戦いがあり、防戦するのが精一杯で、攻めに回れなかった。
梁巣は考える。こいつも、俺と同じように体を動かす能力はないのだろうか。エア格闘技から、霊撃を撃つ以外、本当の肉体で闘うことはできないのか。
ならば、そこに勝機はないだろうか。
間合いを詰め、至近距離から肉体の打撃と霊体への攻撃を同時に行う。今までやったことはないが、体を動かしている点は今までと変わらないのだ。
このまま間合いをとっていたら、俺の不利は動かない。やるしかないのだ。
梁巣は決断した。
防御に注ぐ力を小さく一点に集中させ、霊撃を弾きながら間合いを詰めていく。
一つ弾く度、息を吐くように、小さい言葉を吐いていく。
緊張と緩和。
もう少し、もう届く。
サングラスの男の腕が振り上げられる。
梁巣は待っていたとばかりに懐に踏み込んで、その勢いのままショートフックを顔面に当てる。
見よう見まねの一撃は、気持ちいいほど簡単に当たった。
初めての人を殴った感触。
固く、重い。
指の関節や、手の甲の皮が激しく痛い。
これで相手に痛みが与えられたのだろうか。同じくらい、いやそれ以上、俺の手に痛みを感じているのではないか。
次に梁巣は冷静に相手の状況を確認した。
サングラスの男は、打たれた頬を押さえ、よろよろと後退している。
心なしか、足が震えているように見えた。
今は本当に『打撃』だけだった。除霊のことがすっかり頭から飛んでいた。
梁巣は今度、相手の霊体にも打撃を与えるパンチを繰り出すことを意識した。
サングラスの男が、左手を伸ばし、近づけないように霊撃を放っている。
直線的で、軌道の読み易い攻撃。
梁巣は頭を低くして、相手の懐に潜り込む。
『もっと低く』
何かが、あと押しているようだった。
一歩、二歩で飛び込むと、伸ばしている左手の脇腹に、梁巣の右の拳を当てる。
インパクトの瞬間、霊体を直撃した手応えを感じる。
『左で顎』
また聞こえた。
梁巣の体は瞬間的に反応していた。
右を打った体の捻りを、逆転させる運動。
プロのボクサーでもない普通の人間の肉体がこの速度でパンチを打てるのだろうか。
『先端を掠めるように』
よく見てギリギリに拳を旋回させる。
当たった。霊体にも、肉体にも。
振り抜け、耐えろ、頼む。
梁巣は、振り抜いた。振り抜くと同時に、梁巣は気を失っていた。
そもそも時間で閉鎖されていた公園は、非常線が張られて一般人の出入りが出来なくなっていた。一人の男が殺された事件で、公園の中には北上と沓沢も捜査の為、入っていた。
堂島たちは現場での事情聴取された後、堂島以外は帰ることになった。
梁巣は藤井の顔を見ていると、藤井がそれに気づいた。
「どうかしましたか」
「最後、サングラスの男と勝負している時、俺に『指示』したか?」
藤井は首を傾げる。
「とぼけるな。『左で顎』とか、『もっと低く』とか、お前の思考だろう。俺は自然とその力に反応してた」
「なんのことでしょうか」
「別に俺は『一人で倒せたんだ、余計なお世話だ』とか傲慢なことを言いたいんじゃない。指示がなかったら除霊できなかったのは事実だからな」
藤井は困惑した顔を見せた。
「……」
「ただ、ケジメとして『ありがとう』と言いたかっただけだ」
梁巣の中で、はっきりさせておきたい重要な事柄だったのだ。
そう言うと、梁巣は藤井に顔を見られないよう、二人の先を歩き続けた。
二人の会話が終わったと思い、丸山が訊ねた。
「今回、何度か私自身が不思議な体験をしたんですけど、梁巣くんとか藤井さんは、その持っている力を他人に『送る』ことができるんですか?」
「梁巣さんの力で、男たち二人を倒したり、人差し指で除霊した件ですね」
「私自身は『力を増やす』とか言われてますけど、何が入ってきて何が出ていっているのか全くわからないんです」
実際に目に見えるものは何もないから無理もない。肉体にメーターがついている訳でもないし、力を計測する計りのような機械もない。
「例えようがないんですが、電気みたいなものかと考えてもらっていいかもしれません」
「電気…… ごめんなさい。理数系全くわからなくて」
藤井も困った顔をした。
「私も、人文系の例えで表現ができなくて、ごめんなさい……」
他の例えが思いつかないことを悔やんだ。
「電気も何もない空間を電磁誘導で飛ばせますよね?」
「……」
「電池が入っていない交通系ICカードは改札の機械に当てた瞬間回路が動作するのは……」
ハナから理解を拒否するように、丸山は謝る。
「ごめんなさい」
藤井も『少し考える姿勢を見せてくれ』と怒る訳にもいかず、苦笑いするだけだった。
「まあ、そんな感じのことなんです。丸山さんだから、梁巣さんの力を受け止めて、利用できたんですよ。通信して情報を与えた上に、力も伝える。力は丸山さんの中で増幅しているから、後はその情報で動き力が発動した、という訳ですね」
「どうでもいいことかもしれませんが、私はICカード? 改札の機械?」
「今回の件で言うと、ICカードということになります」
丸山の頭には、緑色の券面に書かれた黒いペンギンが現れ、あいさつした。




