不法侵入
沓沢が木の影に隠れると、北上は監視している坂田の別荘から人が出てくるのを見た。
出てきたのは、縞柄のフリース素材の寝巻きに簡単な上着を着ている。
坂田だった。
そのまま車に乗ると、エンジンを温めるまもなく走り去ってしまった。
「いくぞ!」
沓沢は小さい声でそう言うと、坂田の別荘に走って行った。
「ダメですよ、不法侵入です」
「お前は坂田の車を見張って俺に知らせろ」
「だからダメですって!」
沓沢は無視して坂田の別荘の扉を開けた。
緊張感を感じ取って、堂島は目を開け立ち上がると、北上に訊いた。
「何があったんですか」
「坂田が車で外出した。それも、いつものスーツではなく、寝巻きのような格好だったから、すぐに戻ってくるだろう」
北上は車が入ってくるのがより早く見えるように、監視する場所をずらしている。
「今、不法侵入って」
「聞いていたか。坂田はすぐ戻ってくるつもりで別荘の鍵をかけてない。沓沢さんがそれに気づいて別荘内に踏み込んだ」
刑事とは言え、令状もなしに他人の家に勝手に踏み込んだら、不法侵入だ。この場所だって、私有地だったら、今の時点でも不法侵入である。
「堂島君はさっきのところで座ってた方がいい。後、今のことは忘れてくれ。頼む」
「……」
堂島はまた岩陰に戻った。
小さい音だったが、別荘の中を動く足音が聞こえた。
別荘の中に、鍵のかかる部屋があるのだ。丸山さんを監禁しているのだとすれば、そうでないと理屈が合わない。鍵のかからない部屋があるなら、どれだけ短い時間だとしても、外の扉は閉めていくはずだからだ。
堂島は考えた。だが、そんな部屋あるだろうか。一般的な神経の人間なら、普通、外からしか開けれない部屋は作らないだろう。
「僕の部屋だって内側からは開けられる」
堂島は独り言を口にした。
部屋自体がそうなら、初めからこういう事態を想定して家を建てなければならない。
そんな部屋じゃなければ、即席で閉じ込めれるように鎖と南京錠などで扉をロックするとか、本人を縛り付けるとかしかないだろう。坂田の行動からすれば、そう考えるのが普通か。逃げ出せないように縛ってある。だから、家の扉の施錠も気にせずどこかに出かけていったのだ。
「やばい!」
北上の小さい声が聞こえた。
スマフォを操作して沓沢に連絡を入れている。
坂田の乗った車が戻ってきたのだろう、と堂島は思った。
沓沢が出れなければ、戻ってきた坂田と鉢合わせしてしまう。
「沓沢さん、急いで……」
北上の声が震えている。
その時、車のクラクションの音がした。
一度ではなく、何度も。
北上は身を潜める。
朝、早すぎる時間にクラクションを何度も鳴らすのはまずい、と感じたのか車のクラクションが止まると、車のエンジン音が止まった。
「おい、そこで何をしている!」
堂島はびっくりして身を縮めた。
周囲を確認するが、坂田の姿は見えない。だからこっちが見つかっているのではないのだ。
堂島は岩陰を静かに動きながら、坂田の声の方を確認する。
「何をしている。ここは私有地だぞ」
北上が完全に坂田から身を隠していることを、堂島の位置から確認できた。
とすると、堂島でも北上でもない誰かに向かって言っていることになる。
「おい、聞こえんのか」
堂島は坂田の声より別荘に近い側にいる人物を見つけた。
黄色いジャージに黒い線が入っている。
見覚えのある背格好。
髪は無造作に伸びていて、目にかかっていて、顔や表情がはっきり見えないが、間違いない。
『梁巣だ』
声に出そうになるのを、必死に我慢する。
だが、そこを歩く梁巣と呼ぶのに何か違和感がある。
影というか、シルエットというか、端々に違いを感じるが、それが何か分からない。
そして、梁巣がなんでこんなところにいるのか。どんな目的なのか。
梁巣は坂田の声を無視して、ゆらゆらと肩を大きく揺すりながら坂田の別荘に近づいていく。
坂田はゆっくり追ってくる。
「ちょうどいい。テストするか」
と言う坂田の視線に入らないよう、堂島は岩陰を使って回り込む。
どういう意味だろう。何のテストをするのか。坂田は『カオナシ』と思われる容疑者でその言葉の意味が、いい意味のわけはなさそうだった。
「クックックッ……」
背筋が寒くなるような笑い声が聞こえてくると、何かの影が大きく広がってくるのが見えた。
堂島は見えている影の正体を知っている。
これは悪霊だ。
堂島から坂田本人の姿は見えていない。だが、その広がった影ははっきり見える。
監視カメラの映像で『カオナシの力はない』と思ったのは、どうやら見当違いだったようだ。この広がり方は普通の降霊では身につかない。何か相当の能力者か、何度も何度も重ねて降霊したに違いない。
堂島には木々が透けて、坂田の輪郭を形作る影が見える。
足を開き、踏ん張って、体を捻りながら右手を後ろに引いた。
右手を勢いよく前方に繰り出すと、黒い、大量の粒子が、前方に流れていく。
「左手は添えるだけ」
黒い、流れを作っているような粒子が、勢いよく梁巣の背中に向かっていく。
「!」
堂島は自らの口を手で押さえ、我慢した。
梁巣はその黒い粒子の波に押され、転び、勢いで跳ねた。
さらに勢いよく後ろからくる波に弾かれると、空高く飛んで、消えてしまった。
黒い粒子も、無秩序に散らばったのち、停止した。
堂島は震えながら、岩陰に移動する。
広がり散ってしまった黒い粒子は、再び坂田の方へ集まっていく。
梁巣はどこまで飛ばされてしまったのだろう。堂島は思った。一瞬、背後からの攻撃を察知したようにも見えた。だが、地面に体を打ち、跳ねたところを直撃してしまった。
あの高さに飛ばされてしまえば、着地点がどこであれ死んでしまうだろう。
堂島は音を立てて坂田に気づかれないよう、静かに泣いた。
広がった黒い粒子が、足元を伝って坂田に帰ってくる。
フリース素材の寝巻きの、裾や袖、襟から、坂田の胸に黒い粒子が流れを作り出した。
「ふん、もっと強力な力だと思っていたがな」
坂田が想像していたものは、黒い粒子が、敵の体を撃ち抜く光景だった。
実際は打ち抜けず、弾き飛ばしてしまっただけだった。
だが、かなり上空に飛ばされた。
あの高さから落ちるのだから、生きてはいまい。
「もっとこう」
足を広げ、体を捻りながら右手を腰の高さで後ろに引き、勢いよく前に突き出す。
そんな仕草を何度かやると、大きく息を吐いた。
「いい感じだ」
黒い粒子が全て体に戻ってきたようだった。
坂田は置いていた車に戻ると、別荘までの十数メートルを移動して車を停めた。




